1章32話 初見殺し

 だが、その笑みは一瞬で消える。

 俺の投げた短剣が頭を貫いてしまったせいだ。だからこそ、何を思って笑ったのか分からない。だって、死を間近にして笑えるヤツなんていないからな。まさか、とち狂ったのか。動けなかったのも俺への恐怖ゆえか……いや、そんな甘い考えをしてはいけない。


 短剣を戻して構え直す。

 勘が投げることを拒んでいる。幸運のおかげで勘はかなり鋭いからな。きっと、これも何かが起こる予兆なんだろう。目線を戻しゴブリンリーダー達を睨み付ける。何がおかしいのか分からない。だというのに、残った二体のゴブリンリーダーは「ギャハギャハ」と大笑いしている。気持ちが悪い、殺したい……そんな負の感情だけを湧き上がらせてくる。


 不意に笑みが消え無表情へと変わった。

 明白な変化、向かってくるかもしれない。すぐに短剣を構え直す……が、無駄だった。ゴブリンリーダー達が光へと変わってしまったんた。何の脈絡も無くいきなり消えていく。それでも勘が警鐘を鳴らし続ける。終わるわけがない、きっとこれから起こることを予期して短剣を投げてはいけなかったんだ。


 白い煙が渦を巻く。

 短剣を斬るためではなく投げるために構え直す。そして数秒と経たずに煙は消える。最初の時とは大違いの速さだ。サッと伊藤さんを見てから煙の先を見つめる。そこにいたのは……新しい絶望だった。


 ゴブリンリーダーがいる、そこは変わらない。


 魔物が百体はいる、そこも変わらない。


 では、何が変わったのか。

 それは一目見るだけでも分かる変化だった。ゴブリンという最弱種は一体としていない。杖を持つもの、剣と盾を持つもの……全てゴブリンリーダーの進化種であるゴブリン達ばかりだ。そして一番に違うことは……。


「俺を狙ってくるのか!」


 伊藤さんには目もくれず走り出してきた。

 杖を持つゴブリンは恐らくゴブリンマジシャンで、剣と盾を持つゴブリンはゴブリンナイトだろう。ざっと見た感じゴブリンナイトだけで六十体はいるかな。ソイツらがいきなり俺へと走り出してきたんだ。数が多いせいで逃げるってことは難しいだろう。


 少なくとも……毒はまだある。

 ゴブリンナイトと言えどもヒュドラの毒に触れてタダで済むわけがない。現に数体は踏んだせいで足が溶けて死にかけている。だというのに、ゴブリンナイトは突撃をやめないんだ。確実に何かある、ならば、なんだ? 頭をよく回せ。少なくとも毒がある今しか時間は稼げない。


 何をしようとしているのか。

 そんな考えの中でゴブリンマジシャンの詠唱が止まった。魔法を撃ちやめたか、いや、そんな事あるわけがない。その考えが当たったからか、すぐに大きな揺れが響き渡る。足元がふらつくが倒れるわけにはいかない。何をする気か考えることもせずに後ろへ飛んだ。


 嫌な予感がしただけ。

 だが、飛んで正解だった。俺が元いた場所には既に幾つもの土の刃が地面からせり出している。三十はあるから……一体につき一本生成したって感じか。この揺れも俺を磔にさせるために……そう考えると身震いしてしまう。よくもまあ、こんなにも残酷な攻撃を出来たものだ。……毒で苦しませて殺す俺が言えたことではないか。


 腕に魔力を流す。

 丁度いい、新しく手に入れた能力があるんだ。こういう場面こそ、使い勝手がいいだろう。俺達がいる場所は……広さ的には一キロメートルは軽くありそうだな。だが、ゴブリンナイトは密集してくれたおかげで近づいてくれさえすれば殆どが射程圏内に入るだろう。失敗したなら……その時にまた考えればいい。まずは使えるかどうかが問題だ。


 前進を続けるゴブリンナイトと向き合う。

 毒は……消えている。きっと今の土の槍を地面に通している際に毒を地面の中へと吸い込ませたんだろう。これは少しだけヤバい、が、些事たる問題ではない。最悪な考えではあるが一番の問題は俺が死ぬまでに打開策を見つけられないこと。毒はまた撒けばいいだけだからな。


 とはいえ、まずは間引きをしないと。

 残っていた毒で殺せたのは……七体か。六十体程は元気に俺を殺しに向かってきている。おうおう、これは本当に最悪な展開だな。だけど……不思議と俺なら勝てるって思えてしまうんだよ。これも幸運が囁いてくれているのかもしれない。


 毒の短剣を構える。

 ゴブリンナイト達の速さからして二回は投げられるか。その後はどうすればいい。ただ攻撃するだけでは盾で防がれてしまうだろう。武器の重みで鈍足とはいえ、俺の速度で蟻レベルで群れているゴブリンリーダー達の間を縫えるだろうか。


