第15話

 紫苑が見世に戻ると夜見世まであと少しと言うこともあり見世の中は慌ただしそうに行き交う遊女たちで溢れている。


女将さんに戻りましたと一言伝え、小雪の部屋へと向かう。


「姉さん、観月です。今戻りました」


部屋の前で声をかけると小雪の声が返ってくる。


「あぁ、ちょうどいい。お入り」


 襖を開けて部屋に入るとすでに仕事着に着替えた小雪が煙管を吹かしながら窓の外を眺めていた。


襖を閉め小雪のそばまで行くと凛と紅も支度を終えたようで近寄ってくる。


「姉さん、昨日はごめんなさい……」


 紫苑が頭を下げると小雪は少し眉根を潜めてから頭を上げるように言う。


「別に客に酒をかけたからお前を叱ったわけじゃないんだ、お前はこれから妖狐の里の当主っていうこの幽世でも別格の妖に人里に戻してくれと頼まなきゃいけないんだ。それなのにお前ときたらわっちらに協力を頼むところが何でもかんでも自分一人で抱え込んで周りがちっとも見えてない」


 小雪花魁に言われて今までの自分の行いを振り返り心の痛いところを突かれてしまい思わず言葉を詰まらせる。


「しばらくは様子を見ていたが、昨日の件でお前には口で言わなきゃ分からないと思ってあんな事を言ったのさ。それで、一日考えて答えは出たのかい?」


 小雪は煙管を吹かしながらその澄んだ薄青色の瞳で紫苑を見据える。


 紫苑は大きく息を吸ってから意を決して口を開く。


「はい、姉さん。私は今まで誰にも迷惑をかけないようにと自分一人でなんでも抱え込むようにしていましたが、今日一日凛や紅と話してそれは周りのためではなく自分のためにやっていた独りよがりな考えだった事に気づきました」


凛と紅が見守る中紫苑はさらに言葉を続ける。


「この幽世を出て人里に戻るには私一人の力では到底叶いそうにありません、恥を承知でお願いします。私がここから出るのに協力してもらえないでしょうか?」


 今までどんな時も他人を頼らず自分一人でなんでもやってきたが、この幽世に来てから自分一人でできることなどちっぽけな事しかないのだと痛いほど思い知らされた。


他人にしかも妖である小雪に頭を下げて協力をお願いするなど以前の紫苑には考えられなかっただろうが、ここで過ごすうちに人間とか妖だとか関係なく小雪や凛、紅を信用するようになったのだ。


 目の前に座る小雪はフーッと煙を吐くと、ニヤリと笑う。


「やっとわっちらを頼る気になったか、お前がその言葉を言わなければ十日後に行われる俄にはお前は連れて行かないつもりだったよ」


小雪がそういうと側に控えていた凛と紅が目を大きく見開いてから嬉しそうな声をあげる。


「姉さん、ということは今年の登楼する面子に選ばれたんでありんすか!?」


凛がこれ以上ないというほど喜びながら小雪に問うと小雪は笑顔を浮かべて静かに頷く。


「すごいでありんす!さすがわっちらの姉さん!」


凛と紅が手を取り合って畳の上をぴょんぴょん飛び跳ねながらキャッキャと話している。


「俄って以前から何度か耳にしてますが……どんな行事なんですか?あと登楼することがそんなにめでたいことなんでしょうか?」


ここに来てから何度か耳にしたが俄が具体的に何をする行事なのかまでは知らないので小雪に尋ねると、小雪が答えるより早く凛が口を開く。


「姉さんは俄は初めてでありんすね。俄はこの曼殊の園きっての大きな行事の一つでご当主様がこの曼珠の園に強力なご加護を授けてくれる加護授けの儀式と夢幻楼から大門までの仲の町を百鬼夜行のごとく練り歩く祭りのような催し物でありんすよ。中でもわっちらのような遊女に重要視されているのが、この曼珠の園の中にある見世の中でも番付の上位三つに入った見世は自分の見世一番の花魁を夢幻楼に登楼させてもらえることでありんすよ!」


凛が興奮冷めやらぬ様子で一気に捲し立てると小雪は笑いながら少し落ち着きなと凛を宥める。


「と、まあそういうことで今年はこの幻灯楼が登楼を許されたわけでお職を張るわっちが俄の日に夢幻楼に登楼することが許されたのさ。もちろん、ただ歩いて行くんじゃないよ、夢幻楼までの道のりを花魁道中で華やかに飾りながら登楼するのさ」


 小雪は少し得意げな表情をして紫苑にそういうと視線を窓の外から見える夢幻楼へと送る。


「じゃあ、今から急いで姉さんの新しい仕掛けを頼まないと!」


「他の見世の姉さんたちよりうんと綺麗に仕上げないと!」


凛と紅はすっかり舞い上がって何の柄がいいだの髪飾りはどうだと盛り上がっている。


「観月、お前の頼みだがお前がわっちらを頼ってくれるならできる限り力になるよ。大祓いの時御当主様は自分を満足させることができれば願いを一つ聞いてくれると言っていたね。俄の登楼にもお前を連れていこう、そうすればもしかしたら御当主様と話す機会があるかもしれないからね」


