第19話

 小雪たちから逃げるようにして見世を後にした宗介は仲之町まで出ると歩みを緩め自分が手を引いて連れ出した紫苑の方を振り返る。


走らせてしまって悪かったねと自分に向かって優しく微笑みを浮かべる宗介の顔が何故だか一瞬誰かの面影と重なるがどうしても思い出せない。


それよりもこれからどこへ行くのか心配になり自分の手を引いて先を歩く宗介に尋ねる。


「宗介様、今日はこの曼殊の園の中を案内してくれるということでしたが、以前案内していただいたのとはまた別の場所があるのでしょうか?」


 以前宗介には曼殊の園にある稲荷神社や一面の曼殊沙華の花が見える場所など案内してもらった。


「今日はこの曼殊の園にある見世を紹介しようと思ってね。そうそう、小雪花魁から観月用の護符を受け取りに行ってくれって言われてたから先に術具屋に行こうか」


 宗介はそう言うと紫苑の手を優しく引きながら術具屋までの道を色々と案内してくれた。


 術具屋は仲之町の表通りから一本裏手に入った場所にあり、見世の存在を知っている者でないととてもたどり着けそうにない。


 ここに来るまでの道のりを一応覚えながら宗介の後に続いて見世に入るとそこは薄暗く少し埃っぽい空気が漂っている。


視界に入る壁という壁には床から天井までびっしりと棚や引き出しが並んでいた。


見世の奥まで進むと正面に巻物や書物が山のように積み上げられ一つの古ぼけた机が置かれている。机の中央にはうつ伏せになって寝ている妖の姿があった。


 紫苑が机の上にある様々な書物や置物などを観察しつつ寝ている妖に気を取られていると隣にいた宗介は正面にいる妖ではなく、机の隅に置かれた小さな一つ目小僧の置物に向かって話しかける。


「幻灯楼の小雪花魁が頼んでいた護符を受け取りに来た、あと術に使う墨や札をいくつかつくろってほしい」


 宗介が机の上に置いてある目を閉じて膝を抱えた姿の一つ目小僧の置物に話しかけるのを見て紫苑は意味が分からなくて自分の目の前で寝ている様子の妖と宗介を何度も見直してしまう。


「あの……宗介様、この見世の主人ってこちらのうつ伏せで寝ている方では?」


紫苑が恐る恐るそう言うと宗介はあぁ、と何やら気づいたようでこの見世について教えてくれた。


「この見世の店主はちょっと特殊な奴でね、実態を持たないからこうして置物の中に入り込んだり魂の宿っていない体に入っていたりとその時々で姿を変えるんだ」


宗介はそう説明しながら先ほど自分が話しかけた一つ目小僧の置物に向かって軽く人差し指をはじく。


バシッと小さな音がすると先ほどまでピクリとも動かなかった置物の目がパチリと開き机の上に立ち上がり非難めいた声で宗介を睨む。


「痛いなぁ、そんなことしなくても話は聞いているというのに」


手のひらにすっぽり収まりそうなくらい小さな一つ目小僧は顔の中心にある大きな目をキョロキョロと忙しなく動かすと紫苑の存在に気づいたようで宗介を無視して紫苑の前まで駆け寄る。


「珍しい!純粋な人の子じゃないか!血を分けてくれ!」


一つ目小僧は紫苑の目の前まで来るとその小さな体を机の上でぴょこぴょこと飛び跳ねさせて血をくれ血をくれと紫苑の身体に飛び移ろうとしてくる。


「その子に指一本でも触れたら生まれてきたことを後悔する目に合うが良いのかい?」


表情はいつも通りにこやかだがそこから発せられる雰囲気には微塵も優しさなど含まれておらず、今にも見世の中が全て凍り付きそうなくらい恐ろしい雰囲気が漂っている。


 あまりの豹変ぶりに紫苑は自分の目を疑うが、宗介は今までにも時おり妖特有の残酷な一面を見せることがあったので妖は本来このように恐ろしい雰囲気を持つ者なのだと自分に言い聞かせる。


「そ、宗介様。私は大丈夫ですので……」


紫苑が恐る恐る宗介に話しかけると机の上でぴょんぴょんと撥ねていた一つ目小僧の置物はいつの間にか最初と同じ姿勢に戻っていた。


紫苑が動かなくなった一つ目小僧の置物を指でつつこうと手を出した瞬間、机の奥に続く暗い通路から声してくる。


「おっと、触れないでおくれよお嬢さん。私はこんなところで滅せらるなんてごめんだからね」


 奥の通路から出てきたのは春の若葉を思わせるような柔らかい緑色の髪を肩の高さできれいに切りそろえ、爽やかな笑みを浮かべた人の歳にして三十代前半くらいの男だった。


「早く品を出してくれ、貴重な観月との時間をお前のせいで無駄にしたくはないからな」


宗介はそう言うと左右の壁にずらりと並ぶ薬草や術具を吟味し始める。


「初めまして、私はこの見世の主人でククノチつまり木の精霊の楓というよ。お嬢さんは?」


 楓と名乗った男は机の上に乱雑に置かれていた物を右腕でズザザーっと床に落とすと全く気にすることなく机の引き出しから護符らしき札や墨らしき黒い液体が入った小瓶をいくつか出して準備を始める。


楓が机の上から乱暴に落とした書物や巻物が紫苑の足元まで転がって来たので拾って机の上に戻そうとするが、机の上で何やら紙の枚数を数えるのに夢中になっている様子の楓に止められる。


