第45話

 陽乃穢は白夜に許しをもらいその場から優雅に立ち上がると、御当主の前に座り最上級の礼を持って挨拶を口にする。


「向暑の候、御当主様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 平素は格別のご高配にあずかり、厚く御礼申し上げます。今後とも曼珠の園に御座います見世一同ご厚誼を賜りますようお願い申し上げます」


陽乃穢が深々と頭を下げるとそれに合わせて小雪や静那も頭を下げる。


息をする音すら聞こえないほどの静寂さを破ったのは御簾の向こうにいる御当主様だった。


「陽乃穢、お前と会うのは久方ぶりだな。琥珀のやつは時折曙楼へ行っているようだが不便はないか?」


 御当主様の声は相変わらず美しい声色でずっとこのまま聞いていたいと思わせるような不思議な魅力がある。


「ご心配いただきありがとう御座います。琥珀様には大変よくして頂いており不便なことなど何も御座いません」


陽乃穢と御当主様はどうやら面識があるようで、陽乃穢にいくつか曼珠の園の様子や見世の様子などを聞き始める。


「……そうか、お前に次会うのはまたしばらく先になりそうだがその間もその名に恥じぬ行いをするように」


一通り陽乃穢と御当主様が話し終えると陽乃穢は再び深々と頭を下げてから自分が元座っていた位置に戻る。


陽乃穢が戻ると白夜が台に乗せられた小さな漆塗りの箱を御当主の前まで持ってくる。


「こちらは曙楼の陽乃穢花魁より献上された品物になります」


「ほぅ、陽乃穢が選んだとなればさぞや面白い物だろう。白夜、開けよ」


白夜がゆっくりと箱を開け中身を確認すると、御当主の側に置く。


「ふふ……。さすがは陽乃穢花魁。これは八十禍津やそまがつの木箱ではないか?私の記憶が正しければ人の世のどこかに眠っていると思ったが」


「さすがは御当主様、博識で。その通りでございます、何でも御当主様は最近人の子にたいそう興味を持たれているとお聞きしましたので人世に眠る最上級の呪物をご用意いたしました」


