第54話

 夢幻楼に滞在してからまだ一日も経っていないと言うのに一週間くらいこの部屋に居るような気さえしてくる。


元々一人で暮らしていた紫苑といえども一日何をやるでもなしに広い部屋に閉じ込められていては気が滅入ってしまう。


極夜に月天への手紙を渡しはしたが、手紙一通ですんなりと許してくれるだろうか……。


それに、そもそもここへ来たのは紫苑の呪印を解いてもらうためだったのだが、紫苑自身が元々が鬼で呪印はその鬼の力を封じられたものならば人間の姿である今の体の方が偽りの姿ということになる。


しかし、人間として既に15年近く生きてきた紫苑にとってはやはり、急に鬼の姫だと言われても受け入れ難い。


紫苑は過去の記憶は取り戻したい気持ちはあるが、現段階ではやはり今の人の子のままでいたいと思うのが心情だ。


紫苑が呪印のことやこれからの自分のこと、月天や小雪たちのこと……色々と考え込んでいると、再び極夜が現れる。


「また考え事?そんなに考えることが多そうには思えないけど」


極夜はどうも紫苑のことが気に入らないようで、話していると言葉の節々に棘を感じる。


気配もなく部屋に入ってきた極夜に驚いて、一言文句を言ってやろうと振り返ると極夜の隣には丸っこくふさふさとした小狐が一匹、寄り添うようにいた。


紫苑は文句を言おうとしていたことも忘れて極夜の隣にいる小狐に夢中になってしまう。


「その隣にいる小狐はなんですか?」


紫苑は瞳を輝かせながらきらきらと期待を込めた眼差しで極夜に問いかける。


「この小狐は上ノ国のお屋敷で月天様に仕えている小狐の小鉄だ。月天様があんたの側付きにしてくれたんだよ」


小鉄と言われた小狐は側から見たらどう見てもただのもふもふした狐だ、しかし月天に仕えているというならば妖狐の一族の中でも優秀な血統なのだろう。


紫苑は思わず手を差し伸べて犬や猫を呼ぶような感覚で小鉄に向かって声をかける。


「おいでおいで〜怖くないよ〜」


紫苑が座ったまま姿勢を低くして野良猫を手懐けるかのような態度で小鉄を呼び始めると極夜は呆れたような表情をして頭を抱える。


「あのさぁ、小狐姿だけど小鉄も立派な妖狐の一族だよ?小鉄、人型になれ」


極夜がそういうと先ほどまでもふもふの小狐だった小鉄は宙で一回転して人型になる。


人型になった小鉄は人間の年齢でだいたい五歳前後くらいだろうか、幻灯楼の凛や紅と同じくらいの年齢に見える。


「紫苑様、これからお側でお世話させていただきます小鉄です。どうぞよろしくお願いします」


小鉄は外見に似合わない完璧な礼をすると可愛らしい笑みを紫苑に向ける。


「ま、そういうわけだから。小鉄に遊び相手にでもなってもらって」


極夜が小鉄を置いて部屋を出ていこうとするが、紫苑がそれを止める。


「あの!月天様は……その……」


もじもじと何か躊躇うような素振りで言い淀む紫苑を見て極夜は今日何度目になるかわからないため息を小さくつく。


「月天様はもう怒ってないよ、あんたの手紙で十分に気持ちは伝わった。あと、今日は俄の本祭があって月天様は朝から晩までお忙しいから会えないと思うよ」


「私も俄の本祭を見てみたいのですが……」


 幻灯楼にいるときに俄の本祭では夕刻から百鬼夜行のように様々な妖たちが仲之町を行き交い、御当主様が園全体に加護を授けてくれる重要な儀式が行われると聞いていた。


極夜は少し考える素振りを見せてから笑みを浮かべ紫苑に向き直る。


「流石に月天様の許可なく自由に出歩かせる訳にはいかないけど……本祭の儀式くらいなら連れていってやってもいいよ」


極夜が紫苑にそう言うと紫苑は大喜びをして感謝を述べるが、極夜の側にいる小鉄は信じられないとでも言いたそうな表情をしている。


「極夜様、お言葉ですが紫苑様を月天様の許可なしにこの夢幻楼から連れ出すのは感心致しません。せめて白夜様に相談すべきでは?」


「白夜なんかに相談したらダメって言われて終わるに決まってるじゃん。それに月天様のことを少しでも知ってもらった方が紫苑様も月天様のことを受け入れやすくなるだろう?」


極夜はもっともらしい言葉を並べて小鉄を丸め込む。


「じゃあ、七ツ半頃に迎えにくるからできるだけ目立たず動きやすい格好で待ってて。あ、あと念のために自分の身を守る道具くらいは用意しておいてね。小鉄に言えばなんでも用意してくれるから」


極夜はそういうと今度こそ部屋を出ていく。


部屋に残された紫苑は絶対に無理だろうと思っていた外出があっさりと認められて、極夜の狙いなど知らず先ほどまで抱いていた極夜に対する気持ちを改める。


(無愛想で口は悪いけど、そんなに悪い人じゃなさそう……あ、人じゃなくて狐か)


そんなことを心の中で思いくすくすと忍び笑いしていると小鉄が怪訝な表情で紫苑を見ている。


「なんでもないの、極夜さんが思ってたより悪い狐じゃなさそうで安心しただけだから」


「……お言葉ですが、極夜様は妖狐の一族の中でも特に妖狐らしい性格をしていますのであまり気をお許しになると痛い目を見ますよ」


「え?妖狐らしい性格って?」


「残忍さ、狡猾さ。他者を欺き物事を意のままに操ることに関しては一族の中でも秀でていると言うことです」


紫苑は小鉄の言葉を聞いてこの幽世に来てから体験した色々な出来事を思い出す。


(確かに、人の良さそうな顔をして近寄ってくる者ほど裏があったりするのよね……)


「ありがとう、忠告は心に留めておくわ。それより、早速護身の術に使うために術具をいくつか準備して欲しいのだけど……」


紫苑はこれ以上話してせっかく決まった外出が取り消しにならないように話題を変え、小鉄に術に必要な道具を準備してくれるように頼んだ。


◇◇◇


 馬鹿な女だ。人の身でありながら俄の本祭を見たいなど。


俄の本祭は色々な里から妖怪たちがやってくる大きな催しだ。だからこそ例年殺った殺られたのトラブルが多い。


月天のお気に入りと言えども何の力も持たない人の子のまま月天の好意に甘え、あまつさえ月天の好意を踏みにじるような言動をしたあの女は少し痛い目を見ればいい。


極夜は紫苑の部屋を出るとすぐに部下に指示を出し、本祭の拝殿近くの空き部屋を押さえておくようにと命令する。


(あの部屋の存在を知るものは少ない。うまく術をかけて気配を悟られぬようにすれば月天様でもすぐは分かるまい)


流石の月天も再び自分を裏切り屋敷から逃げたと思えば、紫苑への情も冷めるのではないか。


妖狐の一族は執着は激しいが、それ以上に身内の裏切りには容赦がない。


自分がこれからどんな目に遭うかも知らずに浮かれているあの女の顔を思い出すと自然に笑みがこぼれた。


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