第12話 次期伯爵からパーシヴァル様へ

 夜、どうしても落ち着かずに晩餐も残してしまった私は、一人月明かりだけが頼りの部屋で窓辺に座ってぼんやり月を眺めていた。


 姉とは半分しか血が繋がっておらず、父母とは血が繋がっている。


 姉も、もしかしたら心のどこかでは分かっていたんじゃないだろうか。自分が貴族じゃない、この家ではどこか外れた人間だ、と。


 そう思うと、私を部屋に追いやっていた姉の気持ちも少しだけ分かる。理解できるだけで、共感も許容もできないけれど。華やかな社交界で、自分の社交性で、人を魅了する事が姉の支えだったのかもしれない。


 だから、夫にするなら華やかな人がよかったのだろう。だけど貴族間の結婚で身辺調査は別におかしいことじゃない。


 シャルティ伯爵家も大きな家だ。仕事も大きな責任がある。下手な人間は嫁に取れない、だからこそ、私でいいのかと卑屈になる。


 母の浮気相手も平民だったらしい。顔の良さと甘い言葉で落とされて……、つまり姉には貴族の血が流れていない。


 血で人を判断するのは違うだろう。志の立派な平民もいれば、黒い思想に染まって薄汚い事をする貴族もいる。


 ……それでも、私は貴族でありながら、普通に姉と思い込んでいた相手にここまでコンプレックスを抱いている。私なんかで、と口に出しそうになるのを何度も堪えた。


 唐突に部屋のドアがノックされる。部屋の暗さに目が慣れていたので、ショールを羽織って扉を開けた。


「少しだけ、寝る前に話せるかな?」


「次期伯爵……、す、すみません、今日は……」


「よく眠れるのを持ってきたんだ」


 そう言った彼の両手には湯気を立てるマグが2つ。仄かにミルクの甘い匂いがする。


 この心遣いまでは無碍にできず、私は部屋に彼を招いた。


 月明かりの薄暗い部屋でソファに並んで座ると、手渡されたマグを両手で受け取る。


「あ……、カモミール……」


「蜂蜜とミルクをいれると、よく眠れる」


 昼間の話には触れなかった。彼は、私を選んだ理由があると言っていた。私は、自分にそんな理由を見つけられない。


 一口飲む。優しくて染み渡る温かさと甘さに、自分が冷えていたことを思い知る。鼻に抜ける優しい香りが、ホッとさせてくれた。


「ミモザには、実は一度会いに行ったことがある。休みをとって」


「え……?」


「といっても、覗き見してただけなんだけれど。母上の本の発売日には必ず町で一番大きな本屋に行くから、と。君は母上のファンだけど、母上も君のファンレターと刺繍のファンだからね。気に入らないなら他の子を選ぶ方が簡単だけれど、私は貴方にこの子程相応しい子はいないと思うわよ、と言われて」


「まぁ……、恥ずかしい。ファンレターは、発売日の3日後にはハンカチを同封して出していましたから……」


 ふ、と次期伯爵が笑う。薄暗い中で見ても、本当に整った体型と容姿だ。


「それで、まぁそこまで言うならと思って……、見に行った。生地も仕立てもいいのに地味なドレスで、それで居ながら恋人にでも会いに行くかのように頬を高揚させて……ミモザはその頃から、小栗鼠のように可愛かった。私は一生懸命平積みされた本を手に取り、大事そうに両手で持って会計をし、家まで誰も見ていないのに満面の笑みを浮かべて歩く君を見て……、そのだな、あの、脳停止したんだ」


「……そんなに、浮かれていますか、本屋の私」


 恥ずかしそうに告白してくれたのは分かるのだが、そちらが気になってしまった。全くの無自覚だ。不覚。


 絶対に自分の手で買いに行きたい。その日だけは、できる限りおしゃれをして本屋に向かう。ファンとして恥ずかしい事をしたくなかったから。


「だから、……君を見出したのは母上だけど、ミモザ、君を好きになったのは、私だ。……そろそろ、パーシヴァルと呼んで欲しい。婚姻するのに、いつまでも片想いをしているようだ」


 そして、彼の顔を見ると……捨てられた大型犬のような顔で、思わず口元に笑みが浮かんだ。


 少し冷めたマグから片手を外して彼の掌の上に重ねる。


「パーシヴァル様……、私も、あなたに可愛いと言ってもらいたいとか、私を見て固まってくださるところとか、……まだ、そのくらいしか知らないのですが。好き、ですよ」


 正直な気持ちだった。


 パーシヴァル様はマグをテーブルに置くと、暫く目元を隠して脳停止された。


 上を向いたり下を向いたりした後、噛み締め終わった彼はマグの中身を飲み干して、……おやすみと言って去っていった。

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