 凛と紅の白熱する話についていけずおろおろとしていると小雪は優しい表情で紫苑の申し出を快く引き受けると言ってくれた。


「姉さん、ありがとうございます!」


小雪の優しい表情を見ると先ほどまで心にあった僅かな不安も吹き飛んでいく。


「さてと、詳しい話は明日にでもするから今日はお前はゆっくり休んでな。凛、紅、座敷に行くよ」


小雪はそういうと未だにあれやこれやと話あっている凛と紅を引き連れて出ていった。


◇◇◇


 小雪が座敷に上がるとお得意様の大店の旦那さんが俄の話を女将から聞いたらしく前祝いと言って芸妓の姉さんたちを呼んで派手に祝ってくれた。


「いや、しかし小雪花魁は遠くないうちに登楼することになるとは思っていたがまさか今年の俄で登楼が許されるとは早いものだ。もしかしたら小雪花魁とこうして気軽に会えるのもあとわずかかもしれないな」


大店の旦那はそういうと笑いながらぐびぐびと酒を煽る。


「旦那様そんなこと言んせんでくんなまし 。妖狐の御当主は心に決めた方が居るといわす噂でありんすからね……」


 毎年行事の際に許される当主への挨拶は表向きは園で活躍する遊女たちの顔見せということになっているが、実際は当主に何とかして側室の一人でも待たせたいと考えた家臣たちが提案した慣わしなのだ。


しかし、当代の御当主は今まで一人も召し上げたことがなく、それどころか登楼して花魁方が挨拶する際も御簾をあげることも言葉を発することもないという。


曼珠の園きっての美女を前にしても見向きもしないのでいつの間にか巷では御当主には心に決めた方がいるとか、女には興味がないのだといった噂が流れるようになった。


「登楼の際の花魁道中のかかりは私が持とう、他の曙楼や月紗楼の花魁に負けない素晴らしい道中にしておくれ」


「旦那さんありがとうございんす、早速明日には仕掛けや必要な物を頼もうかと……」


大店の旦那さんは上機嫌で遠慮せずに好きなものを好きなだけ準備するといいと言うと芸妓の姉さんたちと混ざり上機嫌で踊り出す。


 そんな明るく賑やかな幻灯楼の座敷とは反対に上ノ国にある鬼の里の屋敷は暗くしんと静まりかえっていた。


◇◇◇


「白桜様、報告が遅れ申し訳ありません」


 四十畳はあろうかという広い部屋には一段高くなった上座がありそこに座る人物の顔を隠すように御簾がかけられている。


上座の正面に姿勢を正し座るのは藍色の髪を背中でゆるく一つに結い、髪の色に近い濃紺の着物を着た男だ。


「例の件ですが先日登楼した幻灯楼に人間の娘が一人新しく入ったようで、その娘からほんの僅かですが我ら鬼の血族の香りがしました。あまり情報を聞き出せなかったので何とも言えませんが、もしかしたら雪華様か紫苑様と関係のある者かもしれません」


「……そうか、その女の素性を確かめろ。もし紫苑と関わりがあるのであればこの屋敷に連れてこい」


 上座に座る白桜から発せられたのは抑揚のない声色で暗く静かな部屋の中に冷たさだけが残る。


「妖狐の里との協定の件ですが、表向きは順調に進んでおりますが当主側近の双子が何やら動き始めたようでこちらの動きを探っているようです。このままでも問題はないと思いますが念のためそちらにも数名隠密を配置しております」


 白桜は何も言わず開け放った戸の間から見える欠けた月を見上げる。


白桜の前に座る男はその鋭い深い海の底を思わせる瞳を白桜に向けると表情を変えず淡々と得た情報を報告していく。


「……以上が今回得た情報になります。明日また幻灯楼に登楼する予定ですので紫苑様の忘形見の赤水晶を持ち出してもよろしいでしょうか?」


男がそういうと初めて白桜は少し表情を動かす。


「蒼紫、赤水晶を持ち出すなどそれほどその娘は紫苑に似ているのか?」


赤水晶は一度持ち主を定めると持ち主の手の中でしか輝きを発さず守りの力も発揮しない、そのため姿形を変化の術で変えている味方を区別するために使ったり高貴な身分の子供が攫われたりしないようにとお守りがわりに持たせることがある。


 この屋敷に大切に保管されている赤水晶は今から百数十年前にこの里から逃げ出した白桜の腹違いの妹、紫苑のものだ。


屋敷の裏手にある山の中で発見されてそれ以降大切に保管されている。


「容姿は全く似ていませんが、どうも紫苑様と似た神通力の気配を感じるもので……万が一の可能性もございますので赤水晶を使って本人ではないことを確かめておこうかと思いまして」


「そうか……では持っていくがいい。それとあの目鼻がきく男のことだその人間の娘の情報も既に握っているだろう、素性を嗅ぎ付けられる前に引き上げろ」


「御意」


蒼紫と呼ばれた男は深く頭を下げると音もなくその場から姿を消す。


 広い部屋に一人月を見上げて佇む白桜は今でも鮮明に記憶に残る幼く儚げな姿をした妹のことを思い、今度こそ何か手がかりが得られればと蜘蛛の糸のように暗闇に光る僅かな希望に縋るのだった。

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