第18話

 一日経つと昨日の座敷での不調が嘘かのようにすっかり紫苑の体調は元に戻っていた。


 遊女たちが起き始める時刻になると幻灯楼には色々な商人がやってきたりお客からの手紙を持ってくる人の出入りで一階は賑やかになる。


紫苑がいつものように一階に行き、小雪花魁宛の手紙を確認していると昨晩用事ができたと慌てて帰ったユウキ様からも手紙が届いてた。


(よかった、次の日の朝一番で手紙をくれたってことは怒って帰ったわけではなさそう)


昨日思わずユウキ様の手を振り払って声を荒げてしまったことをずっと気にしていた紫苑は安堵のため息をつく。


他の手紙を確認していると、紫苑を幻灯楼に紹介してくれた宗介様からの手紙が入っていた。


宗介は紫苑をこの幻灯楼に連れてきた日以降は一度も登楼しておらず小雪花魁も文句を言っていた。


きっと宗介様からの手紙を読めば小雪花魁も機嫌を直すだろうと思うとついつい紫苑の顔にも笑みが溢れる。


 小雪花魁宛の手紙を一通り確認し終えると他の注文していた商品も一緒に抱えて小雪の部屋へと向かう。


小雪の部屋に行きいつもの様に中に入ると珍しく紅と凛はいないようで小雪花魁だけが座っていた。


「姉さん、宗介様とユウキ様から手紙が届いてますよ」


大きな荷物を下ろし小雪にまとめて手紙を渡すと、小雪は受け取るとその場ですぐに封を開けて手紙を読み始める。


一通目の手紙を読み終えると小雪花魁は少し眉間に皺を寄せてから予定より早いけど今日の昼見世に宗介様がくるようだから準備しておくようにと紫苑に言った。


「昼見世にくるなんて珍しいですね」


 小雪花魁のお客のほとんどは夜見世にしか来ない方ばかりで宗介様も昼見世に顔を出すことはほとんどないと凛から聞いていたので少し驚きながらも早速準備に取り掛かろうと腰を上げると小雪が思い出したように言葉を続けた。


「今日宗介様があんたに曼珠の園の中を案内したいって書いてたから、ここに来て一休みしたらすぐに外に出ると思うよ」


「え?私ですか?姉さんはどうするんですか?」


「わっちは今更この花街を見てまわるものもないし、、宗介様に甘えて二人で行っておいで。そうさ、術具屋に注文してある守りの護符をとりに行くといいよ」


小雪花魁はそう言うと次の手紙を開けて読み始める。


もう一通の手紙を読みはじめると小雪の表情はだんだんと険しいものとなり読み終えるころにはすっかり不機嫌になっていた。


「姉さん、その手紙はユウキ様からのものですよね?何かまずいことでも書かれてたんですか?」


もしかすると昨晩の失態のせいで苦情でも書かれていたのかと思い内心ドキドキしながら小雪に不機嫌の理由を聞くと、小雪はユウキ様から来た手紙を紫苑に読んでみなと渡してきた。


手紙を読んでみると、昨日は会わずに帰ってしまい申し訳なかったと謝罪から始まりまた後日登楼すると書かれていた。


(よかった、怒ってないみたい)


紫苑がずっと心配していた昨晩のことはユウキ様は本当に気にしていないらしく、小雪へのご機嫌伺いの文が続いていた。


読み進めていくと話題が変わり、紫苑について書かれていた。


 人の子である紫苑に人里のことを話すなど配慮が足りなかったと詫びの文が書かれており、それに続いてもし紫苑が人里に戻りたいと言う気持ちがあるのなら力になるので相談して欲しいと締め括られていた。


手紙を読み終えた紫苑は昨晩あんな失態をおかした紫苑をこんなに心配してくれるなんてなんていい妖なんだろうと思わず手紙を握る手に力が入る。


「姉さん、ユウキ様は本当にできた妖ですね。私のような人の子の心配までしてくれるなんて」


感動しながら小雪にそう言うと小雪からは思わぬ言葉が返ってきた。


「ユウキ様は信用しない方がいい。人里に堂々と降りれるなんて普通の妖じゃないよ、それに会って数回の人の子にここまで親切にするなんてどう考えても裏があるよ」


小雪に言われてこの幽世に来てから経験した苦い思い出を思い出して確かのそうかも……と紫苑は思いなおす。


「それに、犬神だったら人も喰うからね。あまりここにくる客を信用しないこった」


 人を喰うと言われてハッとする。


 そうだここは幽世であって今まで紫苑が住んでいた現世とは何もかもが違うのだ、今目の前に座り紫苑の世話を見てくれる小雪だって立派な雪女と言う妖だし、凛と紅だって人とは違う姿を持つのだ。


