第71話

 「僭越ながら月天様に申し上げます。私は紫苑様を正妻候補にするのは反対でございます」


凍てつくような月天の妖気が突き刺さるが表情一つ動かさず正面から月天の目を見据えてそういう。音のなかった部屋の中にざわめきが起きる。


パチンッ!


ざわざわと上役達が話す声が鬱陶しく感じたのか月天は手に持つ扇子を強く閉じる。扇子の音で部屋の中は再び静けさが戻る。


「縁、お前が反対する理由はやはり血筋か?」


怒りも抑圧も何も感じさせない声色で月天が縁という上役に問いかけると先程意を唱えた黒狐の半面をした男は大きく頷く。


「我ら妖狐は今まで純血を尊び維持してまいりました。特に当主の正妻となれば力のある一族の者から娶るのが道理!いくら先代との約束があると言えども、人間の娘を正妻に迎えるなど賛成できません」


縁が強い口調でそう言い切ると、今度は縁とは正反対ななんとも緩やかでこの場に似つかわしくない声が響く。


「縁殿の言うことももっとも。では、本当に月天様の正妻候補・・に相応しいお方か見定めると言うのはどうでしょう?ちょうど天神祭に関わる術者の派遣を妖猫の一族より依頼されてましたよね?紫苑様にはその任に着いていただき見事天神祭の仕切りを勤めあげれば正式な婚約者として認めると言うのはいかがでしょう?」


上座から見て左手の一番前に座している白狐に芍薬の花をさしている上役が今日の天気を語るかのような軽い口調で提案する。


しかし、その提案を聞いた他の上役達からはどよめきが上がり月天も態度には出さないが先ほどよりも苛々としているのがわかる。


「黒子様が言うのもごもっとも。当主の正妻となるお方なら天神祭のお勤めくらい難なくこなしてもらわねば」


「いや、しかし天神祭は妖猫預かり。あの妖猫の当主と対等に渡り合い天神祭の開催中の警備や式典を支えるのは人間には到底無理では?」


「いやいや、正妻となればこの曼珠の園の見世も全て取り仕切っていくことになるんだ!それくらいこなす度量がなければ務まらないだろう」


堰を切ったように次々と溢れ出す上役達の押し問答に嫌気をさして月天は扇子を打ち付ける。


 再び部屋に静けさが戻ると月天は自分の左右に控える縁と黒子の両者を見てから口を開く。


「この様子では話はまとまりそうにない。それぞれ意見書をまとめて明日までに提出するように。それを踏まえてまた正妻に誰を置くか決める」


月天はそういうと、これ以上は用はないと言わんばかりに自分の少し後ろで体を小さくしている紫苑の手を取り部屋を後にした。


◇◇◇


 部屋を出てそのまますぐに月天の自室へと半ばひきづられるようにして戻ってくると月天は荒々しくつけていた半面を投げ捨て椅子に座る。


黄金がすぐに面を拾いながらも立ちすくむ紫苑を椅子に座らせると、苛立つ様子の月天とすっかり萎縮してしまっている紫苑にお茶を出す。


「あの忌々しい男め!縁が異議を唱えるまではよかったが黒子の奴のせいで台無しだ!あの男、こそこそと何やら嗅ぎ回っていると思っていたがまさか天神祭のことまで知ってるとは」


先程の顔合わせの時からずっと上役達や月天の妖気に晒され、すっかり紫苑の顔色は真っ青だ。


紫苑の様子に気づいた黄金は慌てて紫苑の側による。


「月天様、紫苑様はお疲れになっているようです。急に多くの上役の方々の妖気に当てられたのですもの、少しお休みいただいても構いませんか?」


黄金に言われて紫苑の顔色が悪いことに気づくと、月天は慌てて妖気を収めて紫苑の側に駆け寄る。


「あぁ、すまない紫苑。君は何も気にすることはない。口うるさい上役どもは私が諫めておくから少し休むといい」


月天は心配そうに紫苑の手を握ると黄金に隣の月天の寝室で紫苑を休ませるように指示する。


「月天様、私は自分の部屋に戻れますので」


紫苑が慌てて月光花の間へ戻ると暗に伝えるも月天に却下され、結局月天の寝室で少し休むことになった。


月天はこの後もいくつか予定が入っているようで再び半面をつけると黄金と紫苑を残して部屋を出て行った。


 部屋に残された紫苑は黄金に連れられて寝台に横になると、黄金は紫苑のことを案じてか上役達やこの曼珠の園の外のことを教えてくれた。


「紫苑様はきっと曼珠の園の外のことはあまりご存知ないですよね。正式に婚約者となれば正妻教育が始まりますので問題ないかと思いますが、これからこうして上役の方々と顔を合わせる機会も増えるでしょうから簡単に下の里や他の一族に関してご説明しますね」


幻灯楼でも簡単にだがそれぞれの一族について聞いていてはいたが、実際の勢力関係だったりそれぞれが担う役割なんかは黄金が教えてくれるまで知らないままだった。


 先程話題に上がっていた天神祭は夜市を仕切る妖猫の一族が取り仕切る夏祭りで、この祭りは年間行事の中でも重要な役割を持っていて例年であればそれぞれの御当主が持ち回りで警備や裏方の仕切りを協力して運営するらしい。


夏祭りといっても場所はこの幽世だ。祭り会場にはさまざまな妖が訪れるし、何より夜市も開放されるので警備にはかなり力を持った大妖がつく必要があるという。


「そんな……それじゃあ、最初から私にはできないと思ってそんな無理難題を言ってるってことですか?」


黄金から色々と話を聞いていると先程交わされた話の内容がいかに無謀であったかが理解できる。


上役達に認められなかった事実に少なからず傷つきはしたが、もう半分でどこかほっとしている自分に気づく。


月天のことは嫌いではないが、やはり宗介を慕っていた時のような純粋な気持ちを持つことがまだ難しい。


それに、月天が自分を愛おしそうに見つめるたびにどうしても自分を通して鬼の子である紫苑を見ているのが分かってどうしようもなく胸が締め付けられるのだ。


黄金は一通り色々なことを話してくれると、紫苑を気遣ってか寝室に一人にしてくれた。


寝台から見つめる天井には何もなくただ時計の秒針が進む音だけが嫌に耳について離れなかった。

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