第21話

 紫苑と甘味屋で休んでいたら通りの向こうに姿を隠してこちらの様子をうかがう白夜の姿があった。


せっかくの二人の時間を邪魔されて少しむっとするが白夜がここまでやってくるなど、よほど急ぎの要件があるのかと思い紫苑に少し待つように言って席を離れる。


妖たちが行き交う通りをすり抜けて建物と建物の間にあるほの暗い路地に体を滑り込ませると白夜が膝をつき頭を垂れる。


「お前がここまで来るなど珍しいな、何の要件だ?」


自分の目の前で未だに片膝をつき頭を下げる白夜に要件を促す。


「はい、情報を集めるように言われていました下の里の犬神家のユウキに関してですが、たしかに犬神家には長男にユウキという者がおりました。しかし、ここ数か月ほど本家には顔を出していないようでユウキの姿を見た者はおりません。ちょうど幻灯楼の常連客のユウキが現れ始めたころと時期が重なっております」


 白夜の報告を受けてやはりなと瞳を鋭く細め、裏で糸を引いているであろう人物についての情報も報告するようにいう。


「そのユウキという男、間違いなく白桜の手先の者だろう。白桜の方の動きはその後どうだ?」


「はい、鬼の動きですが表立ったものはありませんが裏で白桜様の側近の一人蒼紫殿が何やら動き出している様子です。密偵の報告ではこの曼殊の園にも数回出入りしているようでした」


月天は蒼紫の名を聞き、ぎりりと強く歯を噛み締める。


「あの忌々しい鬼め、まだ生きていたか……そうなると幻灯楼のユウキという人物は蒼紫が成りすましている可能性が高い。急いで幻灯楼から紫苑を召上げる準備を進めろ」


「御意……しかし、月天様。本当に鬼の一族との協定を結びになるので?」


 この一か月ほどの間に急に浮上した鬼の一族と妖狐の一族の協定の話はお互いの条件をのむことで締結することになっている。


条件だけみれば妖狐の里にとっては悪い話ではないが、月天の個人的な感情を考えればこの協定を結ぶことに疑問を感じずにはいられない。


「あぁ、この協定を結ぶことで白桜は逆に紫苑に手が出しにくくなる……報告は以上か?」


月天は物事が自分の思い通りに進んでいることを知りニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべる。


「はい、姿見の鏡はすでに夢幻楼の月天様の居室に置いてありますのでいつでも紫苑様を迎え入れる準備は整っております。私と極夜は引き続き鬼の一族と妖猫の一族の監視を続けます。では御前失礼いたします」


白夜はそう言い再び深く頭を下げるとどこからともなく霧が足元から漂い始め、霧と共に白夜の姿は消えていた。



◇◇◇


 宗介様が見世から出て通りの妖たちの間に消えていくのを眺めていると近くに座っている遊女たちの話が耳に飛び込んでくる。


「今年の俄は妖狐のご当主以外にも鬼と妖猫のご当主様もこの曼殊の園に来るって話だけど、なんでも鬼のご当主はこの曼殊の園の中で探し人がいるって話だよ」


「あー、わっちもその話聞きんした。なんでも百年近く前に鬼の里から里抜けした裏切り者を追っているって話だって……」


「え?わっちが聞いたのは里抜けした裏切り者が妖狐のご当主側についたから今回の協定を結ぶことでその裏切り者の身柄を引き渡すって話になってるって聞いたよ」


 わいわいと鬼の当主や妖猫の当主についての噂をささやきあっている遊女たちを横目に見つつ気づけばぜんざいをきれいに平らげてしまっていた。


 見世の前の通りを見てもまだ宗介様が帰ってくる気配もないので、もう一杯お茶でも飲んで待っていようかと腰を上げると運悪く見世の中に入ろうとしていた妖とぶつかる。


「あ、すいません……」


 ぶつかった相手は今まで見たことがないような真っ赤な顔で鬼のような険しい形相をした妖で、思わずその場から身を引いてしまう。


「あぁ?おまえ人間の小娘だな?俺にぶつかっておいて謝っただけで済むと思ってるのか!」


 紫苑が妖から何とか距離をとろうと身を引くが妖から伸びてきた長い腕に手首をつかまれてしまう。


「あの、わざとではないんです。本当にすいません」


 最初から険しい表情をしていたので怒っているのかどうかは分からないがとにかくこの場を収めるには下手に出たほうがいいと思いひたすら頭を下げる。


「そうだな、お前の腕一本で勘弁してやる、腕をよこしな」


 目の前の妖は紫苑の右手を強く引っ張りいつの間にか左手に持った斧で紫苑の右手を切り落とそうとする。


(このままじゃ本当に腕を切られちゃう……)