毎日が平穏に過ぎていたので自分が今置かれている立場の危うさを忘れかけていた。


(母様が言っていたのはこう言うことか……)


忘れかけていた現実を突きつけられ背中が粟立つのがわかった。


妖は人を化かし、唆すのが得意だ。目に写る姿形に騙されて気を許すことは危険だ。


いつの間にか紫苑の日常に入り込んだこの幽世という異界は、紫苑の日常を塗り替え戻る場所も自分が何者かさえも忘れてさせてしまうそんな場所なのだ。


 手紙を一通り確認し終えると小雪はすぐに返事をしたため、紫苑はそれを受け取るとすぐに一階にいる郵便屋に手紙を渡す。


時間をみると後少しで昼見世が始まる時刻になっており、慌てて二階の座敷に戻ると小雪花魁と凛と紅はすでに座敷で宗介様がくるのを待っていた。


「観月姉さんは宗助様のおきにいりで羨ましいでありんす。わっちも曼殊の園を散歩したいでありんす」


紅は紫苑が座敷にくるとすぐにそばまできてずるいずるいと着物の袖を引っ張りながら駄々をこねる。


「これ紅、もう少ししたら俄があるだろう?その時に女将さんに言って園の中を見れるように頼んでおくから今日は我慢しな」


小雪が紅にそう言うと紅はむくれた顔のまましぶしぶ紫苑から離れると、ちょうど廊下から女将の声がかかり宗介が現れる。


「急に訪ねて悪かったね、少し時間が空いたから観月の様子を見に来たよ」


そう言うと宗介は座敷に入り小雪花魁の側に座る。


「わっちでなく観月に会いに来んしたでありんすか?」


小雪は口を尖らせふいっと宗介から顔をそらすと宗介は慌てて小雪のご機嫌伺いを始めると待ってましたとばかりに小雪は宗介におねだりを始める。


「もう少しで俄があるから、その日はわっちを一日独り占めしてはくれんせんか?」


小雪がそういうと宗介は参ったなと困ったような笑みをうかべる。


「小雪のおねだりは叶えてやりたいんだが、その日はちょっと都合が悪くてね……他の日であれば総仕舞でもなんでもしてやるんだが」


「まったく、ぬしはちっとも見世に顔を出してはくれんせんし、いつもそうやって笑うばかり」


参った参ったと笑ってばかりの宗介は話の矛先を変えようと紫苑の方へ視線を送り話を振る。


「そういえば、観月は俄は初めてだね。俄はこの曼殊の園きっての大きな行事の一つでご当主様が滞在される夢幻楼から大門までの仲の町を百鬼夜行のごとく練り歩く祭りのような催し物なんだよ。今年の俄は妖狐のご当主に鬼のご当主、さらに妖猫のご当主の御三方が揃うとあって街中この話でもちきりさ」


 宗介がそう言うと小雪は鬼と妖猫のご当主が来ることをまだ知らなかったらしく宗介にその話は本当かと聞き返す。


「もしそれがまこと なら二百年ぶりの大きな祭りになりそうでありんすね。それにしてもご当主が御三方揃うとなるとこの花街にもついに鬼の一族が出入りするようになるんでありんすね」


「そうだね、ここだけの話鬼の一族と妖狐の一族との間で正式に協定を結ぶことになりそうだから友好の証に俄の際にそれぞれのご当主に気に入った娘がいればその娘を贈るって話もでているからね」


宗介の話を聞いた凛と紅は慌ててお互いの手を取りあってこれからどうしようと大きな声で嘆く。


「姉さんが鬼のご当主様に気に入られたらどうしよう紅!」


「鬼のご当主様は身の丈6尺はあろうかという大鬼でその容姿は優美とはかけ離れた姿をしているって聞きんした!そんな妖に姉さんを差し出すなんて」


 おいおい、と宗介があきれて笑いながら声をかけるが凛と紅は自分の世界に入り込んでるらしくて周りそっちのけで鬼の当主の悪口ばかり言っている。


小雪はあきれ返って扇子で顔を隠すが、宗介はなぜか凛と紅が話している鬼の当主の悪口が気に入ったようで上機嫌で二人の様子を眺めている。


「凛に紅、そもそもわっちらが他の里のご当主様に会えるかなんて分からなんだ余計な心配するくらいなら宗介様に帯の一本でもねだっておくれ」


上機嫌に笑っていた宗介は小雪に話を振られるとこれはまずいと察して紫苑の手を取りそれじゃあ、そろそろ予定通り霞に街の中を案内しようかなと笑みを浮かべて紫苑の手を引き座敷を後にした。



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