第11話

 宗介に送ってもらい見世に帰ってくると、凛と紅がお使いからちょうど帰ってきたので一緒に夜見世で小雪花魁が着る着物や打掛を準備をすまし座敷の最終確認も済ませる。


今日はユウキと言う名の上客を接待をすると言う事だから、失敗がないよう念入りに準備をした物を確認する。


 寝具の準備も滞りなく終え小雪花魁が身支度をしている部屋へと戻ると、夜見世が始まるまであと半刻ほどと言うこともあり、小雪花魁も凛も紅もすっかり身支度を整えていた。


「今日のお客はユウキ様と大店の主人が二名ほど接待で来るらしいからしゃんとしておくれよ」


小雪はそう言いながら凛と紅に今日のお使いのご褒美にとお菓子を与えている。


今までも何度か小雪花魁の座敷にあげてもらった事はあるが、いつも周りにうまく馴染めず迷惑ばかりかけてしまう。


 村にいたときもそうだが、幽世にきても周りに迷惑ばかりかけているなんて、私はどれだけ未熟者なのかと自分の至らなさを感じるたび自己嫌悪に陥ってしまう。


 ここに来てからなんとか日々周りに頼らないようにと頑張って一人で仕事や俄に向けて御当主様を喜ばせることができそうなものはないかと奮闘しているが、頑張れば頑張るほど空回りしてしまう。


 いつになったら帰れるのかも分からず、油断すれば妖に襲われそうになったりと紫苑は気付けば前よりも疑心暗鬼になっていた。


そんな表情を曇らせたままの紫苑を見かねてか小雪花魁は可愛らしい懐紙に包まれたお菓子を紫苑にくれる。


「何を考え込んでるか知らないが、ユウキ様が来るまでまだしばらく時間があるからそれでも食べて時間を潰してな」


凛と紅はもらったお菓子がよほど嬉しかったらしくキャッキャと話しながらお菓子を食べている。


 この幻灯楼に来たばかりの時は滅多なことではにこりとも笑わないし辛辣な言い方をする小雪が苦手だったが、慣れてくると小雪は実は面倒見が良く優しい妖なんじゃないかと紫苑は思っていた。


 紫苑が何度か座敷で失敗をしてお客を怒らせてしまった時も小雪は紫苑を責める事なく庇ってくれたし、大祓いの件があった時も陰ながら怒り心頭だった女将を説得してくれていたと聞いた。


決して言葉には出さないが、小雪は紫苑が無事にこの幽世から元の人里に戻れるようにできる限りのことを手助けしてくれているようにすら感じている。


 部屋でもらったお菓子を食べながら時間を潰していると、女将さんがユウキ様が来たと呼びに来る。


 紫苑は凛と紅を連れて玄関までユウキ様を迎えに行く、とそこにはスラリとした長身の男が女将さんに相手をされながら待っていた。


男の髪は右耳の下あたりでゆるく一つに結ばれており墨色の髪は艶やか、左右に分けた長い前髪から覗く瞳は紺瑠璃のような深い青みを感じさせる色だ。


 紫苑が頭をさげ自己紹介するとユウキ様は穏やかに微笑むと紫苑たちに今日はよろしくと告げる。


 犬神じゃないかって聞いていた紫苑はユウキの虫も殺せなさそうな穏やかさに拍子抜けしてしまう。正直、犬神というならばもっと纏う雰囲気も恐ろしいくらいの近寄り難い雰囲気の妖 なのかと思った。


