1章40話 お互い様

「え……」


 驚いているような悲しいような顔。

 酷く喉が渇く、心臓が早鐘のようになるせいで痛くて痛くて辛い。今だって気を抜いてしまうと言葉と共に胃に溜まるものが全て逆流してしまいそうな程に具合が悪い。言ってしまった、言わなければよかった……頭の中が後悔の一色で埋まっていく。それでも出した言葉を戻す手立てはない。


「もう伊藤さんと関わるのをやめるよ。きっと今回の件で分かったはずだ。伊藤さんに見せていた俺は見せかけだけのもので、本質は平気で人を甚振れるような存在なんだって」


 自分で言っていて何だが辛い。

 自分で自分がそんな人だとは思いたくはない。でも、実際はそうだったんだ。現に池田に対して平気で毒の短剣を刺しては抜いてを繰り返していたし、長く嬲れるように回復の短剣だって使っていた。そんな奴を誰が好むんだろうか。少なくとも俺は好きにはなれないかな。


「それは……」

「俺も池田も似たような人だったんだ。それなのに伊藤さんに近付いてしまった。俺が決めたことでさえ、俺自身が破って伊藤さんを危険に晒してしまっている。そんな厄介者なんて必要ないだろ」


 思っていない事を平気で言える自分が嫌だ。

 自分を嫌いになるのは簡単だとか知識としてはあったが……確かにそうだよな。俺の良いところを見つけようとしても何も思い浮かばない。グランやフィラは俺が戦えることを褒めていたが、それは出来なければ死ぬから努力しただけの話。


「何もかにもゼロにしよう。池田達からのヘイトは全部、俺が何とかするからさ。陰ながらではあるけど伊藤さんは守るよ」


 勇者だとか騎士だとか。

 そういう人を守る存在になるつもりはちっともない。だけど、一時でも好きになった人は守る。本当は一緒にいたいって強く思っているからね。少しでも気を抜いたら泣いてしまいそうなくらいに辛くはあるんだよ。伊藤さんは……俯いてしまっている。そんなに伊藤さんも辛いのかな。


「あの」

「ん……?」

「私の事……嫌いになってしまったんですか……」


 しっかりとした言葉使い。

 それでも弱々しくて……泣き出しそうな声を絞り出している。本来は優しく「違う」って返すのがベストなんだろうけど……今は離れるために何とかしないといけない。強く返すのはしたくないから……なんて言えばいいんだろ……。


「そんなわけ……ないよ」

「でも……私って何も出来なくて……いつもショウさんの足を引っ張ってばかりです。……嫌われる要素が多過ぎて……本当は嫌いですかって聞くのさえ烏滸がましいとは……思っています。最初から私のこと……嫌い……だったかもしれませんし」

「嫌いなら一緒のパーティになっていない」


 それに嫌いなら……ここまで苦しんでいない。

 口から零れてしまいそうになる。だが、ここは我慢しないといけない。ワガママだとは思うけど嫌われないような言葉は使う。それでいて伊藤さんと離れられるような返しをしないと……そうなると、とことん難しいな。


「なら……やっぱり、あの女の人の方が良かったからですか……?」

「あの女の人……」

「ちょっと前まで……一緒にいた女性です。ものすごく綺麗で……ショウさんとも親しげでした」


 ああ、フィラのことか。

 伊藤さんとフィラ、どちらの方が大切か。フィラは確かに大切ではあるけど……それは異性としてでは無い。あの姿を見た後であろうと俺が一番に愛しているのは伊藤さん一人だけだ。だが、それを口にしてしまえば俺は伊藤さんから離れることは出来ない。


「あの人はフィラだよ。あれが本来の姿だったらしいんだ」

「そう、だったんですね」


 内心、疑っているんだろうな。

 それでも俺が口に出来るのは真実でしかない。フィラに女性としての魅力を感じなかったかと聞かれれば、それはノーって言うよ。だけど、俺の好みは完全に伊藤さんなんだ。本当はそう行ってあげたいのに……駄目だ、戦う時のような勇気が湧いてくれない。


 どうすればいいのか分からない。

 今更ながらに本心を曝け出したい気持ちと、このまま突き放して何もかにもをゼロにしたい気持ち、そして何も失わずに俺の望むことを達成したい気持ちで板挟みにされてしまっている。葛藤し続けるしかない、こんな短時間で考えるべきでは無い議題なんだろうなぁ。


「これだけは言っておくよ。少なくともフィラより伊藤さんの方が好きだ。でも、それでは伊藤さんを守ることは出来ない」

「私が……弱いから、ですよね」

「それは違う!」


 無理やりに出した言葉。

 それとは真逆に伊藤さんの言葉を強く否定してしまった。後悔はしている、だけど、そんな馬鹿げた理由で離れたいと思っているって勘違いされるのだけは絶対に嫌だ。強かろうと弱かろうと伊藤さんの価値が変化するわけじゃない。俺が好きになった伊藤さんは……。


「ごめん……でも、違うんだ。仮に弱いとしたら伊藤さんじゃなくて俺だった」


 そう、ただそれだけの事。

 俺の心が弱かったから、そして伊藤さんを守るだけの力が俺には無かったから……どちらが欠けても駄目だというのに俺には無い。ずっと後ろ指を指されているかもしれない、不意の伊藤さんへの一撃を守れないかもしれない……そんな劣等感ばかりが先走ってしまう。