 いや、違う、やるしかない。

 こういう時は俺の最大のチートである幸運頼りだ。そのためには真ん中を走っているゴブリンナイト達が邪魔だな。毒の短剣に魔力を流して前を走るゴブリンナイト目掛け投げる。掠るだけで死んだゴブリンとは違って二十はいる中の直撃した五体以外は一撃では殺せなかったようだ。まぁ、そのうちの半数以上が倒れ込んで息も絶え絶えになっているけどね。


 壁に当たる音と共に回収。

 周囲を確認してすぐに横の場所を通るように短剣を投げる。今回は十七はいるゴブリンナイトの一体も倒すことは出来なかったが殆ど壊滅状態、元気に動いているのは三体だけだ。もう一回……は確実に無理だな。最前列を走っていたゴブリンナイトの剣を後ろへ飛んで躱す。他のゴブリンナイトの位置からしてやるならここしかないだろう。


「ギギィ」

「汚い顔だな」


 右腕を突き出して魔力を流す。

 ようやくイヤホンの能力を使えるくらいの魔力を流せたからな。ここで効力が低かったら他の戦い方で勝ち目を増やすだけ。少なくとも失敗した瞬間に俺の残基は一つ減るだろうな。だが、そんなことで躊躇ってはいられない。


 目の前のゴブリンナイトを睨み付ける。

 対象の選択というのが未だに分からないが意識を敵に集中して魔力を一気に流す。途端に叫び声が響き渡った。汚く人とは思えないような甲高い悲鳴だ。能力を使っておいてなんだが俺の方が耳を塞ぎたいレベルで煩い。チラッと後ろを見る、二人は驚いた顔をしているだけで耳を塞いだりとかはしていない。


 これは効果があったってことだよな。

 目の前のゴブリンナイト達の耳からは赤い液体が流れ出しているし、顔はより醜く強ばっている。対して後ろの二人への影響は大して無さそうだ。これで上手く扱えていないのだったら使い方を教えて欲しいくらいだ。いや、そんなことはどうでもいいか。今はやれることをしなければいけないな。


「聞こえていないだろうが、死ね」


 耳を塞いで怯んでいる敵を斬る。

 標的が消えたことに気がついたのか、すぐに体勢を立て直そうとし始めたが遅い。なまじ、グランより少し大きい体躯のせいで屈んだ俺を簡単には見つけられないだろう。それに何よりも腕輪の能力である認識阻害も働いているからな。見つけられたとしても、その時にはもう斬れる距離にいるから意味が無い。音を聞こうにも前衛であるゴブリンナイトの耳は全て破壊した。


 少しずつゴブリンリーダーへと走りながらゴブリンナイトを切り刻んでいく。掠るだけでは殺せないが首元を斬ってしまえば後は時間の問題だからな。ゴブリンナイトと言えども所詮はEランク、ヒュドラの毒が体の中に入って対処出来るはずもない。


 斬って斬って斬り続ける。

 得物が短剣でなければ楽だったかもしれない。いや、それだとヒュドラの毒を使うことは出来ないか。それに小回りが利かない分だけやはり俺には向いていなさそうだ。フッと自嘲してゴブリンナイトの首に一文字を書く。これで三十は首を掻ききっただろうか。


 ようやくゴブリンナイトの肉壁から出れた。

 俺が出てくることは全くの予想外だったのか、ゴブリンマジシャンは急いで詠唱を始めたが……さすがに許すわけにはいかない。毒の短剣をゴブリンマジシャンの足元へ投げる。これでゆっくり詠唱してはいられないだろう。


 急いで毒から離れるゴブリンマジシャン達だが数体は逃げられなかったみたいだな。加えて半数は足が潰れて移動が不可能、その状況でも毒の水溜まりは大きくなっているからアイツらも時期に死ぬ。


 だから、すぐに回復の短剣を投げた。

 方向はゴブリンナイト達、一緒に認識阻害も消したから俺の位置に気が付いたはずだ。一体が向かってくれば他の奴らも同様に向かってくると踏んでやってみたが……予想通り過ぎた。ゴブリンというのは本当に進化しても馬鹿らしい。だが、今はそれがとてつもない程に有難い。少なくとも標的が伊藤さんへ変わることは免れたからな。


 後は残党を狩ればいいだけ、最初のような圧倒的な数で押してくる威圧感は今となってはない。元気なゴブリンナイトは十体ほどだし、ゴブリンマジシャンに至っては四体しか戦えそうな者はいなさそうだからな。……まぁ、一つだけ怖いのは笑みを浮かべ始めたゴブリンリーダーくらいか。


 それでも萎縮する必要は無い。

 俺がしなければいけないことはゴブリンナイトの首を狩る事だけ。二つの短剣を構え直して迎え撃つ準備をする。……だが、その構えは無意味に終わってしまった。ゴブリン達が光に包まれ始めたのだ。明らかなるデジャヴ、なのに、俺には止めるすべがない。変わっていく光景、すぐに光が煙へと変わり……そして……ゴブリンリーダー達が現れた。

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