第10話


 大祓いの一件から早いもので数日が経ち、今日は夜見世にユウキ様と言うお偉い妖が接待で座敷に上がると今朝から女将や見世の者たちは準備に追われていた。


小雪も朝早くから湯に入りに行くからと見世を出ていってしまい、凛と紅も小雪にお使いを頼まれたようで二人して上機嫌で見世を出ていった。


凛と紅が見世を出ていくと紫苑は小雪の座敷で夜見世に使う道具などを準備をする。


 もう少しで本格的に暑い季節になると言うことで見世の外を行き交う妖たちもどこか開放的な雰囲気が漂っていて気づけば季節も変わろうとしているんだなと少しばかり感傷的な気持ちになってしまう。


少し休憩しようと格子窓の側に寄り表通りをみると、そこには紫苑をここまで連れてきてくれた宗介がこちらを見上げて手を振っていた。


「宗介様!」


思わず大きな声で名を呼んでしまい慌てて辺りを見回すが、宗介は気にしていないようで降りておいでと言って手招きする。


紫苑は慌てて一階まで降りて女将さんに宗介様がきたから少し出てくると言うと下駄を引っ掛け表に出る。


「久しぶり、元気にしてたかい?」


物腰柔らかな雰囲気で紫苑にそういうと宗介は紫苑の手を優しく握って通りに連れ出す。


宗介は優しいだけの妖ではないとここに来た夜に感じたのに、本人を目の前にすると何故か安心して警戒心を解いてしまう。


 しばらく歩くと宗介に握られたままの手が気になって思わずうわずった声をあげてしまう。


「あ、あの!」


今まで生きてきて男の人に手を握られたこともない紫苑はこの状況をどうしたらいいものかと顔を真っ赤にして俯く。


「え?手を繋ぐのは嫌かい?」


「いえ、そう言うわけではないんですが、その……」


恥ずかしくてしどろもどろになりながらも歩く紫苑の様子を見て宗介はごめんごめんと言って手を離す。


 宗介が紫苑の手を離すと紫苑はなんだか少しがっかりしたような気持ちになり、慌ててかぶりを振る。


(妖に対してこんな気持ちを抱くなんてどうかしてるわ……きっと見た目が麗しいからそんな事思ってしまうんだ)


 つい俯いたまま宗介の後を追うような形で歩く紫苑を見て宗介は何を思ったのか、紫苑に曼珠の園の中を案内してあげると言うとまずは園の四隅に建てられている稲荷神社に連れてきてくれた。


「この稲荷神社は花街で働く人たちの幸せを願って建てられた神社なんだよ、当主がいる夢幻楼へは滅多なことがなければ登楼することはできないからね」


「夢幻楼には何があるんでしょうか?」


この世界に来てからたびたび夢幻楼と言う言葉を聞くが誰も建物の中に入ったことがある者はおらずどういった場所なのか検討もつかない。


「夢幻楼は妖狐の当主が唯一この下の里で滞在するお屋敷みたいなもので、屋敷の中には妖狐の一族の中でも選ばれた家臣たちが働いているんだよ。年中行事の際は数日だけど当主もこの曼珠の園に滞在するから別荘みたいなものかな」


