24 ナイトメアと魔法と魔法弓(※ガイウスサイド)

「くそっ、厄介なのが……!」


 目の前に出現した見上げる程も大きい黒馬の魔獣を見て、ガイウスは知らず悪態をついた。


 黒とも紫ともつかない禍々しい煙を纏って出現した魔獣の名は、ナイトメア。攻撃系の魔法を使う魔獣はゴブリンメイジに始まりハイオークやオーガ、グリフォン、ドラゴンと羅列すればきりが無いが、ナイトメアは特殊だった。


 太い脚に長い鬣、ハーフアンデッドだとしたら尚の事やっかいな敵だ。


「ガイウスさん、あれは……?」


 動く様子の無いナイトメアに、下がれ、と腕で指示されたミリアがガイウスの少し後ろから不安げに尋ねる。ガイウスが動揺する姿は、ここまで見てこなかった。


「ナイトメアって魔獣で……向こうから襲ってくる事は、ないんだが……ここまでの道に先に進むところが無かったから、どうしてもアレを倒さないといけない」

「何か特殊な魔物なんですか?」

「あぁ、特殊も特殊……あいつの間合いに入ったら、精神を『喰われ』る。心臓が動いているだけで、意識は取り戻せない。あとは緩やかに死ぬだけだ。遠距離で攻撃するのが定石なんだが……2人組だからな。どうしてもヘイトが分散できない。攻撃されたらさすがにアイツも動くし、間合いに入っても精神を喰いに来るだろう。多少は時間を稼いで横をすり抜けられないことも無いけど……」

「追ってくる、とか?」

「そうだ。ドラコニクスよりはるかに早く、だ」


 ミリアは目を見開いて驚いた。ドラコニクスは扱いが難しい分、敵には怯まないしかなり脚が早い騎獣だ。そのドラコニクスより早く追ってくるうえに、間合いに入って暫くしたら肉体ではなく精神に干渉してくる。


 これは確かに、厄介な敵だ、とミリアはじっと目の前の黒馬の白く濁った目を見た。そこに何の感情も無く、むき出しにした歯の間から漏れる紫の息に背筋が凍るようだ。


「倒せない事も……無いな。俺とミリアが協力すれば、だけど……うまくいくかはちょっと賭けだ」

「……どんな作戦かお聞きしても?」


 そうしてガイウスが話した作戦に、ミリアは呆れて喉元まで「正気ですか?」という言葉が出かかった。辛うじて飲み込んだが、それは普通、人間が……やろうという作戦では決してない。


「理論上は別におかしなことは無い。間に空のスクロールも噛ませるし、これで俺の魔導弓でヘッドショットが決まれば一撃だ。ただ、俺だけだと魔力が足りないし、威力も出ない。額に当てた所で変にヘイトを買うだけで、一気に襲い掛かられるかもしれないから……」

「だからって、私の最大威力の魔法をガイウスさんの身体にエンチャントする、なんて前代未聞ですよ?!」

「まぁ……ダメだったらダンジョンは諦めてミリアには来た道を戻ってもらう事になるんだけど」

「それ、自分が死ぬ前提で言ってますね?!」

「……うーん、どうなんだろう。なんか不思議な感覚なんだよな」


 ガイウスはミリアに詰められたことで、腕を組んで考え込んでしまった。


 ナイトメアは一先ず間合いに入るまでは何もしてこない、という余裕があるからではあるが、ミリアとしてはさっさと目の前から居なくなりたい位怖い魔獣である。


 なのに、ガイウスは慌てる様子も無ければ、失敗するつもりも無いように見える。


「なんでだろうな? 俺、『三日月の爪』に居た時には戦闘は全部任せる、俺はサポート、って割り切ってたからこんな提案は絶対しなかったんだけど。ミリアと二人で戦って、冒険して……死ぬ気は全然してないんだよなぁ。魔法弓は俺の魔力を……意思と魔力で威力もあがるけど、勝手に使って矢を撃ちだす武器だ。魔導具に近いやつだな。で、ミリアは近距離が得意だし、ヘッドショットを狙うなら俺が適任なわけで……? なんかよく分かんなくなってきた。でも、なんだろうな」

