第35話

 夢幻楼の御使いが来て数日が経った。


ユウキ様は鬼の一族の者で女将をうまく唆しこの幻灯楼に出入りしていたようだ。そして妖狐の一族によって幻灯楼の見世の中を徹底的に家探しされたが、何一つとして手掛かりになるようなものは見つけられなかった。


◇◇◇


 小雪は幻灯楼が通常営業に戻るとすぐに楼主に話をつけて、夏椿の会のために曙楼へと行くことを告げた。


あらかじめ外出の準備を済ませていたので紫苑たちは一階の玄関前で小雪が来るのを待つ。


しばらくして小雪が現れると、凛と紅は自分の身丈の半分ほどの大きさはある筆を小雪に差し出す。


「これから曙楼の陽の間に行くからわっちに続いて門を潜るんだよ」


小雪はそういうと幻灯楼の正面玄関を出て左手にある稲荷神を祀った小さな社の前に大人一人が通りぬけれるほどの大きさの円を筆で描く。


社の前の空中に描かれた円は淡い光を纏い、いつの間にか円の向こう側には薄暗い座敷が見える。


「それじゃあ、行くとしようかね」


小雪が紫苑たちの方を振り向いてそういうと踵を返して小雪は淡い光を放つ円をくぐり抜ける。後に続くように凛と紅も荷物を持って円を潜ると姿を消す。


自分の目の前で次々と起きる上級術に思考回路が追いつかず立ち尽くしてしまっていたが、残されたのが自分だけだと我にかえり慌てて紫苑も円をくぐった。


◇◇◇


円をくぐるとそこは幻灯楼の小雪の持つ座敷とは違い薄暗く、調度品などもなく部屋の中央にぽつんと三名分の席が設けられている部屋があった。


紫苑が辺りをきょろきょろと見渡しているとどこからともなく柔らかで心の中に滑り込んでくるような女性の声が部屋に響く。


「あらあら、人の子を見るのは何百年ぶりかしら?そんなに警戒せずに楽にしてちょうだい」


 どこからとも知れず声が聞こえてきて驚いてさらに辺りを見渡すといつの間にか先ほどは空席のままだった席に二人の美女が座っているのが目に入る。


紫苑があまりに一瞬のことで何がどうなっているのか分からず驚いていると、自分の少し前にいた小雪に声を掛けられ慌てて小雪の側まで駆け寄る。


小雪はそのまま紫苑たちの方を振り返ることなく残った一席に腰をかけると凛と紅は小雪の後ろに控えここに来るまで大事に抱えていた小包を小雪に渡す。


紫苑も慌てて凛と紅と同じく小雪の少し後ろに控えると、小雪の右手側に座っている背の丈ほどもあろうかというほど長い黒髪を下ろした姿の美女が口を開く。


「小雪ちゃんえらい目に合ったねぇ〜、ここ最近の園は暗躍している者が多過ぎてわっちらの手に余るほどだよ」


女性がそう言うと今度は反対側に座る同じく腰のあたりまで艶やかに伸びた黒髪を背中で一つにゆったりと編み込んだ女性が話だす。


「静那の言う通りね、人の子が現れてからというもの妖狐の御当主様や鬼の御当主様の動きが活発になってきているようね」


 長い黒髪を下ろした女性の名はどうやら静那というらしく、紫苑は以前に小雪から少し聞いた月紗楼の花魁の名前を思い出す。


(この方が月紗楼のお職花魁である静那さんね……ということは髪をゆるく結っている方が曙楼の陽乃穢さん)


紫苑が小雪の後ろからこっそりと二人の姿を盗み見ていると一瞬、陽乃穢と視線が交わるがすぐにそれは断たれる。


「本日はわっちの急なお願いにも関わらずお集まりいただきありがとうございんす。これはわっちからのささやかな気持ちでありんす。お受け取りくんなまし」


小雪はそう言って小包をそれぞれの前にすっと滑らせると、それぞれの花魁たちの後ろに控えていた禿が小包を受け取り再び後ろに姿を消した。


「それで?わっちらを集めたということはそれだけ大事な話があるんだろう?」


静那がそういうと小雪は少し苦笑いを浮かべてから本題を切り出す。


「単刀直入に言いんすと、今回の幻灯楼の件で俄へ登楼を控えるようにと月紗楼の楼主様が妖狐の御当主様に嘆願したとか……それに加えて登楼した際に花魁たちにお頼みしたいことがありんして……」


小雪が少し言いにくそうにそういうと陽乃穢は菩薩のような優しい笑みを浮かべたまま小雪に言う。


「俄の登楼の話は私たちが何もせずとも大丈夫でしょう。それより登楼した際に頼みたいこととは何ですか?」


小雪は一つ息を呑んで意を決して言葉にする。


「私の後ろに控えております観月はご存知の通り人の子でありんす。この観月の体には鬼が呪印によって封印されていて、その封印されてありんす 鬼を御当主様に滅してもらえるようにお願いするつもりでありんす。恥を承知でお願いしんす、この度の俄、姉さん達には御当主の御機嫌伺い身を引いていただくことは出来んせんでしょうか」


小雪が自分を見つめる二人の花魁たちの様子を伺っていると陽乃穢が笑みを浮かべたまま即答する。


「私はかまいませんよ。それに私たちがどうこう言わずとも妖狐の御当主様はその子を悪いようにはしないでしょうし」


 小雪が陽乃穢の言った言葉の意味がわからず聞き返そうとするが、静那の言葉によってかき消される。


「年に一度の御当主様にお目にかかれる日。それも今年は御当主様のご機嫌をとれた者にはどんな願いも叶えてくれると言う話。わっちは陽乃穢さんのように二つ返事とはいきんせんよ」