「そうなんですね」


「それより、大祓いでは大変な目にあったみたいだね!知人から幻灯楼の禿が御当主に気に入られたようだと聞いた時は観月のことだとは思わなかったよ!」


「あれは幸運が重なっただけです、今思い出しても生きた心地がしないんですから」


紫苑が顔を伏せて否定すると、先ほどまでと違いあの時の御当主を思わせるような声が聞こえてくる。


「まさか、あの状況で妖怪の娘を庇うなんてやはり人の子は面白い」


紫苑がすぐに顔を上げて宗介の方を見ると、いつも通り笑みを浮かべた宗介と視線が交わる。


「え?今宗介様はなんとおっしゃいました?」


「ん?何も言っていないよ!それよりほら、こっちに来てみて」


宗介は紫苑の言葉を軽く受け流し、それより他にも見せたい場所があるからと稲荷神社を後にした。


 宗介に連れてこられたのは曼珠の園の一番奥に位置する小高い丘だった。

夢幻楼のすぐ側にある場所で普段は誰も近寄らないらしく宗介と紫苑の二人以外誰もいない。


「ここに何があるんですか?」


「いいからもう少しこっちまでおいで」


宗介に手招かれて丘の上まで登るとそこには下の里から離れた上ノ国を囲うように連なる山の斜面いっぱいに広がる曼珠沙華の花畑があった。


「あれからしばらく会えなかったからお詫びにと思ってね。ここは僕の秘密の場所なんだ」


宗介が笑ってそう言うと紫苑は初めて見る目の前いっぱいに広がる真っ赤な曼珠沙華の花畑を見て感嘆の声をあげる。


「すごい……」


感動のあまり両手で口元を押さえる紫苑の姿を見て月天は昔の事を思い出してしまう。


昔もこうして目の前いっぱいに広がる曼珠沙華の花畑を見せたものだ。

百年以上経ったが未だに痕跡さえ掴めない想い人のことを思い出し目の前にいる紫苑と思わず面影を重ねてしまう。


目の前の広がる美しい花畑を見ていた紫苑は振り返り宗介に言う。


「こんなに素敵な景色初めて見ました!連れてきてくれてありがとうございます宗介様、この景色は一生忘れません!」


振り向きざまに言われた言葉は月天が幼い頃に言われた言葉と同じで……月天は驚いて目を見開く。


「    」


月天は小さく名をつぶやくと目の前にいる観月の小さな顔に無意識に手を伸ばす。


 しかしその声は宙に消えてゆき紫苑には届かない。


紫苑は急に表情を変えて自分の顔に手を伸ばしてくる宗介をどうしたものかと心配になり首を傾げる。


月天の手が紫苑に届く前に時間を告げる太鼓を叩く音が聞こえ月天は我にかえった。


「そろそろ見世に戻らないと……」


 どちらの言葉か、紫苑は名残惜しい気持ちを抱きつつも宗介にそう言うと宗介はそうだねといつもの笑みを浮かべて見世まで紫苑を送ってくれた。


◇◇◇


紫苑を見世まで送っていくと月天はそのまま夢幻楼へと戻り変化の術を解く。


夢幻楼に戻るとすぐに極夜がやってきてこの後の予定を確認しつつ、今日上がってきた鬼の一族の情報をまとめた書類を手渡す。


「月天様?どうされましたか?今日はなんだか様子がいつもと違うように思いますが……」


いつもと違う雰囲気で何か考え事をしているような月天に極夜は心配そうに声をかけるが返事は返ってこない。


夢幻楼の二階にある自室まで戻るとどかっと椅子に座り月天は先ほどの出来事を思い出していた。


(まさかあのようなことを言われるとは……観月はもしかしたら彼女と何か縁のある者なのか?)


 自分が幼い頃守りきれずに別れる事となった愛おしい鬼の少女と観月はなぜだか時折面影が重なるのだ。


容姿や種族も違うし年齢だって全く違うのに何故か放っておけず忙しい仕事の合間を縫ってまで会いに行ってしまう。


小雪には観月の様子を細かく報告するように言ってあるが、特に変わった動きもないし鬼の一族の密偵でもないようだった。


(いっそこの夢幻楼に召し上げて隅から隅まで調べてしまおうか……)


まだあどけなさを残す観月の表情を思い浮かべて月天はひどく残忍な気持ちになる。


私が妖狐の当主だと知れば観月はどうするか?あの汚れの知らぬ瞳で人里に返してくれと頼み込むのか?それとも騙したなと私をなじるか?


自分をすっかり信じ込んで屈託ない笑顔を向けてきた観月を泣かせたらどんな顔をするのか。まだ私が知らぬ観月の顔を見てみたいと子供の悪戯心にも似た気持ちが芽生える。


いっそ、私以外の者をその瞳にうつせないようにこの夢幻楼に閉じ込めてしまったらと自分でも笑ってしまうくらいあの娘を自分だけのモノにしたいと執着心が湧く。


「極夜、人間の娘を側女に召し上げると言ったらお前は反対するか?」


いつもと変わらぬ調子で側に控える極夜に問うと極夜は見たことがないくらい驚いた表情をする。


「月天様がお望みとあれば如何様にも。しかし、人間の娘とは……」


極夜は何か言いたそうな表情をしつつも、月天が望むのであれば人間の娘だろうが鬼の娘だろうが喜んで迎え入れるだろう。


「戯言だ、忘れて良い」


月天はそう言うと曼珠の園を見下ろすように飾り付けられた大きな丸い硝子窓のそばまで歩み寄り幻灯楼のある方を見つめるのであった。

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