第09話

 花車が止まると付き添うように歩いていた者たちも歩みを止め、音がした紫苑たちの方にいくつもの視線が集まるのを感じる。


「無礼者!御当主様のありがたい大祓いの行列の最中に簪を落とすなど!その命いらぬとみえる」


花車の前を歩いていた従者が腰に下げた刀を抜いて凛の方へ向ける。


このままでは凛が斬られてしまう!と思ったのと同時に自分でも驚くような行動にでる。


「申し訳ありません!その簪は私の物です。御当主様の行列に少しでも華を添えれればと思い身の丈に合わぬ物を使ってしまいました」


紫苑は通りまで響くような大きな声でそう言うと、さらに頭を深く下げ謝罪する。


「如何なる理由でも御当主様の脚をお止めする事は許されることではない!」


従者が紫苑の方を向き刀を構えると、その場を支配するような乾いた音が響く。


従者は慌ててその場に膝をつくと、花車の両脇に控えていた別の従者が花車の中にいる人物から何やら言葉を聞いているようだ。


「そこの者、名はなんと申す」


従者は小雪にそう問いかけると、小雪は深々と頭を下げたまま鈴を転がすような美しい声で名を告げる。


「わっちはこの幻灯楼でお職をいただく小雪と申しんす」


「お前の後ろに控えるのはお前の禿か?」


「あい。三人ともわっちの禿でありんす」


「顔を上げることを許可する」


 従者にそう言われ小雪がゆっくりと顔を上げるのに合わせて紫苑も顔を上げると、通りには大きく豪華な装飾が施された車が止まっている。


先ほど質問をしていた従者は灰銀色の髪が特徴的な三つの尾を持つ妖狐だった。


紫苑は思わず従者の方に気を取られていると、車にかかる簾の向こうから視線を感じ思わずそちらを向いてしまう。


 簾の細い隙間から見えたのは爛々と輝く黄金色の瞳だった。それはあまりにも美しくそのまま瞳の中に飲み込まれてしまいそうな気にもなるが、それと同時にとても恐ろしく感じる。