「なら……何でですか」

「それは……」


 好きだから、その一言に限られてしまう。

 好きだから離れたい、離れて伊藤さんが目をつけられないようにしたい。そうしてしまったら俺は城から出られなくなってしまうが……そこは追い追い考えていけばいいさ。手なら幾らでもあるわけだしな。だけど……マズイな、話せば話すほどに正当性のある言い訳が思いつかなくなってしまう。


「気持ちは……伝えてくれないと分からないですよ。理由も無く離れられるのは……嫌なんです」

「……分かるよ」


 それでも……口になんて出来ない。

 好きだと言って……仮に強く拒否されたら。タラレバの仮定の話は好きではないが、だとしても、本心を知りたくなんてない。全てが良い方向に進むわけでは決してないんだ。幸運が最高値であったとしてもガチャでハズレが出るのと同じようにな。だから……何も言えない。


「……私、気が付いたんです」

「……ん?」


 か細い伊藤さんの声が短い沈黙を破った。


「ずっと自分を信じられなくて……何も出来ない癖に負けたくないって強く思っているような最低な人間だったって」

「人間なら負けたくないのは当然だよ」

「違います、適当に返して済ませることをしたく無くなってしまったんですよ。日本にいた時には出来ていたことなのに……そうしようとするとショウさんの顔が頭に過ぎるんです。何も出来ない状況を見せ付けられた時だって何だって」


 苦しいんだろうな、俯いてしまった。

 俺だって本当は顔を背けたいよ。雑に返して簡単に捨てられる関係なら初めからそうしている。だけど、俺にはそうする権利なんてない。勝手にパーティに誘っておいて、嫌われることを恐れて離れようとしているんだからな。人として最低なのは伊藤さんではなくて明らかに俺だ。


 だと言うのに……伊藤さんは顔を上げて俺の目を見詰めてきた。こんな人として底辺に近い俺を憐れむわけでもなく優しい目を向けて……ニッコリと笑いかけてくれるんだ。何気ない行動に俺は惹かれていったんだろうな。


「弱いながらに魔法を放てたのだってショウさんを助けたいと思えたからです。仮に違う人だったならば逃げてしまったと思います。ショウさんが私を嫌いになってしまって離れたいのなら……私はもう前へは進めません。だから、離れたくないんです」

「生き残るために俺が必要ってことかな」

「違います! 心の拠り所だからです! 何をしても、どうなろうともショウさんが大好きだから離れたくないんです! 前へ進みたいって思えたのもショウさんがいたからこそです!」


 時が止まったような気がする。

 今、伊藤さんは何と言ったのか。聞き間違いでなければ……いやいやいや、きっと映画とかによくある生き残るための戦略の一つで……って、そうやって誤魔化すのは良くないか。違う意味で心臓が早くなったし喉も渇いてきた。えっと……こういう時にどんな顔をすればいいのかが分からないな……。


「好き……?」

「当然です。戦えない私を守ってくれて、戦えるようにと尽力すらしてくれて……そこまでされて好きにならない人なんていません。寝れない時だってショウさんの寝顔を見て気持ちを落ち着けていましたからね!」


 待て待て待て……確かに鍵はないけどさ。

 えっ、ということは何度も伊藤さんは部屋に忍び込んでいたってことか。少しも気がついていなかったんだけど。……思い返してみればタオルとかコップの位置が変わっていたような気はする。いや、それで気が付けと言う方が無理だろ。女の子に「今日、変わったことない」って聞かれるとの同じ位に無理な話だって!


「池田と話をしている時に菜奈って呼んでくれたのだって本当は抱き着きたかったんですよ。さすがに倒れた池田を見た時は怖いとは思いましたけど……その後に私を守るためにしてくれたんだよなぁって思ったら嬉しくなったんです」

「あの」

「笑っている姿もカッコよかったですし、それを伝えたら寝ようと思っていたんですけど……離れたいなんて言われてしまって……これで一生、会えなくなってしまうのなら本心くらいは話させてください」


 おっと……ものすごい早口だな。

 なんと言うか、子供が親のことを自慢する時のような感じだ。それだけ俺を誇らしく思ってくれていたのなら嬉しいことこの上ないけど……本当に信じていいのかな。というか、これって夢とかではないよな。……うん、頬を軽く引っ張ったけどすごく痛い。ってか、強くやり過ぎた。


「ショウさんは私の英雄ヒーローなんです。在り来りな表現かもしれませんが本気でそう思っています。何も出来ない私の背中を押してくれる大切な人なんです。分かっています。会って一週間も経っていない人を大好きになってしまうなんておかしいって。だけど……」

「そっ、か」


 俯いて何も言わなくなってしまった。

 何も……おかしいことではない。それでも普通ではないよな。一週間で人を好きになるなんて滅多に有り得ないだろ。お互いに惚れやすい性質だからか、それでも別にいい。惚れやすかろうがなんだろうが好きになってしまったことに変わりは無いからね。


 だけど……こんな真剣な姿を見て誤魔化すなんて俺には出来ない。小さく細かい呼吸をして無理やり酸素を肺に送り込む。戦闘の時以上に頭をフルに回して使うべき言葉を考えた。言っていいのかは分かりっこない……それでも……。

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