 身の危険を感じた紫苑は無意識のうちに自分の左手を妖にかざすと妖が斧を振り下げるよりも早く妖は何かに跳ね除けられたかのように身をのけぞらせる。


そのせいでバランスを崩した妖は紫苑の右手を離しその場にドンっと尻もちをつく。


…………。


「この女ァァア!!」


一瞬、見世の中がしーんッと静まり返るがすぐに妖の怒号が響き見世の中にいた妖たちが急いで紫苑から距離を取る。


妖が起き上がる前に何とかこの場から逃げなければと思い、通りにでるが後ろからすぐに妖が迫っておりいったいどこに向かえばいいのかと途方に暮れる。


(こんな時に宗介様がいてくれれば……)


 紫苑が通りで左右どちらに逃げるべきが足を止めた時、すぐ後ろまで迫る妖が紫苑の背中めがけて斧を勢いよく振り下ろす。


振り下ろされた斧は空を裂き紫苑の着ていた着物を割いた。


右肩から左腰のあたりまで袈裟斬りのように振り下ろされた斧は紫苑の着物を裂き、裂かれた着物の間から紫苑の白い肌が現れる。


 道に倒れこんだ紫苑にとどめを刺そうと妖は再び斧を高く振り上げるが、地の底を這うような恐ろしい声によって妖は振り上げたまま動きを止めた。


「きさま、彼女に何をした?」


 遠くからでも分かるほどの殺気を含んだ声色によって妖は恐怖のあまりに身動きを止め、視線の先にいる宗介の姿をただ見つめるしかできない。


「私の問いかけに答えることもできぬか?では、消えろ」


 いつの間にか紫苑を襲おうとしていた妖の後ろに音もなく宗介が立ったと思うと、妖が立っていた場所には原型を留めていない肉塊がドシャリと崩れ落ちる。


 あまりの一瞬のことで紫苑はもちろん野次馬をしていた妖たちも言葉を無くす。


ようやく自分たちの目の前で一瞬にして妖が滅せられたのを理解し、野次馬達は悲鳴やざわめきが起こし混乱が起きる。


しかし肝心の宗介は何事もなかったかのように、いつも通りの優しい笑みを浮かべて紫苑に駆け寄る。


「観月、大丈夫だったかい?すまない、私が席を離れたばかりに……」


 道に倒れこんで動けなくなっていた紫苑の手を優しく取り起き上がらせるが、紫苑の着物が背中からバッサリと切られていることに気づき慌てて自分の羽織っていた長羽織をかけようとする。


宗介が紫苑の背に羽織をかけるときにチラリと着物の裂け目に目をやるとそこには鮮やかな緋色で彫られた刺青のような美しい呪印があった。


(呪印?しかも、一瞬しか見えなかったが桜の紋様が入っている?)


 紫苑の背中にある呪印が気になるが、とにかくここでは他の妖たちの目が気になるので紫苑を抱き上げ急いで幻灯楼へと戻ることにした。


「観月、大丈夫かい?どこか痛むところはないかい?」


宗介に抱きあげられてから一言も発さない紫苑を心配して顔を覗き込む。


「!大丈夫です!少し足を捻っただけで背中も斬られずに済みましたので」


先ほどの恐怖がまだ身体に残っており無意識に握りしめた手が震えてしまう。


自分を追いかけてきた妖の姿を確認しようとしたがそれは宗介によって止められてしまった。きっと宗介によってあの妖は滅せられたにしがいない。


あれだけ妖力も強く周りの妖からも距離を置かれていた妖怪を最も容易く滅するなんて宗介は自分が思っていたよりももっとずっと上位の妖怪なのかもしれない。


紫苑がいまだに震えが止まらない自分の両腕を抱き寄せるように力を込めると心配そうな表情を浮かべた宗介と視線が合う。


宗介に横抱きにされているため、顔を覗き込まれると吐息がかかるほど距離が縮まり紫苑は思わず顔を赤くして俯いてしまう。


「もう少しで幻灯楼に着くから、辛抱しておくれ」


宗介が紫苑を抱き抱えて幻灯楼まで戻ると辺りはすっかり日が暮れ始めており通りに並ぶ見世にも明かりが灯り出していた。


宗介は幻灯楼へ着くとすぐに小雪と女将を呼び出して先ほどあったことを伝え、紫苑を少し休ませたいと小雪や女将に言ってくれた。


「観月姉さん!大丈夫でありんすか?」


 小雪と共に二階から急いで降りてきた凛と紅は宗介の羽織に包まれた紫苑の姿を見て心配そうに駆け寄る。


小雪が女将や宗介と話を終えるとすぐに凛と紅が紫苑の両手をとり自室へと連れて行った。

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