あれは獣の瞳だ。


紫苑は慌てて視線を逸らすが、従者はそれに気づいていたらしく手に持った錫杖のようなものを紫苑の顔の前に突きつける。


「当主様の御尊顔を伺おうなど己が身を弁えろ」


従者が紫苑に何か術をかけようとするが、それはたった一声で止められる。


「よい。今日の私は機嫌が良い、その娘の無礼を許そう」


 御簾の向こうから響く声はひどく冷たく感情を感じさせないものだった。


「この度は御当主様の足をお止めしてしまい申し訳ありませんでした」


紫苑は震える声を何とか言葉にしてさらに深く頭を下げる。


紫苑の隣に座る凛はカタカタと身を震わせながら口元をきゅっと結び紫苑と同様に頭を下げている。


「よい、顔をあげよ」


御当主様の声は御簾越しにも関わらずその場の全ての者に有無を言わさない雰囲気を放つ。


紫苑達がゆっくりと頭を上げると、再び御当主様が話し出す。


「いつもならこの場にいる全ての者の首を刎ねるところだが、今日の私は機嫌がいい。お前の両腕だけで許してやろう」


御当主様がそう言うと側に控えていた者達がすぐに紫苑を御当主の乗る花車の側まで引っ立てて乱暴に地に押し付ける。


その姿を見た凛は思わず紫苑を引き止めようと手を伸ばしたがそれは前に座っていた小雪によって止められてしまう。


「余計なことはするんじゃないよ。お前がここで動いたところであの子の助けにはならないよ」


今にも紫苑の元に飛び出していきそうな凛に誰にも聞こえない程の小声で小雪が耳打ちすると凛はその顔に表情をなくしただ俯く。


側使いの者に頭を押し付けられて両手を前に伸ばすような形で地に伏せられた紫苑は心の中にじわじわと広がりつつある恐怖を抑えて御当主の方を見据える。


「私の両腕を差し上げれば他の者たちに危害は加えないと約束していただけますか?」


 御簾越しに視線を合わせているだけでも恐怖で息をすることさえもままならないが、ここで自分が引いたら凛や紅、それに小雪も無事では済まないかもしれない。


御当主様の方を見据えて紫苑が言葉を放つとほぼ同時に紫苑の首元に刀の刃が突きつけられる。


「何を勘違いしている。御当主は慈悲深くお前の両腕だけでお前の罪を許そうと言っているのだ。他の者の減罰まで乞うとは図々しいにもほどがある」


殺気を隠そうともせず灰銀色の三つの尾を苛立ちながら揺らしている側仕えを止めたのは意外にも御当主だった。


「極夜、止めよ。お前のその勇気に免じてこの場はその両腕だけで許そう。他の者には手は出さぬ、これで良いか?」


「ありがとうございます」


 紫苑は再び深々と頭を下げると、これ以上は何も言うことはないと腹を括り自分の両腕を前に差し出す。


紫苑の差し出した両腕めがけて刀が振り下ろされ、腕を切り落とすその瞬間。


「止めよ」


 刀を振りかざした極夜は御当主の声が掛けられたと同時に寸分の狂いもなく刀を止める。


 紫苑の差し出した腕にはじわりと血が滲み細い線を描く。


 まさに間一髪。少しでも刀を止めるのが遅ければ紫苑の両腕は今ごろ地面に転がっていただろう。


「ふふふ……まこと面白い。ただの偽善かと思い試してみれば、何の抵抗もなく己の腕を本当に差し出すとは」


先程までの冷ややかな声ではなく、どこか楽しげな声が響く。


紫苑が声のする方を再び見ると、ゆっくりと御簾が上がっていくところだった。


 車に掛けられた御簾が上がるとそこに居たのは白銀の美しい髪に宝石のような煌めきを持った金色の瞳を愉快そうに細めてこちらを見下ろす美丈夫だった。


周りの者たちはすぐに姿勢を低くし深く頭を下げ、花車の中にいる御当主の声に耳を傾ける。


「しかし、人の子が園にいるとは珍しいことだ。娘、どうやってここに入り込んだ?」


 先程より雰囲気が軽くなったかと思いきや、再びその視線を向けられると凍てつくような雰囲気が紫苑の周りを包みこむ。


返答次第では紫苑の首が道端に転がることになるだろうと容易く想像できた。


緊張と恐怖で重い口をなんとか開けて答える。


「私は見ず知らずの妖に連れられて幽世にやって参りました」


「その妖とはどのような者だ?」


「暗がりでしたので容姿などは覚えておりません。ただ二人組の妖でした」


紫苑が答えると御当主様からの返答が途切れる。


 紫苑は何か気に触るようなことを言ってしまったのかと内心焦るが、ただひたすら再び声がかかるのを待つ。


「ふむ、であればお前は元いた人里に戻りたいだろうな。なのに先ほどのの行動……あれはそこの娘を庇ってのことだろう?自分の利を考えるならばその娘など放っておけばいいものを……。人の子はまこと面白い私たち妖には理解できぬ行動をする」


 御当主様はくすくすと笑ったかと思うと、凍てついた声色ではなく今度は心の隙間に入り込むような優しげな声色で続ける。


「幻灯楼はこのままいくと今年の俄では登楼が許されるだろう、俄で登楼した際にこの私を喜ばせることができればお前の望みを一つ叶えてやろう」


紫苑は急に降って湧いた言葉に思わず礼儀作法すら忘れて大きな声を出してしまう。


「本当ですか!?」


すぐに従者の者が動こうとするが、それは御当主様によって止められる。


「あぁ、本当だとも。しかし、競う者が居なければ面白くはないな。そうだ、今年の俄で登楼する者達全てに同様の権利を与えよう。私を喜ばせることができればどのような望みも叶えよう。せいぜい頑張るがいい」


 御当主様はそう言うともう用はないと従者に告げると、再びゆっくりと花車が動き出す。


 時間にしてほんの少しの出来事だったにもかかわらず、紫苑には永遠に続くような長い時間に感じられた。


御当主様を乗せた花車が通り過ぎると再び通りは賑やかな雰囲気が戻ってきて辺りを包んでいた異様な雰囲気も消える。


行列が過ぎ去った後には美しい曼珠沙華の花が地面に咲いており、通りの脇を固めていた妖たちはその花を手折って持ち帰っていく。


完全に行列の姿が見えなくなると、紫苑の隣に座っていた凛はその瞳に涙を溜めながらひたすら謝罪する。


「観月姉さん、小雪姉さん申し訳ないでありんす。わっちがしっかり身支度を整えていなかったせいで」


紫苑はちらりと小雪の方を見ると、表情を消し冷たい瞳で凛を見下ろす小雪が目に入る。


「まったくだよ、あれだけ粗相はしないようにとキツく言っておいたのにこの様とは。今回は観月に助けられたね、次はないよ」


小雪はそう言うと、表情を和らげ頭を下げて涙をこぼす凛の背中を撫でる。


「それにしても驚いたね、まさかご当主様があんなことを言うなんてね」


小雪は振り返り紫苑の方を見て笑う。


「今まで御当主様の機嫌を損ねて殺された者はいても、見逃してもらった奴なんていなかったからね!それにあんな言葉まで頂けるなんて」


「小雪姉さん!そんな他人事だからって!」


「いいじゃないか、少しでも御当主様の気を引けたなら今回の大祓いの目的は達成できたようなもんだろう?しかし、俄の件については明日には花街中に知れ渡ることになるだろうね。他の見世に出し抜かれないようにわっちらも準備したほうがよさそうだね」


小雪はそう言うと、いつの間にか両手いっぱいに曼珠沙華の花を摘んで持っている紅といまだに涙を流している凛を連れて幻灯楼の見世の中へと入っていく。


紫苑はすでに見えなくなってしまった行列の跡を見て、小さくため息を吐くと小雪たちの後を追って見世へ入っていった。



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