第46話

 畳の上に見えない何者かに押さえつけられるように倒れ込んだ小雪を見ても陽乃穢や静那は眉一つ動かさずに御当主の方を見ている。


小雪の後ろに控えていた凛と紅が思わず小雪を助けようとその身を動かそうとするがそれより早く御当主の冷めた声が響く。


「あぁ、どうやら私はその娘のことが気に入ったようでな。彼女の願いはお前達三名が幻灯楼を出て暮らすことなのだから約束は破っていないだろう?」


小雪は必死に抵抗し自分の前にいる御当主を睨みつけるが、自身にかけられた術によって思うように動くことができない。


苦しそうな声をあげてどうにか術から逃れようとする小雪を見て紅はいてもたってもいられずに本性である妖猫の姿になり小雪の上に覆い被さる得体の知れない黒い影に噛み付た。


その様子を見ていた紫苑はなんとか自分の腕を掴んで離さない白夜と極夜から逃れようと抵抗するが紫苑のか弱い力ではびくともしない。


「ほぅ、その禿は妖猫の一族のものか。その髪色といい琥珀に連なる者だな?……しかし鬱陶しいことだ、塵芥は掃除せねばな」


御当主がそう言った瞬間、朱色の炎を身にまとい妖猫の姿で小雪の上に飛びついていた紅が糸の切れた人形のようにその場にぱたりと倒れる。


瞬きをするのと同じくらいあまりにも一瞬の出来事に紫苑と凛は言葉をなくす。


小雪の上に力なく倒れ込んだ紅の身体からは炎が消え煙と共に人形の姿へと戻る。


小雪は自分の目の前で起きたことが信じられず目を見開くが、すぐに状況を理解し己にかけられた術を自力で跳ね返す。


術を返された極夜は忌々しそうに小雪の方を見て続けて術をさらにかけようとするが御当主によって止められる。


「貴様……よくも紅を……」


 先ほどまでの仮の姿ではなく、小雪は本性を表し凍てつくような冷たい冷気をその身に纏い今にも御当主に術をかけてしまいそうだ。


小雪が右手をあげて御当主に術を放とうとすると今まで黙って傍観していた陽乃穢が間に割って入る。


「御当主様、どうかお許しください。小雪は少し周りが見えなくなっている様子、私どもが責任を持って連れ帰りますのでどうかご慈悲を……」


「陽乃穢!私はッ!」


小雪が自分の前に割って入ってきた陽乃穢を睨みつけるが陽乃穢の特殊な術によってその場に座らされる。


陽乃穢が小雪のために頭を下げると御当主は上げかけた扇子を再び手元に下ろし術によって押さえつけられている小雪を見る。


「まったく、興が削がれた。陽乃穢に免じて今回のことは忘れよう……では、これで終いだ。後のことは任せたぞ白夜」


御当主はそういうと御簾の向こうで立ち上がるといつの間にか姿を消してしまった。


御当主が退出すると白夜は極夜と目配せし、紫苑のことを極夜に任せ白夜は小雪たちの前へと戻る。


「ほら、行くぞ」


極夜に両手を後ろに縛り上げられて罪人のような姿で引っ張られるのを紫苑は全力で抵抗するが、抵抗は虚しくそのまま部屋の外に連れて行かれる。


入ってきた時と同じ扉を潜る際にめいっぱい声を張り上げて小雪に向かって叫ぶ。


「小雪姉さん!私は大丈夫です!どうか紅をお願いします!」


陽乃穢の術によってその場に座らされたままの小雪は悔しそうな表情を浮かべて連れて行かれる紫苑をただその場で見送ることしかできなかった。



◇◇◇



 紫苑は連れて行かれ、部屋の中に残るのは後を任された白夜に曙楼、月紗楼の面々それと小雪と凛、動かなくなった紅だけだ。


「御当主に歯向かうなど前代未聞……次はないと思え」


 白夜はひどく冷め切った瞳で小雪と動かない紅の方を見るとこれ以上一緒の空間にいるのも嫌だというように部屋の中に正面玄関まで続く通り道を術で作り出す。


「本来であれば神聖な夢幻楼の中で御当主以外が術を使うなど誉められたものではないが、これ以上お前たちを夢幻楼の中に置いておくのは許し難い。すぐにそちらの通り道を使って夢幻楼から出ていくように」


行きとは違い敵意すら感じさせるほどの視線をを送ってくる白夜の指示に従い陽乃穢は立ち上がると、小雪の耳元で何かを囁いてから部屋を後にする。


陽乃穢に続き静那も禿たちを連れて一礼すると通り道をくぐる。


最後に残された小雪は陽乃穢の術が解けると畳の上に横たわった紅の身体を抱き上げ、白夜の方をキッと睨みつけてから部屋を出て行った。

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