 座敷に案内すると、ユウキ様が接待する予定の大店の主人たちはもう少ししたら来るらしくそれまでたわいのない話をして場を繋ぐ。


「観月は人里ではどんな暮らしをしていたんだい?」


この花街ではここ最近は人間の娘が売られてくることがなく、ユウキは興味深そうに紫苑に色々と尋ねてくる。


「人里では術者として生計を立てておりました。母から術者の才能を受け継いだらしく、幼い頃より呪術の類は得意でしたので」


ユウキは感心したように声を上げると、紫苑の住んでいた村の名や母のことについても詳しく知りたがった。


「失礼します、大店のご主人がまいられました」


 ユウキの質問攻めを遮って現れたのは見世の者に案内されてやってきた大店の主人達だ。


六尺ほどはあろうかという厳つい大柄な妖と、陰気な雰囲気を纏った小柄で線の細い妖が姿を表すとユウキは愛想の良い笑顔を浮かべて主人達を席へと通す。


 芸者の姉さん方をよんで接待を始めると、話は紫苑の方へ振られ大きな体の妖が興味深そうに紫苑を見つめてくる。


「あんたは人間の娘だろう?美味そうな匂いがここまで漂ってくる」


妖はそういうと向かい合わせに座る紫苑の手を掴もうと身を乗り出してくるが、ちょうど妖の手が紫苑に届く前に廊下から小雪花魁が到着したと声がかかる。


紫苑は心の中で安堵のため息をつくと、肩に入った力を抜く。


 小雪が部屋に入ると先ほどまでの空気が一変し大店の主人たちはあっという間に小雪に夢中になる。


先ほどまで偉そうにふんぞり返っているだけだった大店の主人達も小雪を目の前にすると態度を改め欲をその目に宿す。


 さすが曼珠の園でも五指に入る花魁、どんな妖でも魅了してしまう圧倒的な美貌の前では御当主様といえども思わず手が出てしまうのではないかとそんなくだらない事を考えてしまう。


小雪はユウキ様の隣に座ると妖艶な笑みを浮かべながらお酌をする。


「そういえば、もう少しで俄があるだろう?今年は何やら鬼の一族が妖狐の一族に協定を申し出ているらしく俄の初日にこの曼珠の園に鬼の一族の御当主様がくるんじゃないかって話だ」