「……」

「心配ないよ。俺の事を信じてくれ、ミリア」


 そう、ガイウスが笑ったことで、ミリアはナイトメアに対する恐怖を一瞬忘れて、その笑顔に見惚れてしまった。


 そんな場合では無いと分かっている、けれど、ミリアの心臓はうるさい程に跳ねた。早い鼓動に、自然に自分の胸元で腕を組む。


「ぜ、絶対、死にませんか?」

「うん、死なない。生きて、あいつを突破して、先に進もう」


 ミリアは目を伏せて少し考えたが、ガイウスがそういうならば、と決意を新たにして顔を上げた。


 どの道ドラコニクスに乗っていても逃げられはしない、一撃必殺で倒さなければならない敵だ。ナイトメアがB級ダンジョンにいるというのも、無い訳ではないが、それは相当な悪運が向いていなければないことだ。


 コレでダンジョンボスではないのだ。ガイウスはこっそり気持ちを改めた。こういった、厄介な魔獣が出現するダンジョンは普通に考えればS級に該当する。特殊個体のボス、という情報が他のB級冒険者を遠ざけ、A級以上の冒険者にとっては大した旨味の無い、という状況だったことに感謝すべきかもしれない。


 ミリアに聖属性魔法の魔法のスクロールを手渡し、ガイウスは魔法弓を番えた。『投擲』のスキルを発動させ、地面にしっかりと両脚を開いて立つ。狙うは、巨大な黒馬の額ただ一つ。


 ミリアはそのガイウスの背にスクロールを開いて当てると、持ちうる魔力の全てをそのスクロールに注ぎ込んだ。


 魔法の発動するはずの魔法陣が、ガイウスの背に熱を持って伝わって来る。放たれんとする魔法が、ガイウスの身体に迸り、激痛が走る。その魔力を、無理矢理魔法弓に吸わせて限界を超えた巨大な聖属性の矢を番える。


「う……ぐ……、い、っく、ぞおぉお!」

「ガイウスさん、血が……!」

「いいから! そのまま、全力で!!」

「……っはい!!」


 ガイウスの血管が浮くほど強張った弓を引く腕から、内側から裂けて血が吹き出る。それでもまだ、まだだ、とギリギリまで魔力を魔法弓に吸わせて、出来上がった矢は白く発光する槍のような大きな矢で。


 巨大な魔力の塊に、ナイトメアも流石に危機を察知したのか、こちらに向かって走りだした。間合いに入って魔力ごとガイウスとミリアの精神を喰らう気だったが、ガイウスの方が早かった。


 投擲……狙った場所に、目的の物を『すべての地形効果』を無視して『正確に』投げるスキル。


 ガイウスの鍛え上げられたスキルは、頭を振り乱しながら走るナイトメアの額が、矢を放った瞬間どこに来るのかを確実に予測した。


 ミリアに背を支えられながら、注ぎ込まれた聖属性魔法を自分の身体を媒体に魔法弓に全て吸わせたガイウスは、巨大な槍のような矢をナイトメアの額に向って放った。


 過ぎる威力の槍のような矢はナイトメアの頭の上半分を消滅させ、そのまま天井から跳弾して壁に当たり、脇腹に突き刺さった。


 巨大な馬体が倒れ、地響きがガイウスたちの元にも届いた。その時には、もう立っていられず二人とも地べたに座り込んでいたが。


 断末魔の一つも上げる事なく、ナイトメアの身体が内側から聖属性魔法で浄化されて腐食し溶けて消えていく。命の名残のように、太い前脚が宙をかいた。


「……成功だ。やっぱり、ミリアとならできると思った」

「成功だ、じゃないですよ! 怪我だらけじゃないですか……、も、もう、もうこの作戦は嫌ですよ?!」

「それは約束できないかな……似たような状況になったら、俺はもっかい、やろうって言う」

「……なんで……」


 ミリアは半泣きになっている。その手の中に、上級の魔力回復薬を載せてやり、自分も中級の体力回復薬を飲んでさっき内側から裂けた傷を治していきながら、ガイウスはまた考え込んだ。


「……仲間、だから? かな」

「仲間……」

「パーティってほら、契約みたいな所があるじゃんか。でもミリアとの冒険は……こう、仲間、って感じがする」

「……仲間、は、ガイウスさんにとって特別、ですか?」

「うん、すごく特別だ」


 血の跡だけが残り傷の消えた顔で、ガイウスはまた笑った。


 ミリアは魔力回復薬を一息に飲み干すと、深く息を吐いた。


「それ、私以外の人に言ったら、拗ねますからね!」

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