第08話 大祓い


 幻灯楼に来てからというもの朝から晩まで稽古漬けの日々が続いていた。


 しがない小さな村の術者でしかない紫苑にとってどの稽古も初めてのものばかりで最初は気後したが、実際に数度通う内にあっという間に礼儀作法や芸事を吸収していった。


 紫苑のその上達ぶりには稽古場の師匠たちも驚いて、これならば半年後には立派な引込み新造としてお披露目できるとそれは大層喜んでいたものだ。


「観月姉さん、起きておくんなまし!そろそろ準備を始めないと」


「ん〜、もう少しだけ寝かせて〜」


紫苑は顔を隠すように布団を引っ張り上げるが、凛と紅によって布団はあっけなく引き剥がされてしまう。


「観月姉さん!今日は大祓いの日でありんすよ!夕刻にある千華行列までにしっかり仕上げんせんと御当主様の目にかけてもらえんすよ」


 紫苑は大祓いという言葉を聞いて慌てて飛び起きる。


 そうだ、今日は待ちに待った大祓いの日だ。この花街を治める御当主様は滅多なことでは下の里にくることは無い。


しかし、年に数度ある行事や大祓いの時ばかりはその姿を見せ、下の里に住む者たちに加護を授けるのだ。


紫苑は慌てて布団から転がり出ると、時間を確認して身支度を整える。


「小雪姉さんは湯に行ってるでありんすから、この間に姉さんの分とわっちらの分の準備を済ませておかないと!」


紅はそう言うと紫苑の手を引いて二階にある小雪の部屋へ向かう。


 小雪の部屋にはすでに今日の大祓いの際に着るであろう打掛や簪など一目で見ても高級そうな品々が並んでいる。


「小雪姉さんのものは一通り揃っているようでありんすから、わっちらの準備を始めんせんと」


凛はそう言うと隣の部屋から大きな衣装箱を持ってきて、自分たちの着る振袖を選び始める。


大祓いの行列を見世の前で見ることが許されているのは楼主と女将だけなのだが、今回は宗介の言葉添えもあり紫苑たちも参列することが許されたのだ。


「観月姉さんには宗介様からいくつか振袖が送られてきんしたから、それを着るといいでありんす。どれも上等なものばかりで小雪姉さんも驚いていんした!」


凛に渡された桐の箱には数枚の振袖や帯などが入っており、どれも紫苑が今まで見たことがないくらい上等なものばかりだった。


「でも、こんな高価なものいただくわけには……」


「姉さん!ここは花街でありんすよ!お客からの贈り物を返すなんて野暮は小雪花魁の名に泥を塗るようなものでありんす!贈り物を貰ったら笑顔で受け取るのが礼儀でありんすよ」


紅の剣幕に押され思わず頷いてしまったが、たまたま出会っただけの宗介にここまでしてもらうなどやはり気が引けてしまう。


「観月姉さん、そんなに気になるなら後でお礼状を送るといいでありんすよ。そのついでに今度はいつ小雪姉さんの座敷に上がるか催促しておくでありんす!宗介様はこの花街きっての遊び人、敵娼も決めずに小雪姉さんの座敷に上がれるなんて宗介様や妖猫の御当主くらいなものでありんす」


「そんなに宗介さんはこの花街で有名なの?」


「姉さん、宗介様!でありんす。いくら顔見知りとはいえお客様には様をつけないと女将さんに叱られんすよ!」


凛にたしなめられ紫苑は苦笑いを浮かべて頷く。


「宗介様は上ノ国へも顔がきくお方でこの曼珠の園では有名でありんすね。なんでも妖狐の御当主とも近しい間柄だとか」


「え!そうだったの?じゃあ、宗介様が直接御当主に頼んでくれれば私はすぐに人里に戻れたのに……」


 妖狐の御当主と面識があるなら、最初に教えてくれればこんなに大変な思いをしないで済んだのに……と宗介のことを恨めしく思うがよくよく考えれば、どこの誰とも知らない人間の小娘をこうして安全な場所まで案内してくれただけでも十分親切だろう。


「姉さん、いくら宗介様でもそれは無理な話でありんす。妖狐の御当主様は冷酷で気難しいお方だともっぱらの評判。去年の俄では登楼した花魁の瞳の色が気に入らぬとその場で八つ裂きにしたのは有名な話でありんすから」


「え……八つ裂きって何かの比喩だよね?」


 紫苑が引きつった笑みを浮かべつつ凛に問いかけると、その言葉の通りの意味でありんすと返される。


 瞳の色が気に入らないだけで軽々と命を奪うような妖の行列に参列するなど、正気の沙汰とは思えない。


本当であれば、どうにかして妖狐の御当主に気に入られようと頑張るつもりだったが今の話を聞いてどうも自分には無理そうだと落胆する。


 紫苑が御当主についての話に夢中になっている内に凛と紅はすでに準備を済ませたようで、まだ着ていく着物すら選んでいなかった紫苑の元まで来て手慣れた様子で紫苑の分も選んでいく。