「これは素晴らしい。これほどの呪物となればこの幽世でもそうそうお目にかかれない。有り難く受け取ろう」


陽乃穢が深々と頭を下げると、白夜が続ける。


「月紗楼と幻灯楼の花魁方もお話したい儀があるようですが……」


白夜がそういうと御簾の向こうにいる御当主様は少し考える素振りをみせてから一つ頷く。


「では、御当主より許しが出ましたのでまずは月紗楼よりお願いします」


様子を見ていた静那はどんな相手だろうと心蕩かすような笑みを浮かべてするすると前に歩み出る。


両手をつき深々礼をすると男であれば思わず聞き入ってしまうような可愛らしい声が響く。


「この度は登楼することをお許しくださり誠にありがとうございんす。本日はささやかですがわっちも贈り物をご用意させて頂きんした」


静那が先程の陽乃穢の箱よりも幾分か大きめの箱を畳の上に滑らせるようにして御当主の前に差し出す。


白夜がそれを受け取り中を確認しようとするが御当主の声によって止められる。


「よい、白夜。で、贈り物とは?」


御当主様の返答は先ほど陽乃穢と話していたような口調ではなく、淡々とした口調でピリリとした緊張が走るのがわかる。


「わっちからは御当主様が最近気にかけていると噂の人の子を模した人形ひとがたをご用意しんした。気に入っていただければ幸いです」


ほんの一瞬御当主様の妖気が昂ったように感じたが、静那は気にすることなくにこにこと笑みを浮かべて御当主を見つめている。


「白夜、開けろ」


御当主の指示に従い箱を開けるとそこには紫苑に瓜二つの人形が収められていた。


「くくッ、本当に静那お前はしたたかな女だ」


御簾越しでもわかるほどの異様な雰囲気を察し先程まで笑顔を浮かべていた静那花魁も流石にその表情を硬くする。


「本当にこの人形はよく出来ている。きっとこの髪は本人のものなのだろう?ここまで手を尽くしてくれた静那には特別に礼をしなければな」


「そんな恐れ多い、わっちは御当主様に気に入っていただければそれだけで嬉しく思いんす」


「そう遠慮するな、静那には後で特別に贈り物をやろう」


異様な雰囲気のまま回ってきた幻灯楼の番だったが小雪の凛とした声で部屋の空気がかきかえられる。


「幻灯楼からは大祓いの際にお声がけ頂んした観月が贈り物をご用意しんした。観月」


紫苑はなんとか冷静を装い今にも震え出しそうな両手をぎゅっと握りしめ小箱を手に前へとでる。


「ささやかながらも御当主様に贈り物をご用意させて頂きました。どうぞお納めください」


紫苑が差し出した箱を白夜が受け取ると、小さな台にのせ箱の蓋を開けて御当主の前へと差し出す。


「……これは」


箱の中を見た御当主様は言葉を詰まらせ箱の中身を凝視する。


小箱の中には紫苑の能力を使って作られた硝子細工のような小ぶりの曼珠沙華の花が一輪収められていた。


陽乃穢や静那の贈り物と比べると圧倒的に劣るその品にくすくすと忍び笑いが響く。


「これは其方が作ったのか?」


「……はい。他の方々の品と比べるまでもない品ですが、心を込めてお作りいたしました」


御当主は白夜から箱の中にしまわれていた曼珠沙華の細工を受け取ると手に持ち角度を変えてはじっくりと見る。


「これには幸福のまじないがかけられているようだな」


御当主の言葉に返事をしていいものか迷っているとすぐ側に控えている白夜に返事をするように促される。


「はい、私のような者が恐れ多いとは思いましたが御当主様の幸せを願い作らせて頂きました」


紫苑が恥ずかしさから思わず俯く。


「……そうか有り難く頂こう」


 紫苑に返ってきた返事はひどく優しい声色で、隣に座る静那花魁の気が乱れるのを感じ慌てて小雪の後ろへと戻る。


御当主は小箱を白夜に持たせて下がらせると御簾越しに自分を仰ぎ見る花魁達を見やる。


「今年は昨年とは違いどの花魁も私の目から見ても美しい者ばかりで目移りしてしまうほどだ。献上品もどれも素晴らしいものばかりで甲乙付け難いが……私は幻灯楼の観月よりの贈り物を選ぼう。観月前へ」


どこか楽しげな雰囲気をにじませつつ御当主はそういうと、いきなり自分の名を呼ばれて驚いている紫苑の方を御簾越しに見つめられる。


 名を呼ばれ前に出ていいのか迷っていると痺れを切らした極夜が凍えそうなほど冷たい声で紫苑を叱咤する。


「御当主が前にと言っているんだ、早く前にでろ」


極夜が苛立たしげにそういうと御当主が極夜を諌めるように名を呼んだ。


「極夜……」


極夜は名を呼ばれただけで御当主様が何を言わんとしているかを察したらしく妖気を収める。


 おずおずと紫苑が御当主の前まで歩み出て座ると先ほどより御簾に近づいたせいか御当主様の姿が朧げだが見えるようになる。


 近くで御当主様を見ると大祓いの時に感じたのと同じく雅やかな雰囲気を纏っており、鎮座する足元にはゆさゆさと七尾が気まぐれに揺れている。


思わず不躾に御当主様の方を見入っていると後ろに控えていた小雪が小さく咳払いをして紫苑の意識を取り戻す。


(いけない!思わずじろじろと見てしまった……)


紫苑は自分の失態を恥じすぐに深々と頭を下げるとすぐに小雪が助け舟を出してくれる。


「わっちの禿が大変失礼しんした。なにぶんこの幽世にきて日が浅く不慣れなものでして……」


小雪が紫苑の失態を庇うようにして頭を下げる。


「よい、人の子ならば珍しさから私のことを見入ってしまうのも仕方がないこと。それよりも観月、お前の願いはなんだ?」


御当主様の鋭い視線が紫苑の身体を射抜く。


「私の願いは……」


一瞬人里のことや呪印のこと思い出すが自分の隣に座り心配そうな表情を浮かべる小雪を見て意を決し応える。


「私の願いは、ここにいる小雪花魁、凛、紅が幻灯楼を出て自由に暮らすことです」


紫苑のか細い声が静かな部屋に吸い込まれて消えていく。


「何言ってるんだい!御当主様、申し訳ありません。この子の願いは自身にかけられた呪印を解くことが願いでございんす。どうか先程の言葉はお忘れください」


紫苑の願いを聞いて小雪は慌てて訂正するように頭を下げる。


「ふむ、本当の願いはどちらだ?私はどちらでも構わないのだが。観月、お前の願いはどちらなんだ?」


耳に痛いくらいの静けさの中紫苑は今度はもう一度、しっかりと御当主様の方を見て言う。


「私の願いは先程言ったものと変わりません。小雪花魁、凛、紅が幻灯楼を出て遊女としてではなく外の世界で暮らせるようにしてください」


御当主は紫苑の答えを聞くと左手に持った扇子をぽんぽんと右手の平に軽く叩きながら、陽乃穢、静那、小雪の様子を窺い見る。


「そうか、では望みを聞いてやろう。白夜、幻灯楼へは俄が終わり次第小雪花魁と凛、紅の除籍を行うように伝えろ。それと同時に当分の暮らしに困らぬだけの十分な支度金を与えるようにともな」


御当主様は何でもないことのように次々と白夜に指示を出していく。そんな御当主様の言葉を聞いていておかしな点に気づいたのは小雪だった。


「御当主様に申し上げます、私どもへの恩情ありがとうございます。ですが観月はどうなるのでしょうか?今聞きました指示の中には観月の名がなかったように思いましたが」


小雪が言葉を発すると先程までとは違い再び部屋全体に緊張感が漂いだす。


緊張した面持ちで部屋の中にいる者たちが御当主様の方を伺っていると、御当主様は手に持った扇子で口元を隠したかと思うと目を細めて笑みを浮かべる。


「あぁ、そうだったな。観月一人、幻灯楼に残ると言うのも酷な話。彼女は私が責任を持って面倒を見よう……そうだな、月光花の間をこの者に与えよう。彼女をお連れしろ」


御当主様がそういうと両脇に控えていた白夜と極夜が立ち上がり紫苑の前に立つ。


「ま、待ってください!それはどういう……」


白夜と極夜に腕を引かれて立ち上がらされると紫苑は自分に起きたことを理解できずに抵抗する。


「待ってくんなまし 。面倒を見るということは観月を側女としてそばに置くと言うことでありんしょうか?」


小雪は白夜たちに連れて行かれようとする紫苑を見てすぐに縋るように御当主に話しかける。


「無礼だぞ。許しのないうちに御当主に話しかけるなど……身の程を知れ」


小雪が敵意を含んで御当主に話しかけたのを見るとすぐに極夜が何か術をかけ、小雪はその場に押さえつけられたように畳の上に倒れ込む。



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