第53話

 あれだけ待ち望んでいた俄の初日だったというのに、いざその日になってみれば肝心の紫苑には拒絶されるし琥珀からは自分の血族の者に危害を加えるなんて!と非難の手紙がくるわで散々な一日だった。


月天はだらしなく着付けられた着流し姿のまま曼珠の園を見下ろすように大窓の前に座る。


 夢幻楼の屋敷の中は基本的に和風建築で置かれている家具も和風なのだが、月天の自室のみソファと呼ばれるふかふかの長椅子や美しい彫刻が施された執務用の椅子など洋風の家具が置かれている。


月天は椅子に座りながら眼下に広がる曼珠の園の様子を眺める。


(昨日は少し強く当たりすぎてしまっただろうか……)


昨日紫苑を組み伏せた時に自分に見せた紫苑の表情が今も胸を締めるける。


月天としても紫苑に乱暴なことはしたくはないのだが、ようやく会えたというのにあんな態度はどうかと思うのだ……。


今までどれほど月天が心配して紫苑を探し続けたのか、紫苑は全く自分の気持ちを理解していない!と月天の心に再び少しの苛立ちが湧き上がる。


月天がひとりで紫苑のことを悶々と考えていると声がかけられる。


「月天様、紫苑様より手紙を預かってきました。入ってもよろしいでしょうか?」


「入れ」


部屋に入ってきた極夜の手には可愛らしい手紙が握られていた。


極夜は恭しくその手紙を月天に手渡すとすぐに距離をとり月天の邪魔にならないように控える。


月天は少し不機嫌そうな表情のまま手渡された手紙を開き内容を確認する。


手紙の内容は昨日のことを謝罪するものと、もう少し時間が欲しいと書かれていた。そして最後に幻灯楼の小雪達と会わせてほしいとも書かれている。


月天は紫苑が自分を拒絶したわけではなく、ただ色々なことが起こりすぎて受け止めきれなかったのだと手紙で説明されようやく昨日からずっと心の中に重く居座っていた淀みが晴れるのを感じる。


「ふんッ!仕方のないやつだ、昨日のことは許してやろう。極夜、着替えたら紫苑のところへ行く。準備しろ」


月天の表情から先ほどの不機嫌さは消え、少し不服そうな表情をしながらもどこか嬉しそうだ。


「月天様、申し訳ございません。この後は園の中にある神社へ加護を授けに行く予定となっています。その後は奉納品の確認と夕刻からは本祭が始まりますので、紫苑様とお会いするならば夜になるかと……」


「どうにかしろ。紫苑より大切なことなどこの世に何もない」


「月天様……どうかご理解を」


極夜は黙ってその場で頭を下げる。その姿を見て月天は大きなため息をつく。


「仕方がない。……して、白桜と蒼紫の方はどうだ?」


月天は身支度を整えるために用意されている隣の部屋に行くと、いつの間にいたのか侍女達があれこれ必要なものを準備していく。


 基本的に月天に直接触れられるのは選ばれた男の側使えだけであり、侍女達は物の用意や部屋の整理整頓など雑用に近いものしかすることを許されていない。


侍女達が下がり極夜が月天の髪を櫛で梳かしていると白夜が一礼して部屋へと入ってくる。


「白桜様と蒼紫殿は今朝、幻灯楼へ行きそれから動きはないようです。どうやら小雪花魁の禿であった観月……紫苑様のことを嗅ぎつけたようですね」


月天の問いかけに答えたのは白夜で、そのまま今日の予定を月天へ告げていく。


「本日はこの後、園の中にある稲荷神社に加護を授けていただき、それが終われば琥珀様が面会を求めていらっしゃいますので対応していただければと思います。本祭は暮れ六ツ時から始まりますので本日屋敷に戻るのは夜四ツほどになると思います」


「琥珀が面会を求めるとは珍しい。内容は昨日来た手紙に関することか?」


「おそらくはそうかと思います。調べましたところ、幻灯楼の小雪花魁の禿である紅は妖猫で瞳や髪の色からも琥珀様と血の繋がりが濃いようです」


「一つ命を奪ったところであ奴らは死にはしないのだからそう騒ぐことでもないだろうに……」


月天はひどく面倒くさそうな態度をしながら極夜によって整えられた自分の手元を眺める。


「琥珀の面会は奉納品の確認をしながら行う。適当に詫びの品を用意しておけ」


白夜は頷くと極夜に後のことは任せて部屋を出て行く。


「月天様この後、園に降りる際に紫苑様も同行させてはいかがでしょうか?月天様がこの園のために働いているところを知れば紫苑様も考えが変わるのでは?」


月天は極夜の提案も悪くないと少し考えるが、園の中に白桜と蒼紫がいるこの状況で外に連れ出すのは危険が大き過ぎると却下する。


「では紫苑様に子狐たちを付けても構いませんか?部屋で一人でいるとどうも気が滅入るようですので」


「わかった。では小鉄こてつを紫苑の側につけろ」


「かしこまりました」


極夜との話が終わると丁度、着替えも終わった頃で今日は俄の本祭があるため月天もいつもの着流しではなく袴に袍ほうを纏った禰宜ねぎのような格好をしている。


違うところは頭に施された装飾は金が使われ顔には薄衣がかけられているところだ。


「では後のことは任せたぞ」


そういうと月天は部屋を出て園にある神社へと向かった。

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