◇◇◇


 大祓いは暮れ六つ時から始まり、普段は開け放たれている大門も今日ばかりは締め切り曼珠の園を完全に隔離させる。


御当主様がいらっしゃる千華行列は特別な術により大門と上ノ国の妖狐の里を繋ぎ、大門から夢幻楼までの仲之町を練り歩く。


 御当主様が通った後には赤い曼珠沙華の花が咲くそうで、花街に住む者たちはその曼珠沙華をいただくために千華行列を見守るのだ。


すっかり支度を終えて幻灯楼の一階の大広間で寛いでいる小雪に女将と楼主が声をかける。


「小雪、そろそろ出るよ。今年こそ御当主の目に留まるようにね!」


「小雪、今回は観月もいるからあまり無理はせずお前たち全員無事で終えれるように」


 優しげな楼主とは反対に女将はいつも損得しか考えていない。容易く他者の命を奪うような妖に気に入られるようにだなんてよく言えたもんだと紫苑は表情を曇らせる。


「あい、女将さんに楼主様」


 小雪はいつも通りの笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がると幻灯楼を出て見世前に用意されていた席に腰をかける。


凛と紅も小雪のすぐ後ろに控えるように座り、紫苑も小雪の後ろに控えるように小声で凛に指示される。


「観月、これからこの前の通りに御当主様の千華行列が来るけど、決して御当主様の乗っている華車は見ないことだよ。うっかり目をつけられようもんならどうなるか分かったもんじゃない」


 確かに、凛たちから聞いた御当主様の話だと迂闊に目を合わせたら何を理由に切り捨てられるか分かったものではない。


しかし、ここを出ていくには御当主様の協力が必要なのも事実だ。一体どうやって御当主に気に入られればいいと言うんだ。


「姉さん、しかし御当主様の方を見てはいけないと言うとどうやって御当主様に気に入られるんですか?」


 紫苑が疑問をぶつけると小雪は呆れたように笑って応える。


「御当主様の御心次第ってヤツさ。わっちらはただひたすら頭を下げ平伏してその時を待つだけさ。くれぐれも変なことはしないでおくれよ。……それより、凛。その簪どうも頼りなさげだけど大丈夫かい?」


小雪に言われ凛の方を見ると、確かに髪にささる大きな簪は銀ビラが重いせいか頭を下げると抜け落ちてしまいそうだ。


「御当主様が通る時に物音でも立てようものなら何をされるかわかったもんじゃないよ、今からでも他の物と変えて……」


 小雪が心配そうに凛に話しかけていると遠くから鈴の音や笛の音が聞こえてくる。


「もう、そこまで来てるようだね。仕方がない、くれぐれもその簪を落とさないように気をつけるんだよ」


 いつの間にか仲之町の両脇には妖たちが群れており、行列が去った後に咲く花を持ち帰ろうと頭を地面につくほど低く下げて行列が来るのを待っている。


 こんなに沢山の妖、しかも中には名の知れた妖たちが自ら頭を下げ道の脇を埋めている光景は異様としか言いようがない。


段々と音が近づいてくると、赤い番傘をくるくると回しながら音色に合わせて歩みを進める妖狐の小狐たちの姿が見えてくる。


小雪は両手をつき深々と頭を下げると、凛と紅もそれにならい三つ指をついて頭を下げる。


紫苑も同じようにして頭を下げると、しばらくして自分たちの前に千華行列がゆっくりと通り過ぎていくのがわかる。


 小狐や祭り太鼓などを奏でる者たちがすぎると、一歩つづゆっくりと進む従者たちの足元がちらりと視界に入る。


思ったよりも行列は長いらしく、いつまでこうして頭を下げていればいいのか紫苑は自分の隣にいる凛の方をこっそり盗み見る。


なるべく頭を動かさないように視線をやると、先ほどの簪が少しずつ髪の間を滑っているのがわかる。


凛がバレないように簪を差し込んでいると、急に辺りの雰囲気が変わったのを感じる。


 今まではよくある夏祭りの行列のような賑やかさがあったのだが、ギシリと土を踏み進む花車が近づくと息をするのさえ躊躇うような張り詰めた雰囲気が満ちていく。


相変わらず行列は続いており、祭囃子も鳴り響いているにもかかわらずここだけ時間が止まったように音も感覚さえも失ったかのような気持ちになる。


紫苑は恐怖のせいか手先が小刻みに震え出すのを必死に耐えながらひたすら行列が通り過ぎるのを待っていると、シャラリと音を立てて凛の髪にさした簪が地に落ちた。


その音は不思議とよく響き、ゆっくりと進んでいた花車が紫苑たちの前でゆっくりと止まった。







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