3話

───昼休み。蒼衣は担任教師の佐々木に申し付けられた通り、慧に簡単な校舎案内をすることにした。保健室や図書室、購買部、部活棟——ひと通り説明を終えたところで水斗が合流し、3人で昼食を摂ろうという話になったので、彼等は生徒へ開放された屋上に来ている。

「深泉さん、その目、どったの?」

 ベンチに座って購買部で入手した軽食を頬張っていた時、天気の話をするような気軽さで水斗が発した言葉に蒼衣はがちりと硬直した。

 慧もあまりの唐突さに目を丸くしている。蒼衣は喉に詰まりそうになったパンの欠片を飲み込み、水斗の頭を引っ叩いた。

「こらお前、デリカシーってもんがあるだろうが!」

「いや、変に窺われるのとか、やじゃね?」

「そりゃお前の主観だろ!」

 言い合う二人に挟まれ、食べかけのおにぎりを手に持ったままぽかんとしていた慧だったが、当事者を無視して加熱していく言い争いが面白くなってきて、思わず吹き出してしまった。

「…………ふふっ」

 慧の小さな笑い声に、ぴたりと二人の動きが止まる。

 シンクロする蒼衣と水斗の動きに抑えきれない笑いを漏らしながら、慧は包装紙の上におにぎりを置いて、二人に向き直った。

「いいわよ別に。見る?」

「えっ……」

 慧は顔の右半分を隠すよう垂らしていた前髪を耳に掛ける。曝された右の目元は、眉上あたりから頬骨の下までが黒いアイパッチに覆われていた。

「昔、ちょっとした事故で右目を怪我しちゃって。見えないし、光にもちょっと過敏だから、こうして隠してるの」

 髪を垂らしているのも目立つんだけど、これをそのまま見せるよりはマシだから。

 そう言って笑うと、慧はまたするりと前髪を戻した。

「もう痛んだり、しねぇの……?」

「随分昔のことだから、平気よ。片側しかない視界にも慣れたわ」

「そ、そっか。何か困ったことがあれば言ってな。俺らでフォローするし」

 ぎこちない笑顔で蒼衣と肩を組む水斗に、慧はありがとう、と微笑んだ。

 ただ、反応が違う者が1人。慧の背後、恐ろしい形相で“例の”女性が水斗を睨みつけていた。

 まあそういう顔になるよな、と蒼衣は紙パックのお茶を啜りながら嘆息する。

 昔の事故、というのは気になったが、本人が過去と割り切った態度をしている以上、こちらが変に気遣う方が慧は嫌だろう。

 しかし、片目を前髪で隠した姿はやはり目立つ。クラスの連中にそこまで良識の欠けた人間は居ないと思うが、何かあった場合は助けられるよう、注意しておこうと思った。

ストローを噛み、グラウンドに視線を飛ばす。ドッジボールやバスケット等、束の間の休息にはしゃぐ生徒の賑やかな声が屋上まで飛んでくる。いつも通り、変わらない昼休みの光景だ。もうすぐチャイムが鳴って、この賑やかなグラウンドは蜘蛛の子を散らしたように静けさを取り戻す。

 昼休みはあと何分残っているだろうかと、蒼衣が腕時計に視線を落とした刹那。


 ぎぃぃぃ——

「っ!」

 突然耳を劈いた音に、蒼衣は飛び上がった。屋上に備え付けられたスピーカーから、鼓膜を鑢で削られるような不快な音が響いている。

「……っノイズ酷いな。スピーカーぶっ壊れてるんじゃないか?」

 耳を抑え眉間に皺を寄せる蒼衣に、水斗はスピーカーを見上げて首を傾げた。

「確かにちょっと聞こえるけど、そんな酷いかぁ?」

「え……」

 蒼衣には錆びた鉄の扉を無理やり開けるような音に聞こえたが、水斗には聞こえていなかったのだろうか。

 見れば、慧も何でもない顔でスピーカーを見上げ、首を傾げている。

 しかし、彼女の後ろに控えた女性は違った。スピーカーを睨みつけ、そして——

『——、———』

 すっと膝を折り、彼女は慧の耳元で“何か”を呟いた。

「…………!」

 蒼衣はスピーカーに気を取られている振りを続けながら、視界の端に映る慧の様子に内心で血が冷えるほど驚いていた。

 慧はほんの僅かに顎を下げる程度——つまり、周囲の人間が気づかない程度、彼女に頷き返したのだ。

 ――この子、俺と一緒か。

 初めて教室で彼女――和装の霊と慧の様子を見た時から気になっていたのだが、やはりそうだ。間違いなく慧は霊が見えている。

 加えて言えば、あの霊はいつでも慧の半歩後ろに控えている。蒼衣はアニメや漫画でしか見聴きしたことはないが——もしかして二人は主従関係にあるのではないだろうか。

 例えばそう——陰陽師と式神とか。

「まさか、な」

「蒼衣ー、さっさと片づけて教室戻ろうぜ。次の授業遅れちまう」

 さっさと自分の分のゴミを纏め終えた水斗が時計を指さすのを見て、蒼衣も適当に返事をして立ち上がった。

「ねえ、柑崎君」

「へっ?!」

 ふいに耳元で聞こえた慧の声に、蒼衣は思わず持っていたパンの包装紙を取り落とした。

「……な、なに」

 慧は包装紙を拾い上げ、自分のゴミと纏めてビニール袋の口を縛りながら顔を上げる。

 彼女の漆黒の瞳に全てを見透かされているようで、ざわりと首筋が粟立った。

「本を借りたいの。放課後、図書室に付き合ってくれないかしら」

『先程の音について、お聞きしたい事がございます』

 慧の言葉に続いて、和装の霊が初めて蒼衣に話し掛けてきた。川を流れる清流のような、澄んだ静かな声だ。

 蒼衣はごくりと生唾を呑み、頷いた。

「——いいよ、分かった」

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