第72話

 紫苑が月天の寝室を借りて休んでいると少し遠慮がちに部屋の外から声がかけられたことに気づく。


最初は黄金かな?と思いそのままの格好で寝室から出ようとしたが、戸の近くまで来るとその声の主が極夜だと分かる。


「紫苑様、もし起きていらっしゃるのなら少しお話しできるでしょうか」


紫苑は慌てて近くにあった羽織ものを取ると極夜に返事をする。


「あ、はい!すぐに行くので少し待ってもらえますか」


「では、待っていますので」


そう言って極夜の気配が戸の側から離れると紫苑は慌てて鏡を見て身なりを整える。


時刻を見ると先ほど休んでからちょうど一刻ほど過ぎた時間のようだ。


紫苑は深く深呼吸をすると背筋を正し、極夜の元へと向かう。


極夜はテーブルを挟んだ向こう側の席に座っており、自分のものと紫苑のものらしきお茶がテーブルには置かれている。


紫苑が座ろうかどうか迷っていると、相変わらずの少し棘のある物言いで早く座るように言われてしまう。


紫苑が極夜と向き合うようにして席に座ると、紫苑のことなどお構いなしというように極夜は話だした。


「今回の件ですが、悪いとは思っていませんので。もちろん、月天様の命に背いたことは重罪です。けど、それ以上にあんたみたいななんの覚悟も持たない女が月天様の側にはべることの方が問題だと思いませんか?」


会うなり敵意をむき出しにして睨まれ思わず紫苑は身を縮めてしまう。


「今だって僕に好き勝手言われて反論の一つも出来ないなんてどう考えても月天様の正妻が務まるとは思えない。あんたも自覚してるんでしょう?鬼の力もろくに使えない自分みたいな女は月天様とは釣り合わないって」


極夜の迫力に何もいえずにいると、極夜は紫苑のその態度が気に入らないようで言葉は止まることをしらない。


「だいたいあんたの母親もどうせなら死ぬまでひっそりと屋敷の奥で過ごせばよかったのに、娘を連れて脱走するなんて頭がおかしいとしか思えないよ」


どれだけ自分のことを言われても腹は立たなかったが、話が自分の母のことになると先ほどまで感じたことのないような怒りが込み上げる。


「私のことはどんなふうに言われても構いませんが、母の事を悪くいうのはやめて下さい」


先ほどまで黙りと俯いているだけだった紫苑が極夜を正面から見据えて言う。


「母は立派な人です。確かに多くの隠し事はあったのかもしれませんがいつも私のことを案じてくれていました。そんな母のことを悪く言うのはいくら極夜さんでも許せません」


先ほどまで水を打ったように静かだった室内が紫苑の怒りと同調するように丁度品などがカタカタと音を立て始める。


極夜は一瞬にして警戒するが、目の前の紫苑は極夜に危害を加えようとする気配はない。


しかし、その瞳は先ほどまでの黒から一変しめらめらと燃え上がる炎のように薄紅色の虹彩が見え隠れしている。


「へぇ、あんたもそういう目ができるんだ」


部屋にわずかだが桜の香りが漂い始めるとほぼ同時に、部屋の外に繋がるドアが勢いよく開かれる。


ドアを開けて入ってきたのは極夜の双子の兄である白夜だった。


白夜は真っ直ぐ極夜の元まで歩み寄ると極夜の頭を勢いよく殴りそのまま紫苑に向かって頭を下げさせる。


「この度の無礼誠に申し訳ありません」


白夜は極夜の頭を力づくで下げさせながら自分も深々と紫苑に向かい頭を下げる。


紫苑はあまりに突然のことですっかり怒りも鎮まり、部屋に漂っていた不穏な雰囲気も跡形もなく霧散する。


今にもテーブルにおでこを擦りそうなほど頭を下げさせられている極夜を見て紫苑は慌てて二人に頭を上げるように話す。


 何度も頭を上げるように言ってようやく二人の頭が上げられると極夜は白夜の手を払い除けて不機嫌さを隠そうとせずそのまま紫苑のことを一瞥もすることなく部屋を出て行ってしまった。


部屋に残された白夜は紫苑と向き合って立ったまま相変わらずの無表情で口を開く。


「この度の私たちの失態で御身を危険に晒したにも関わらず、減罰まで掛け合ってくださり有難うございます。しかし、極夜の気持ちも分からない訳ではありません。月天様の側にいると言うことは並大抵のことではありません、どうかその気が無いのであれば早々に月天様の側を離れて下さい」


「……いきなり連れてこられて会う人会う人、自分勝手な事ばかり私に押し付けるんですね」


ようやく幻灯楼での生活に慣れ始めていたのに、急に夢幻楼に連れてこられてここまで邪険にされるなんて良い加減にしてほしい。


私はただ穏やかに母と過ごした村で過ごしていたかっただけなのに。


紫苑は決して泣くまいと下唇を強くかみ涙を堪えるが、瞬きをしてしまえば今にも大粒の涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。


