壇ノ浦の戦いの日


 ~ 三月二十四日(水)

    壇ノ浦の戦いの日 ~

 ※夫婦喧嘩は犬も食わない

  意味:ほうっておけ




 この春。

 俺に課せられた問題はいくつもある。


 旅行の行き先を決めること。

 旅行費用を貯めること。


 そして、もっとも緊急度が低いくせに。

 一番長く悩まされているのが。


 アイデンティティーについて。



 ひとまず、自分のアイデンティティーを、趣味で代弁させることにした俺だが。


 では、どんな趣味が俺にあるのかと問われれば。

 なにも返事はできない。


 だからこそ。

 こんな多趣味な奴が羨ましく感じて。


 さらに趣味を増やそうとするのを。

 甘受できなかったりするのである。


「お、教えてくれるって言ったのに……」

「事情が変わったんだ」

「けち……」

「不本意ながら一つしかない個性を取られてたまるか」


 壇ノ浦の戦いは。

 ほぼ海上戦。


 そして、持てる矢の数で勝敗が決したというのが現在の定説なんだが。


「こうなったら力づくで料理を教えてもらう……」

「そうはいくか。返り討ちにしてくれる」



 朝の自宅前。

 洗車をしたいと言い出した親父の命令で。

 庭の水道にホースをつないだ遅番の俺と。


 お店のオープン前。

 外の花壇に水を撒いていた、早番の。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 両軍による戦いは舌戦から開始され。

 挑発代わりに矢を射かけ合い。


 そしてとうとう。

 道路という名の関門海峡を挟んで。


 本格的な砲撃が開始された。


「驕る平家は久しからず。高性能な源氏砲を食らえ」

「こっちが源氏……。平家の矢なんて怖くない……」


 ホースの先を、ただ握った秋乃による水のアーチより。

 俺が放つ、洗車用ヘッドの方が勢いはある。


 でもこいつの言う通り。

 いくら収束させて勢いよく出ると言っても

 所詮、通販で手に入るような代物だ。


 水の動きをちゃんと見てれば。

 簡単に避けられる。


 お互い、靴はびっちゃびちゃだが。

 致命的なダメージは与えられない。


 よし、ここは。 

 策を弄そう。


「……あれ?」

「どうしたの? 矢が切れた? ……やっぱり、立哉君が平家」

「待て待て、そんなバカな! なんで急に水が出なくなった!?」


 ホースに取り付けたヘッドをいじりつつ。

 秋乃からの砲撃をひょいひょい避け続けていると。


 とうとう、向こうも心配になったらしく。

 入り口そばの蛇口を閉めて。

 のこのこ近づいてきた。


 ようし!

 今だ!



「かかったな! 食らえ正義の鉄槌! ほんとは壊れてなんかね……、じゃなかった。今直ったとこ。ほんとだよ?」



 驕る平家。

 三秒天下。


 さすがは秋乃。

 俺の猿知恵に気付いていたらしい。


 真っすぐ噴射した水流を、ひょいと避けると。

 あっという間に完成したその図柄。



 自動ドアの向こうに呆然と立ち尽くすカンナさんに。

 俺が水をぶっかけるというプチ下克上。



「……さて、何か言いてえことはあるか?」

「俺たちの喧嘩に混ざってくる方が悪い」

「そうか。不純物は水に流して排除って訳だな?」

「不純物なんて思ってねえよ。カンナさんは純粋。いよっ! 水も滴るいい女!」

「ははっ。そいつはいいオチじゃねガボガボガボ」

「顔上げるなよ。溺れるといけねえし、あと、すげえ怖い」


 びしゃびしゃになった店内から。

 のっそり近付いて来るカンナさん。


 俺は壇ノ浦を八歩で渡り切った牛若丸に水を浴びせたまま。

 門の内側までエスケープしたんだが。


「ひゃ!? た、立哉君、ストップストップ……」


 秋乃が何かに気付いてわたわたしてるから。

 攻撃を停止すると。


「うわわわわいんれっど!?!?!?」


 カンナさんの隣に並んだ秋乃が

 慌てるのも当然。


 カンナさんの、なんかもう大人な何かが。

 白いブラウスが透けて、それはもうはっきりとふわぁーお。


 上着をかけてやろうにも。

 秋乃も俺もシャツ一枚。


「ちょっ!? か、隠せ隠せ! 堂々とし過ぎだよ何やってんの!?」

「てめえが目を逸らせばいいんじゃねえのか?」

「ばかやろう! 見ちゃいけねえものから目が離せないという大きな矛盾を抱えたまま俺たち男子は大人になっていくのさ!」

「のさ! じゃねえ」

「ど、ど、どうすれば……、えい!」


 秋乃が必死に手でディフェンスしていたバスケットボールだが。

 どうあってもすり抜けて、俺のゴールネットを揺らし続ける。


 それにしびれを切らしたあわてんぼう。

 俺の目を塞げばいいのに。


 何をどうしてそう思ったのか。

 手のひらをこっち側にして。



 カンナさんの、目の部分を覆った。



「うはははははははははははは!!! お、大人しか笑っちゃいけねえ奴って分かってんのに笑いをこらえることが出来ん……!!!」

「そうだな。どうして今ので笑ったのか、吐いてもらおうか?」



 こうして、2021年、3月24日。


 カンナさん家の手によって。

 立哉家は滅ぼされた。


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