1章38話 目覚め

 伊藤さんが消えてすぐ池田が突撃してきた。

 速度に関しては言っては悪いが遅い。まぁ、少なくとも俺よりは早いんだろうが……どうしてもグランと比べてしまう。これで俺を雑魚扱いしていたのかと思うと少しだけ頭が痛くなってしまうよ。


 とはいえ、受けるわけにもいかない。

 池田なりの考えがあっての突撃だろうからな。下手に体で受けて何かあっても意味が無い。舐め腐って雑に詰めてきた説も……ああ、確実にそれだな。現に躱されたことに驚いているし。いやいや、一度、不意の正拳突きを躱しているんだから突撃なら尚更、余裕だろ。


「や、やるじゃないか」

「それが本気か? 随分とトロいな」


 軽い挑発を入れておく。

 悪いが俺は誰にでも優しい人ではないからな。自分に、もしくは大切な人に危害を加えてこようとする奴に騎士道精神なんて発揮しない。ましてや、俺が弱いことなんて当人が一番に理解しているからな。だからこそ、池田みたいにプライドが高いだけの男は煽る必要がある。


「調子に、乗るなァ!」

「そうこなくっちゃ」


 そうだ、冷静さを欠け。

 グラン相手に煽りが効かないことは重々、承知していた。それは煽ったところで後々の関係に罅が入るだけだったし、何よりも兵士長という肩書きを備えながら安い挑発に乗るとは思えない。だが、池田相手だと話は別だよな。コイツは日本で好き勝手に生きてきたんだ。全てが自分の思い通りに運ぶと思っている馬鹿野郎。そんな奴がぽっと出の野郎にコケにされたら……。


「まだ本気は出さないのか」

「うる、せぇッ!」


 おっと、この一撃は危なかった。

 グランに比べて遅いとはいえ、それでもステータス上は格上だ。侮らないようにしないといけないよな。そこだけは俺の落ち度だ。まぁ、謝る気なんてサラサラ無いし……躱すと決めたら二度と池田の攻撃は俺には当たらない。


 一つだけ深呼吸をする。

 すぐに拳での連撃が始まったが気にすることはない。少しでも加速していたのならば当たるかもしれないと思えたが未だに振るうだけ。本気で当てようとしているように思えない。……恐らくだけど池田の場合は戦い慣れているのではなく喧嘩慣れしているからだろうな。どうしても大きな振りで攻撃を当てようとしてくる場面が多い。


「おい」

「なんだ?」

「言う割には逃げてばかりだな。どうした、俺が怖いのか?」


 ……ああ、池田なりの挑発みたいなものか。

 怖い……確かに少しはそれもあるな。俺は確かに怖がっている。冷静さを欠いて獣のように敵を倒そうとしてしまうことをね。俺は弱いからこそ闇雲に突っ込んだところで勝てはしない。なのに、池田を殴りたい感情があるせいで無謀にも距離を詰めたいと思えてしまうんだ。それがとてつもない程に怖い。


 だから、深呼吸を何度もする。

 池田は熱くさせ、俺は冷静に。これさえ守れば負けることは確実にない。リーチの短い拳なら尚のことだ。単調な攻撃をより単調にさせれば躱しやすいのは当たり前のこと。池田がそれに気が付かない限りは……俺に負ける理由は一つたりともありはしない。だからこそ、今は躱し続ける。もう二度と伊藤さんに手を出せないようにするために……今は我慢しろ。


「怖くは感じているさ」

「へぇ」

「お前を殺してしまわないかってね!」


 毒の短剣を池田の前に投げておく。

 一瞬だけビビったようだが手をクイクイと前後に動かしてみたら突撃してきた。この調子で煽り続けよう。……ってか、面白いくらいに池田の顔が真っ赤に染っている。こりゃあ、ゴリラじゃなくてお猿さんだな。性欲しか頭にない人の事も猿って形容するし丁度いい。コイツは今日からゴリラ・サルだ。


「くっ、そ!」

「はいはい、こちら。手の鳴る方へ」


 本当に工夫のない連撃だ。

 この程度なら勘に頼らずとも簡単に避けられるだろう。まぁ、さすがに手を抜くなんてことはする気もないけど。守るものが無いのなら負けてやっても良かったが……今回はそうもいかない。負ける=伊藤さんが襲われるだからな。なら、俺は何をしなければいけないか。分かりきっている、池田をバテさせてから毒というものを教えてやるだけだ。


 お、急に攻撃の手が緩んだな。

 さすがに数分も腕を振るい続けたらバテるか。うんうん、分かるよ。俺もグランとの模擬戦の時は内心、倒れ込みたいくらいにスタミナ切れをおこしていたし。後、二十分は躱し続けられたんだけどなぁ。……まぁ、いいや。俺は俺でしなければいけないことをするだけ。少なくともバテているからといって油断はしないぞ。


 毒の短剣を戻して投げる。

 頑張ってキャッチしたみたいだけど……本当に馬鹿だねぇ。刃を掴むやつがどこにいるんだか。すぐに触れた場所の皮膚が溶け始めて嫌な匂いがし始めた。少し俺に対して恐れを抱き始めたみたいだけど知ったこっちゃないなぁ。手元に戻して再度、投げつける。