静那はそう言うと小雪の後ろに控えている紫苑に視線を向けてちょいちょいと前に出てくるように手招く。


小雪が静那の視線を遮るように間に入ると静那に底冷えするような冷たい視線をやる。


「対価はもちろんわっちが用意させてもらいんす、この子は関係ありんせんので話はわっちにしてくんなまし」


 小雪の急変した態度に静那は面白そうにくすくすと不快な笑い声を漏らすと小雪を安心させるような声色で話す。


「なにもその子を取って食おうって話じゃあないよ、それじゃあ対価としてその子の髪を一房もらえるなら協力してもいいよ」


小雪が静那に言い返そうとするが紫苑がそれを止める。


「姉さんたちのお話し合いに口を挟むことをお許しください。小雪姉さん、私の髪だけで話が収まるならば喜んでこの髪をお渡しします」


 小雪は自分の後ろに控えていた紫苑が自分の隣に出てきてそう言うと、珍しく声を荒げて紫苑に詰め寄る。


「お前、髪を渡すって意味が分かって言っているのかい!?妖に髪を渡すなんてどんな呪術に使われるか分かったもんじゃないよ!」


小雪の言う通り、髪や爪など体の一部は呪術によく用いられることが多くその多くはあまり好ましい用途とは言えない。


しかも、髪を渡す相手がこの曼珠の園の中でもお職を張る妖ともなると紫苑自身の身の危険すら考えられるのだ。


小雪と紫苑が言い合っていると静那が呆れたように間に割ってはいる。


「わっちらの前で身内で揉めるなんてよしとくれよ。その子からもらった髪は誓って呪術には使いんせんよ、大事に大事にとっておくだけだけだから安心してくんなまし」


 静那はあくまでも危害を加えるような呪術などには使わずにとっておくだけだというが、どうにも信用ならない。小雪は考えを巡らせ、静那に交換条件を持ちかける。


「わかりんした、その代わり陽乃穢姉さんに証人になってもらいんす。決して観月の髪を悪しき術に使用しないと」


 静那が小雪の提案に頷くと様子を見守っていた陽乃穢は自分の後ろに控える禿に指示を出すと禿は小雪と静那の前に一本の巻物と小筆を置いて再び陽乃穢の後ろに控える。


「今、お渡しした巻物は私の名において作られた証書になります。それぞれ取引をする当人の真名と支払う対価とその条件を書いてください」


静那は巻物を広げるとすらすらとためらうことなく巻物に必要な事柄を綴っていく。


小雪も巻物を開き筆を手に取るが、そこで陽乃穢が小雪にこの契約は当人のみのものだから紫苑に書かせるようにと告げる。


小雪は少し怪訝な表情を浮かべたがすぐに気を取り直し、紫苑を自分の隣に座らせると小筆を渡して巻物に何を記載するか教える。


 支払う対価についてや、条件などを記載して最後に真名と書かれた場所に視線を落とすと小雪が郭での名前ではなく自分の本当の名を書くんだよと教えてくれる。


紫苑は曼珠の園に来てからずっと観月と言う偽りの名を名乗っていたため、ここで自分の本名を書くことに躊躇うがここまで話が進んでしまったのだなるようになれ!と腹を括る。


紫苑が巻物の最後に自分の本当の名『紫苑』と書き綴ると小雪は一瞬紫苑を見つめるが何もなかったかのように巻物を丸めて陽乃穢の方へと差し出す。


「確かにこれで私が証人となって静那と紫苑さんの取引を承認しました。では紫苑さん対価を静那に支払ってください」


陽乃穢がそういうと御台に恭しく乗せられた鋏を持って陽乃穢の禿が紫苑のそばまでやってくる。


紫苑は鋏を受け取るとなるべく目立たないように襟足の内側の髪を一房掴んで鋏で切り落とす。


切った髪を禿の持つ御台に乗せて鋏も一緒におく。すると禿はそのまま御台を掲げたまま静那の元まで行き朱色で何やら呪文が書かれた半紙に紫苑の切り取った髪を包み静那へ渡す。


「これで取引は成立ですね。では他に話し合いたいことは?」


陽乃穢が小雪と静那に確認するように問いかけるが小雪は今日言うべきことは先ほど全て言ったのでこれ以上は何もないと陽乃穢に顔を横に振り意思を伝える。


「ではこれで夏椿の会は終了とします。次に会うのは俄の初日ですね、二人ともお元気で」


陽乃穢はそういうと静かに席をたち禿たちと共に部屋を出ていく。


陽乃穢が部屋から出ていくといつの間にか静那も席を離れており、紫苑たちがここにくる際にくぐった円と同じような円の中へと姿を消した。


 陽乃穢や静那が去ると部屋の中はしんッと静まり返り、小雪も立ち上がると紫苑たちに声をかけてここにくる時と同じく再び大きな筆で空中に円を描き幻灯楼の自室へと空間を繋げた。


「とりあえず、一番の難所は乗り越えたわけだから部屋に戻って少し休むとするかね」


小雪はそう言って緊張した面持ちのままの凛や紅に笑いかけると円をくぐって部屋を後にする。


 ずっと緊張しっぱなしで微動だにしなかった凛と紅もようやく緊張が解けたのかお互いの顔を見合わせて少し笑うと小雪の後を追いかけて円をくぐり、紫苑もそれに続いてきらきらと淡い光を放つ円をくぐったのだった。


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