第4話 程度によります

 工房〈クレイフィザ〉にその客がやってきたのは、数日前の夕方だった。


 「違う店で作られたものでも見てもらえるのか」。遠慮がちに彼は尋ねた。


 店の主人は気軽に「何でも見ます」と言った。


「ダイレクト社のものでも、得体の知れないジャンクでも」


 その言葉に客は曖昧な笑みを浮かべた。店主の冗談に笑おうかどうしようかと迷う様子だった。ダイレクト社の製品を買えるような金持ちが、個人の工房などに飛び込むはずもない。


「企業製品ですか。それともどちらかの個人工房の」


 早速、店主は客の話を聞いた。否、聞こうとした。


 だが彼は何も聞けなかった。客は、何でもないと言って出て行ってしまったからだ。


 扱いませんと言われて出て行くなら自然だが、扱いますという返事に対する反応ではない。見ていた助手のトールは、客が聞き違えたのではないかと考えて彼を引き止めようとしたが、店主がさせなかった。


「ちゃんと聞いていたよ」


 彼は助手にそう言った。


「聞くんじゃなかった、という表情だった。欲しい答えは『いいえ、申し訳ありませんがやっていません』だったんじゃないかな」


 トールにはその判断が理解できなくて質問をしたが、店主マスターは、さあねと言うばかりだった。そう思っただけだよ、などと。


 翌日、同じ客がほぼ同じ時間にやってきた。


 男は躊躇いがちに、相談をしたいんだがいいかと言った。やはり店主は気軽な調子で、何でもどうぞと返した。


「ただし、ロイドのことでなければ困りますがね」


「あ、ああ。それはもちろん」


 男はうなずいた。ロイドのメンテナンスや修理、オプションの追加などを行う工房に、人生相談にやってくるはずもない。


「その……リンツェロイドは、ちょっとしたエラーなら自己修復してしまうんだろう?」


 客は三十前後というところだった。うつむきがちにぼそぼそと喋るのは、性格や癖と言うよりは「こんなところにいるのを誰かに見られたら困る」とでも思うかのようだった。


 と言うのも、彼は何かと、入り口や外を気にしていたからだ。


「程度によります」


 店主は答えた。


「『エラー』の程度にも、『リンツェロイド』の程度にも」


「そうか。そりゃあ、そうだよな」


 ぼそぼそと男は言った。


「どちらの製品ですか?」


 彼は前日に続いて尋ねた。


「大きな企業のものなら、対応は簡単です。うちは契約をした正規の工房ですから、仕様書も設計書もある。中小企業も、たいていはフォローしていますし、なければ問い合わせます。個人工房のものですと、本来であれば買ったところに話を持っていくのが確かですが、遠かったり、つぶれていたり、頑固なクリエイターがエラーを認めなかったり、いろいろですからね。仮に仕様書の送付を断られても、基本はどうしたって同じですから、うちでも問題はありません」


 製造、修理、メンテナンス。大手も個人も、規模が違うだけでやることは同じだ。ただし、大手が個人工房製品のものを直すことはないが、逆はある。店主はそうしたことを改めて説明したが、客は上の空だった。


「それで? どちらの製品ですか?」


 繰り返し店主は尋ねた。


「こ……個人。個人工房だ」


「店名は」


「わ、判らない。その……」


 彼は目をしばたたいた。


「旅行。そう、旅行先で偶然、入ったから。覚えてないんだ」


「それはそれは」


 旅行先でリンツェロイドを衝動買いとはなかなかやりますね――などとは、店主は言わなかった。高級品だが、「一目惚れ」による衝動買いは珍しい話でもない。出先であれば、却って気が大きくなるということもある。


「ご購入はいつ? いえつまり、どれくらいの期間、ご使用かということです。見てもらいたいと仰るということは、何か不具合があるのですね。それはどのような? いつから出ましたか? それから……」


「あ、いや」


 矢継ぎ早の質問に、男はうろたえた。


「何でも、ないんだ」


「はい?」


「何でも……」


 ぼそぼそと繰り返して、男は踵を返した。それが、二日目だった。


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