第5話 まるで、何か言いたそうな
「……何でもないはず、ないですよね」
トールは呟いた。
「おかしな人だなあ。相談と言っていたのに、大して相談、してこなかったですよね?」
「財布に不安があるのかもしれないよ」
店主はそんなことを言った。
「相談料を取らない、とは言わなかったからね。取るつもりもなかったけれど」
「成程」
納得したように、少年はひとつうなずいた。
「具体的な修理の話になれば、金額も出てきますもんね。マスターの推測によると、あのお客さんは『修理できないと言われたかった』、つまり、お金の問題ではなく諦めたかったのかもしれない」
「いいところを突くね、トール。私も同じように思う」
マスターもうなずいた。
「思い切ってリンツェロイドを購入したはいいが、節約を強いられて財政状況が逼迫する。そこに異常が発生するが、修理やメンテナンス費を払えないために、電源を落としてしまう。珍しい話じゃない」
彼は肩をすくめた。
「愛着が湧くと、売り払うのも躊躇われる。動かないリンツェロイドはただの人形だが、飾っておくものでもない。やはり修理やメンテナンスをと思うものの、金がない。堂々巡り」
店主は手をくるくると回した。
「彼は、『金がないから無理だ』とは思いたくない。だが実際、金はない。そうした矛盾のなかにいるように思うね」
「……あの、マスター」
「何だい、トール」
「どうして、嬉しそうなんですか」
「うん?」
マスターはにっこりとした。
「明日の彼の様子が、楽しみだからだよ」
その予言は的中し、男は翌日もやはり同じ時間帯に顔を見せた。
「いらっしゃいませ。ミスタ」
店主はにっこりと笑みを浮かべた。
「いかがですか? お宅のリンツェロイドは」
問いかけられた客は、ああとかううとか奇妙なうなり声を発した。
「その、またもう少し、いいか」
「もちろんです」
やはり店主は、何でもどうぞと応じた。
「その、彼女が急に、おかしくなって」
「彼女」
店主は呟いた。
「な、何かおかしかったか?」
「いいえ」
にっこりと彼は首を振った。
「急に、ですか」
店主は椅子を勧めた。客は少し躊躇ってから、腰かけた。
「トール。コーヒーを」
その命令に助手はうなずいて踵を返した。
「どのような症状なんですか?」
ゆっくりと店主は尋ねた。
「ささやかな違和感でも、お調べしますよ。『癖』がなくなったというようなことでも」
「癖?」
男は目をぱちぱちとさせた。
「一定の条件下で起こり得る、予期せぬ不具合。エラーと言うよりはバグのレベル。もちろん本来、バグはみな取り去られるべきですが、現実的にはなかなか」
客は、店の主人が語るのを聞き終えると、首を振った。
「癖だなんて、ものじゃない」
「では?」
「指示を……聞かなくなった」
「それは大きな問題ですね」
まず店主はそう返した。
「聞こえていないようですか? それとも反応はするが理解しない、実行しようとするが誤る、或いは」
「名を呼べば、こっちを見る。何か……」
「何か?」
「まるで、何か言いたそうな……いや」
はっとなったように、彼は首を振った。
「何でもない」
「ふうむ」
店主は両腕を組んだ。
それから彼はいくつか質問し、今度は男も答えた。その間に助手がコーヒーを淹れてきて、彼らの前に置いた。店主は勧めたが、男はコーヒーカップを手にしただけで口を付けようとはしなかった。
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