「それには触れないほうがいい、触れた者をその巻物に閉じ込める呪具だからね」


慌てて手を引っ込めると後ろから何やら色々と見たこともないような不思議な薬草や巻物などを抱えた宗介が声をかけてくる。


「この見世の中にあるものは危険な呪具も多いからうかつに触れないほうがいいよ。店主あとこれも一緒に頼む」


 抱えきれないほどたくさんの術具や薬草を楓のいる机の上に置くと宗介は近くに転がっていた椅子を二つ持ってきて紫苑に座るように促す。


「道具を包むのに少し時間がかかるから座って少し話でもしてようか」


 宗介は満面の笑み浮かべて自分のすぐ隣に紫苑を座らせる。


いくら通路が狭い見世と言っても紫苑が今座らされているのは宗介の足と紫苑の足がぴったりつきそうなくらいの距離で少し動くだけでも紫苑の足が宗介の足に触れてしまう。


「あの……宗介様、さすがに少し近すぎるのでは?」


 紫苑がニコニコと上機嫌で笑っている宗介にそう言うと、そんなことはない、もっと近くてもいいくらいだむしろ私の膝の上に座ってもいいくらい……などと不穏な言葉を言い出したので慌てて話題をそらす。


「そう言えば!私も術具をいくつか買いたいと思ってまして」


紫苑が術に使うための札や墨などを買いたいというと宗介はうんうんと笑顔で頷きとんでもない言葉を放つ。


「そうだろうと思って私が良さそうなものを見つくろってきたから大丈夫だよ、観月は何もしなくていいからね」


「え!この目の前にある品すべて私のためですか!?」


楓が黙々と作業を続けている机の上には半年は軽く持ちそうなほどの薬草や術具が山のように置かれている。


「こんなに私扱えません!それにこんな高価なものまで……」


 山のように並べられた道具の中には美しく輝く紫苑の手のひらほどの大きさのある水晶などもありとても紫苑が払えるような金額ではないと慌てて宗介に言うが、これは僕からの贈り物だよと笑顔で答えられ紫苑はどうしたものかと困った表情をうかべる。


「観月が本当に安全な場所に着くまでのお守りみたいなものだよ、それに俄が始まると今まで姿を現さなかった妖たちもこの曼殊の園に出入りするようになるだろうから早めに身を守る準備をしておいたほうがいい」


紫苑は宗介が言った本当に安全な場所という言葉が気になったが、きっと人里に戻るまでのことを言ってるのだと思い好意をありがたく受け取ることにする。


「宗介様ありがとうございます。しかし、私は術者としてはまだまだ未熟でこんなにたくさんの術具や薬草をいただいても扱いきれないと思います」


自分の術者としての未熟さを恥じて紫苑は頬を少し赤らめてうつむく。


「あぁ、それなら大丈夫だよ。僕が全て手とり足とり扱い方を丁寧に教えてあげるからね」


そう言った宗介の表情に紫苑は視線を下に落としていたので気づかない。


宗介の手が紫苑の膝の上に置かれた手に触れようと伸びるが、間が悪く楓が『できた!』と大きな声を出して立ち上がる。


「お待たせしました、守りの護符と術具や薬草の品々です……って何をそんなに怒ってらっしゃるんですか?」


紫苑の手を握り損ねた宗介は軽く眉間にしわを寄せているが、机の上に置かれた護符を見て瞳をきらきらと輝かせている紫苑を見て怒りを抑える。


「わぁ!すごいです!この守りの護符はかなり力のある妖からも身を守れそうですね!」


紫苑が自分で作って使っている護符はせいぜい中級の妖から一度身を守れるくらいで一緒にいる宗介のような上級の妖に対してはあまり意味をなさない。


術の中でも札類は製作者の能力次第で強くも弱くもなるのでこんなに強力な護符を創れるとなると楓さんもかなり能力の高い妖なのだろう。


紫苑はよほど感動したらしく楓にこれはどうだあれはどうだと感嘆と賞賛の言葉を浴びせるようにおくっている。


「……私だって本来の姿に戻ればそれくらいの物いくらでも作れるのに……」


紫苑が今にも楓の手を握りだしそうな勢いで前のめりになって話す姿をみて宗介は少し不機嫌そうにつぶやく。


 これ以上長居をして紫苑が楓に興味を持ったら面倒だと思い優しく紫苑の肩に手を置きもう行こうと促す。


「観月、それじゃあ必要な物はそろったし次の見世に行くとしよう」


「あ、そうですね。すいません、母が亡くなってから独学で術の勉強をしていたものでつい色々と気になって……」


紫苑がはにかみながら笑うと目の前に座っていた楓が術の類なら宗介の方が詳しいよと教えてくれる。


「え?宗介様って術のたぐいが得意なんですか?確か妖猫はあまり札や薬草を使うような複雑な術は使わないと思ってました」


紫苑がぱあッと尊敬の眼差しで宗介を見つめると宗介はすこし口元を緩ませて上機嫌になる。


「……ふふん、まぁね。それより今日は観月に俄の時に着る簪や着物を見立ててあげようと思ってるんだ早く次の見世に行かないと日が暮れてしまう」


宗介は机の上に置かれた多くの包みを受け取ると懐から出した紫色の風呂敷で包む。


 山のような荷物をどうやって持ち運ぶのかと思っていたら宗介が取り出した風呂敷に荷物を包むと不思議なことにいくら風呂敷の中に荷物を入れようともスイカ一つ分ほどの大きさから変わることなく永遠と荷物を吸い込んでいく。


「その風呂敷も術具ですか?」


初めて見た不思議な風呂敷に興味を持ち宗介に聞くと少し得意げな表情を浮かべてこれは私が作った無限風呂敷だと説明してくれた。


驚く紫苑をよそにすべての品を受け取ると宗介は再び紫苑の手を取り術具屋を後にした。



楓独りに戻った見世の中はしんーッと静寂が戻り、楓のつぶやくような言葉だけが響く。


「あのお狐様に気に入られるなんてあの子も大変だ……」

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