紫苑が声をつまらせたままいると部屋の戸が開かれ、中に黄金が入ってくる。


「あら、白夜さん。てっきり自室で謹慎していると思ってましたが……紫苑様に何か御用でしょうか?」


今にも泣き出しそうな表情の紫苑をちらりと見ると黄金は白夜と紫苑の間に笑顔で割って入る。


白夜は相変わらずの無表情のままそれ以上何も言うことなく部屋を出て行った。


 双子が出ていくと黄金はすっかり冷えてしまったお茶を入れ直してくれる。


「紫苑様?白夜様に何か言われましたか?」


自分のことを心配そうに見つめてくる黄金に一度は何でもないと言ったものも、黄金の顔を見るとそれ以上は堪えられず胸に込み上げてくる想いをぽつりぽつりと口にしてしまう。


「何故こんなにも私は妖狐の一族の方に嫌われているのでしょうか……」


「そうですね……。まず、申し上げにくいことですが現状では紫苑様のお立場はかなり悪いといえます」


なんとなく先ほどの上役達の反応や双子の反応を見ていたら分かってはいたが、こうして言われるとこたえるものがある。


「それは私が人間だからでしょうか?」


「それもありますが、月天様は紫苑様を自分の正妻候補としてお披露目なさいました。妖狐の御当主は代々純血主義。他所の血族のものを当主の正妻に置くと言う事自体今まで一度もないことなのです。なので例え紫苑様が鬼の直系の姫と言うお立場で輿入れしたとしてもそう変わらないでしょう」


「そうなんですね。けど、私は月天様の正妻になるつもりんなんて……」


紫苑がそこまで口にすると、黄金はそれ以上は言うなとばかりに人差し指を一本口に添えてこちらを見る。


「紫苑様、それ以上は口にしないことです。この幽世で人の子が安全に生きていくには強い妖の庇護下に入るしか方法はありません。月天様はそのこともあって紫苑様を正式な婚約者としての肩書を与えようとしておいでなのでしょう」


「え、それってどういうことでしょうか?」


「紫苑様が今まで無事に過ごせてきたのは小雪花魁の庇護下にあったからです。その小雪花魁が見世を抜けたとなると紫苑様を守る者がいなくなります。それこそ若い人間の娘などあっという間に食い尽くされてしまうでしょう。紫苑様が記憶を取り戻すまで安全に暮らすためにも強大な妖の庇護下にあるという肩書は必要なのですよ」


よくよく思い返してみれば今までも危険な目に遭っても小雪花魁が助けてくれたり、宗介様が助けてくれた。


自分が知らないだけでいつも小雪や宗介様(月天なのだが)に守られていたのだ。


「それに、先ほど小耳に挟んだのですが紫苑様と一緒に小雪花魁の禿をしていた紅という娘が妖猫の当主に引き取られることになったとか。七妖の本家筋に動きがある今は下の里と言えども危険です」


 紫苑は俄の際に倒れた紅を見たのが最後だったので、紅が生きていることにホッとしつつもなぜ急に紅が小雪の元を離れて妖猫の当主の元へ引き取られることになったのか疑問を抱く。


「その話もう少し教えてくれますか?」


「なんでもその紅という娘は妖猫の当主の血筋のものらしく、偶然この度の俄で妖猫の当主が見つけて連れ帰ることを決めたようですね」


「そんな……紅の意思はどうなんですか?」


「紫苑様、御当主様方がお決めになった事は同じ御当主のみが意見を言えるのですよ。たかだか一匹の妖の意思など関係ないのです。あ、もちろん紫苑様は特別でございますよ!月天様の唯一のお方ですから」


 黄金はそれよりも体調が戻ったのなら月天様に知らせなければと再び部屋を出て行こうとするが、それを紫苑は引き止める。


「その妖猫の御当主の元へ引き取られた後ってどうなるんですか?」


「そうですね、妖猫の御当主様は正妻こそいませんが御側室が三十八名ほどおられますので……花街から引き取られたその紅という娘はよほど才能がない限りは誰にも相手にされず屋敷の隅で死ぬまで孤独に暮らすことになるでしょうか」


紫苑は黄金の言葉に思わず眉根を寄せる。


紅は気立は良いが妖術に関しては全然ダメで小雪からも妖術ができない分、知恵をつけて自分の身を守るようにとよく言われていた。


そんな紅が当主の屋敷に引き取られるなんて、自分が先ほどまで向けられていた敵意を思い出すとこのままじっとしているなんて事はできなかった。


「妖猫の御当主の元へ引き取られるのはいつ頃なんですか?」


「私も詳しい日時は存じ上げません。月天様であれば知っているかと思います。……紫苑様、もしその娘を助けたいのであれば紫苑様がこの幽世の世界の中で認められるしかありません。幸運にも先ほど上役たちが格好の舞台を用意してくれたではありませんか?天神祭の仕切りを紫苑様が無事勤め上げれば、妖猫の御当主ともお話しする機会もできるでしょう」


「しかし、あれは例年当主が交代でやるような重大な仕事だと……」


「だからこそ紫苑様が勤め上げることが出来ればもう誰も紫苑様のことを軽んじる事はできなくなります。それこそ、月天様の婚約者としてではなく紫苑と言う一人の人間として認められるでしょう」


「私が天神祭を……」


「そうです、弱き者は強き者の言うことを聞くしかありません。弱者のままいるのか力を得て自分の意思を突き通すのか全ては紫苑様次第なのですよ」


黄金はそういうと、紫苑に微笑み返して部屋を出ていった。




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