酒は進み、話題はこの曼珠の園の行事の中でも一二を争うほどの大きな催しである俄についてされる。


「へえ……そう何だぇ ?わっち は鬼の御当主の事はあまり知りんせんもので。ユウキ様はご存知かえ?」


「私も直接会った事はないが若いうちから当主の座に納まった優秀な方だと聞いたことがあるよ」


今まで簡単にこの幽世についての知識を教えてもらってはいたが、鬼の一族については誰もあまり話したがらず、紫苑はこの機会を逃すまいと話にわって入る。


「あ、あの……協定を結ぶと言うことは鬼の一族と妖狐の一族はあまり仲がよくないんですか?」


「仲が悪いかだって?そんなことも知らずによく小雪花魁の禿をやってるな!妖狐の一族と鬼の一族は百年前の争い以降は犬猿の仲だっていうのに」


今まで楽しそうに話していた大店の主人に思い切って聞いてみるとそんなことも知らないのかと呆れたように言われる。


先ほどまで上機嫌だった主人の顔色が曇ると小雪がすかさず助け舟を出す。


「すいんせん 、こなたの子はここにきてまだ間もないので七妖の一族のことはあまり知りんせんでありんす 。堪忍しておくれ旦那さん」


紫苑の質問に気を悪くしたものも、すかさず小雪花魁が妖の手を握りながら謝罪すると先ほどまでの不機嫌が嘘だったかのようにデレデレと鼻の下を伸ばす。


「しかし、このような世間知らずの人間の娘を禿にするとは小雪花魁の名が落ちるのではないか?」


陰湿な雰囲気をした妖が紫苑に侮蔑の目を向けて言い、紫苑は悔しさを押し殺すようにぐっと歯を食いしばり話が過ぎるのを待つ。


「そんな 意地の悪いこと言んせんでくんなまし 、磨けば光る原石と思いこなたの娘を引き取ったわっちの面目がありんせん」


 小雪は妖の悪意ある言葉にも物おじせずに笑顔で答えると、それよりも盃が空になっているからお酌をと言われる。


しかし、紫苑は今までために溜めた不満や憤りが心の中を埋め尽くしてしまいせっかく助け舟を出してくれた小雪に対して反応が遅れてしまう。


「観月姉さん?」


反応のない紫苑を心配して凛と紅が顔を覗き込み、やっと紫苑は視線が自分に集まっていることに気づく。


慌てて立ち上がりお酌をしにいくが足元にあった荷物に気づかず足がもつれて先ほど嫌味を言ってきた妖にお酒をぶちまけてしまう。


「この小娘!」


頭からお酒をかけられた妖は怒りのあまり本性を表す、と紫苑に喰らい付こうと蛇のような身体を勢いよく近づけるもすんでのところで止まる。


「おぬし本当に人間か?お前からは僅かだが鬼の匂いがするぞ」


鼻を鳴らしながら紫苑の匂いをもっと嗅ごうと近づく妖を止めたのはユウキ様だった。


「これはこれはせっかく足を運んでいただきながら不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。今日はこの辺でお開きにしてまた後日改めて席を設けさせていただいてもよろしいでしょうか?」


紫苑を庇うように妖との間に割って入ると深々と頭を下げて大店の主人たちを諌める。


「ユウキ様がそうおっしゃるのなら……」


先ほどまで怒髪天の勢いで怒り狂っていた小柄な妖も元の姿に戻り渋々帰り支度を始める。


「そう言うことだから、小雪花魁悪いが主人たちを見送ってくるよ」


ユウキ様はそう言って小言も言うことなく大店の主人たちを連れて座敷を出て行った。


 気まずそうに座敷に残された紫苑の方を見て紅と凛は驚いた表情をする。

紫苑の頬には今まで耐えてきたものが溢れ出したかのようにばぽろぽろと涙が伝っていた。


「観月姉さん……」


紅が心配そうな表情を浮かべて紫苑へ手巾を差し出す。


 紅に差し出された手巾をみて初めて自分が泣いていることに気づく。最後に涙を流したのは母が亡くなった日だった気がする……。


不思議なもので、自分が泣いているのだと自覚した途端に涙だけではなく今まで蓋をしていたどす黒い思いが次々湧いてくる。


幽世に来てから何も上手くいかない。


自分がどれだけ頑張ろうとも人間というだけでここでは蔑んだ目を向けられるのだ。


小雪達も良くはしてくれるが所詮は妖、紫苑は誰にも心を許せずに全てのことから一線を引いて接していた。


その場で険しい表情をしながらほろほろと泣く紫苑を見て凛と紅は紫苑を慰めようとするが小雪の声がそれを遮る。


「わっちの座敷に上がっておきながら上の空とはいい度胸じゃ。泣いてもここでは誰も助けてくれんせん!慣れぬ世界に心細く思うのは分かるがもう少し周りをよく見てみたらどうだ?お前一人で何が出来るっていうんだい、凛も紅もいつもお前さんを心配して心を砕いていると言うのにお前さんは自分一人で抱え込んで周りに頼ろうともせん」


幻灯楼に来てから小雪達に迷惑をかけまいと稽古に雑用なんでも弱音を吐かずにたった一人で全てをこなしていた。


きっと自分がなんでも一人でできる様になればこのつらい現実から逃げ出すことができるのだと信じてそれだけを信じてやってきたというのに、小雪はそれが間違っていると今まで紫苑が頑張ってきた全てを否定する。


紫苑は生まれて初めて悲しみや怒りが心に渦を巻いてどうしたらいいのかわからなくなる。


「わっちが何を言いたいか分かるまであんたは座敷にはあげん、少し自分を見つめ直すんだね!」


小雪はそう言うと紫苑にもう部屋に下がりなと冷たく言い放ち、紫苑はそれ以上どうすることもできずただ大人しく従うのだった。

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