「空掌!」


 へー、そんな奥の手があったのか。

 いやいや、残念。短剣を弾かれてしまったよ。運良く俺の顔の右を通っていった。少しでもズレていたらカウンターが成功していたねぇ。まぁ、弾いたとしても、俺目掛けて弾いたとしても意味が無いんだけどな。刻印のおかげで手元に戻すのは簡単だし、運が関わることで俺は負けない。だが、弾かれ続けても面倒だ。


「ィ……!」


 スタンロッドで雷を流してみた。

 ふむ、思っていた以上の効力があるみたいだ。まな板で跳ねる魚のようにビクンビクンして暴れている。それでも攻撃の手が出ない当たり痺れから勝手に体が動いているんだろう。……近付いてやられても何だから……。


 短剣を戻して投げてみる。

 オーケー、空掌とやらも使うことが出来ないみたいだ。急所を狙わなくてよかった。これで死なれたら困ってしまうからね。問題事を起こして名前が知れてもマズイし……いや、それはもう遅いか。だったら……少しは気を遣わずに動いていいか。元はと言えば伊藤さんを襲おうとした池田が悪いし。


 二度とそうさせない為には……。

 まずは御自慢の両腕から使えなくさせるか。その後は……足かなぁ。いや、待てよ……二度と女の子を襲えなくさせたいのなら……アレを潰してもいいかもしれない。俺が潰すのは面倒だが……まぁ、伊藤さんの為だ。おし、男としてのコイツは殺させてもらおう。


囁きの壁ウィスパー・ウォール。これで君がいくら騒いでも周囲には届かなくなった」

「な……何をするつもりだ?」

「いやいや、分かっているでしょ。そもそもの話でさ、何で俺がお前と戦うって決めたか。まさかとは思うけど負けないと思っていたから負けた後のことは考えていなかったって言わないよね」


 ニッコリとイケメンスマイルを作る。

 いや、自分で言っていて恥ずかしくなったな。それに見せるのなら伊藤さんに見せたい。なんでこんな糞みたいな野郎に見せてしまったんだ。後悔しか残らないじゃないか。ああ……本当にイライラするなぁ。気晴らしに短剣を股間に投げつける。


 あ、初めて外した。

 まぁ、いいや。別に外したところで問題は特に無いし。……ってか、頭に過ぎった魔法を使ってみたけど本当に上手く出来ているのかな。今更ながらに心配になってきた……が、どうせ、コイツの口から俺の行動はバラされるんだ。声が響こうが些事たる問題だね。もう一度、次はしっかりと狙って短剣を投げつけた。


「い、ギィァァァ!」

「良い悲鳴だ。きっと君に抱かれた女の子も同じような悲鳴をあげたかったんじゃないのかな」


 助けを乞うような目をしてきたが……。

 当然だけど無視だ。わざわざ俺と戦うために伊藤さんを交渉の素材にしたんだ。襲うかもしれないだとか……ふざけんな。襲う側にはデメリットが無いかもしれないが、襲われた側には……口には出せないような深い傷が残るだろ。それで仮に伊藤さんが自分で命を落としてしまったら……。


 ああ、駄目だ。本気で殺してしまいそうだ。

 我慢しないといけないなぁ。だって、そんなことをしても面白くないし、伊藤さんに嫌われかねないからさ。まぁ、最悪は回復の短剣で治してあげよう。股間は治さないけどね。


 さてと、もう少しだけコイツに毒の怖さを教えてあげよっと。コイツが俺と戦いたがった理由が毒に慣れるためだったようだし。そうされても仕方が無いよね。池田との距離を詰めて毒の短剣を振りかぶった。






 ◇◇◇






「ショウ! 何をしているんだ!」

「へ……?」


 みっともない声が出てしまった。

 えっと……グランか。俺の肩を掴んで揺さぶってどうしたんだろう。……グランの後ろには伊藤さんがいる。けど、いつもとは違って笑っていないな。何か恐ろしいものを見ているような……それでいて悲しそうな顔をしている。


「どうしてイケダを再起不能にしたんだッ!」


 池田を再起不能にした……か。

 よく分からず周囲を見渡してみる。確かに俺の足元には蹲って何かを呟く池田がいた。上半身に着ていたであろう服はボロボロで切り傷が酷く、何度も血が出たんだろう、真っ赤に染っている。だが、怪我一つも見当たらない。……ああ、そっか。


「な、なんで笑っている」

「すいません……少し抑えられない感情があったんです」


 笑っている理由は知らない。

 目元も少しばかり緩んでいる気がする。なぜだろうか、とてつもなく気分がいいんだ。ずっと前から俺はこうしたかったような……そんな感情が今の俺にはある。すごく気持ちが悪いモノ感情なんだろうけど……ちっとも後悔はない。


「……一人にしてください。明日、何があったのかを話します」

「……そうか、分かった」


 グランが優しい笑顔を向けてくれた。

 それだけで幾分か気分が和らいだ気がする。分かっている、例え後悔が無くとも俺がしたことは間違いなく悪だ。痛めつけるにしてもここまでいくと拷問でしかない。……もしかしたら他の転移者と同じで俺も舞い上がっていたのかもしれないな。申し訳ないけど少しだけ考える時間が欲しい。


 伊藤さんに笑みを向けて場を後にした。

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