天ぷらの日


 ~ 三月二十三日(火) 天ぷらの日 ~

 ※左平目に右鰈

  意味:ヒラメとカレイの見分け方。

    ただの覚え方。深い意味はない。




「さっきから、食紅でなに書いてるんだ?」

「き、切り身になったから、右向きか左向きかわからなくて……」

「……目?」

「目」


 天才なくせに。

 平気でおかしなことをする女。


 舞浜まいはま秋乃あきのが。

 切り身に目を二つずつ食紅で書いていると。


 ため息をついた雛さんに。

 まな板ごと上下をさかさまにされて。


 ぎゃっと悲鳴を上げた。



 料理を趣味にしたい。

 秋乃がそんなことをつぶやいていたのを聞いた雛さん。


 ご親切にも、先生を買って出てくれたわけなんだが。

 申し訳なさ過ぎて涙が出るぜ。


「今度はなに書いてるんだ。……名前?」

「うん……。インド人っぽい方が、カレイ……」

「なるほど」


 さっきから余計なことばっかりして。

 肝心なことは全部雛さん任せ。


 きっと、ハンバーグくらいの料理を作れるようになるのはまだずっと先。


 こいつの孫の代だと思う。


「お前さあ、余計なことするなよ。なんで見分けつけたいの」

「あ、味の違いを勉強したいから……」

「その食紅で、食べる時に見分けがつくとでも?」

「な、名前書いたから完璧……」

「だったら、雛さんからの次の指示を聞いて悲鳴を上げるといい」

「え?」

「…………その切り身に衣をつけろ」

「ぎゃっ」


 天ぷらにするって言ってるじゃねえか。

 なんという無駄ムーブ。


 ほんとこいつ。

 ダメなことに関してはとことんダメなやつ。



 ヒラメとカレイの見分け方。


 絵に描いたように。

 お腹を手前にして置いた時。

 頭がどっちに来るかで見分ける。


 左ヒラメに右カレイ。

 

 文字数がまったく同じだから。

 左ヒラメか、左カレイか。

 どちらか分からなくなる人もいるらしいが。


 『ひ』だりだから。

 『ひ』らめ。


 そう覚えた方が安全だ。



「お? やってんな?」

「怪我はしないようにね」

「すいません、いっぺんに休憩取っちゃって」


 ワンコ・バーガーの厨房を借りて。

 休憩しながらお料理教室。


 暇な時間帯とは言え。

 店長一人でレジから厨房まで賄うのは大変そうだ。


 もちろんカンナさんは。

 マイナス一人分の労働力である。

 小太郎さんのおもりで手一杯。


「せ、先生。できました」

「よし。それを油にそーっと入れろ」

「無理です」

「……しょうがないな」


 こいつはさっきから。


 小麦粉とくとか。

 魚をさばくとか。

 油の温度調節とか。


 実戦的なことを何にもせずに。

 ただ、雛さんがやるのを見ているだけなんだが。


 いいのかそれで?


 確かに秋乃は。

 他人の動作を見て一発で覚えちまうような天才ではある。


 でも、料理は。

 経験が体に染みついてなんぼ。


 他人の動きを真似たところで。

 同じことは絶対できねえ。


「今みたいに静かに入れればいいから。やってみろ」

「手で?」

「無理に決まってるだろ。箸を使え」

「じゃ、じゃあ、そっちのバージョンもお手本を見せてください……」


 魚をさばくには、体が覚えてる勘どころがある。


 タネを作る時だって、慣れるまではダマだらけになる。


 でも、そうか。

 油の中に魚を入れる事なら……。


「うん。上手い。でも心配だからもっと箸を油に入れていいぞ?」

「はい……」

「そうそう。上手いぞ」


 料理特訓開始後。

 ようやく初めて褒めてもらって。


 秋乃は。

 真剣な仮面の内側で。


 随分嬉しそうに。

 ニヤニヤしていやがった。



 ……さて。

 なんやかんやで出来上がった人数分の天ぷら。


 衣の付き具合がまちまちなのに。

 さすが雛さん、どれもこれもいい感じに揚がってる。


 ヒラメとカレイを一つずつ。

 抹茶塩と共に六枚の皿に乗せてくれたから。


 それじゃ早速。

 アツアツをいただきますか。


 と、その前に。


「秋乃は、どっちがヒラメでどっちがカレイか当てられなかったら客寄せな」

「ひうっ!?」

「保坂は、違い分かるのか?」

「当然」


 どっちも淡白だけど。

 脂の味がしっかりしてる方がヒラメ。

 身に、深いこくがある方がカレイ。


「おお、美味い。今食ったのがカレイ」

「すげえな。お前、料理人にならねえか?」

「冗談じゃねえ。毎日料理させられてるのに仕事でも鍋振るえって?」


 俺が料理を作るのは高校のうちだけ。

 大学入って東京に戻ったら一人暮らしになるわけだし。


 絶対作らねえ。


「俺の将来のことはともかく、こいつの目の前のことを心配しようぜ?」

「なるほど」

「秋乃。どっちがどっちか分かったか?」

「こっちがヒラメ」

「おお。なんで分かっ……、俺の皿」


 そりゃ、俺が先に食った方がカレイなんだから。

 余ってるのはヒラメに決まってる。


 このやろう。

 もぐもぐしながらニヤニヤすんな。


 悪知恵で乗り切るんじゃねえ。


「おい! 冷めねえうちに、あたしと店長にも食わせろよ!」


 俺が、策士をにらみつけていたら。

 レジの方から、秋乃に助け舟が来たから一時休戦。


 厨房からバーガーを出すのと同じ要領で。

 レジの二人にお皿を渡すと。


 天ぷらを一口食べるなり。

 たいそう喜んで、褒めてくれたから。


 秋乃は、嬉しさをこらえきれずに。

 口元をむにむにさせていた。



 ……そうだ。

 料理は、誰かの笑顔のためにするものだ。


 そして、喜んでもらえることを知ったら。

 次も頑張ろうって気が湧いて来る。



 今、お前の中で。

 料理が。

 趣味になったってわけだ。



 伸びしろだけは人一倍あるからな。

 少しずつ成長して行けばいい。


 そして、店長とカンナさんに。

 心から感謝だな。


 実際に料理と呼べることをしたのは雛さんだってわかってるのに。


 秋乃を褒めてくれて。

 本当にありがとうございます。



 ……そんなお二人が。

 急に、短い声を上げる。


 一体どうしたのかと心配したんだが。

 大した話じゃなかった。


「おお! 皿の模様と保護色してて気づかなかったぜ。抹茶塩が添えてあったんだな!」

「え? ……ああ、ほんとだ! いやはや、気付かなかったよ!」

「あたし、最近パソコンの動画にはまっててな! 目に疲れ溜まってて……」

「ぼ、僕もね! 最近、読書にはまってて……」


 そして二人が、お皿を空にして。

 再びレジカウンターに向かうと。


 秋乃は、二人の背中を見つめながら。


 ぽつりとつぶやいた。


「左疲労目、右加齢」

「うはははははははははははは!!!」


 大笑いしながらも。

 俺は、失礼な秋乃にチョップしようとしたんだが。


 こいつはカレイにヒラテで受け止めて。


 俺のことを、もう一度笑わせた。

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