第07話
紫苑が紅と凛に手を引かれて部屋に戻ると、今日はもうすることがないから早めに休んでおくといいと言われ寝具などある場所の説明を聞き早めに布団に潜る。
今日は散々な一日だった、妖退治をしようとしたら返り討ちにあってそのまま妖の住む幽世に連れてこられるなんて……しかも連れてこられた先は花街ときたもんだ。
「あぁー私この先どうなっちゃんだろう……」
いつもできるだけ前向きに何事もとらえるようにしている紫苑でも流石に今置かれている自分の状況はかなり絶望的なんじゃないのかと不安に胸が押しつぶされそうになる。
紫苑は巾着から一本の守り刀を取り出すとギュッと握って今は亡き母を思い出す。
母は生前紫苑に色々な術や妖について教えてくれた、妖は見目が美しいほど強大な力を持っていることが多く一度執着されれば相手が死して骸になろうともどこまでも追ってくると……。
特に鬼・蛇・狐の妖は他の妖よりも執着が強く相手にすると分が悪いから出会ったら視線を合わさずその場を急いで離れるようにと教えられていた。
今日この土地にきて偽りの名を告げたのも母の教えの一つだった。
妖怪に自分の本当の名を奪われると自分自身を見失ってしまい元の世には帰れなくなるから本当の名を答えないようにと幼い頃から口を酸っぱくして言われていた。
「あれだけ鬼と蛇と狐には気を付けろって言われてたのにまさかよりにもよって妖狐の里が治める花街に迷い込むなんて……」
天井の木目をぼーっと眺めつつこれからどうやって元いた村に帰ろうかと考え込む。
(異界渡りって小雪花魁が言ってたけど、御当主様って言う偉い妖以外にその術を使える者はいないんだろうか……)
ぐるぐると何度もここから出るための方法を考えているうちに、いつの間にか深い眠りに落ちていった。
◇◇◇
翌朝目が覚めると格子窓の外から明るい日の光が差し込んでいるのが目に入り外の様子を見ようと窓際まで歩いていく。
格子窓越しに見た外の様子は昨日の賑やかな様子からは考えられないくらい静かで大きな通りを歩く人かげもまばらだ。
こうしてみると昨晩見た光景が何もかも夢だったのではないかと思う……いや、夢であって欲しかった。
紫苑はこれから先のことを思い憂鬱な気持ちを殺しながら布団をしまい、昨日凛と紅から渡された普段着用の着物に袖を通すと、さてこれからどうしようかと考え込む。
(とりあえず、この見世のことを知るのと小雪花魁に少しでも気に入られて村に戻るための情報を集めないと……)
よし、やってやるぞー!っと意気込んで右手をグッと天井に突き上げるのと同時に部屋の襖が開き凛と紅が顔を出す。
「観月さん何やってるの?」
凛が不審者を見るような目で紫苑を見る。
「いやいやいや!ちょっと肩が凝ったなーと思って体操してたの!ほら!こうやって!」
紫苑が慌てて右手や左腕をブンブン振り回していると紅が横から口を挟む。
「それより早く行かないと朝餉を食べ損ねちゃうよ!」
紅に言われて凛もそうだった!とばかりに紫苑を連れて部屋を出る。
廊下を歩きながら凛と紅から大まかな見世の中の間取りを説明される。
「二階は基本的に花魁の姉さんたちの部屋があって、一階はそのほかの女郎の姉さんたちがいる部屋が並んでいるね。朝餉は一階でみんなで食べることが多いけど花魁の姉さんたちは自分の部屋で食べるから滅多に下には降りてこないね」
紅が色々と見世の決まり事なども教えてくれたおかげで、朝餉を食べ終える頃にはなんとなくこの見世の勝手がわかってきた。
昼見世までの時間は遊女たちは思い思いに好きなことをして過ごすらしく、湯に行ったり雑用をこなしたりと比較的自由に過ごせるらしい。
(まずはこの花街の地理を知る必要があるから、午前中のこの時間を使って見世の外を散策しておくのがいいかも)
朝餉を食べ終えて凛と紅を連れて部屋に戻ろうとすると、小雪花魁が呼んでるよ。とたぬき顔の女郎に声をかけられた。
「観月さん、わっちらは小雪花魁のお世話をさせてもらうのが仕事だから午前のこの時間帯でも呼ばれれば姉さんの用事を済ませるのが優先ね!」
凛はそう言うと嬉しそうににこにこと笑顔を浮かべながら小雪花魁の部屋へと向かう。
「小雪花魁、お呼びですか?」
部屋について声をかけると気怠げな声で中に入るように返事が返ってくる。
部屋の中に入ると着物をゆるく着付けた上に軽く羽織を肩にかけたなんとも色気のある姿の小雪花魁が座っている。
「観月、そこにお座り」
小雪花魁に言われるまま花魁と向き合うように座ると小雪は紫苑の返事も待たずに続ける。
「ここでこれから生きていくには郭のしきたりに従う必要がある、あんたは私の禿にということだからこれから芸事やなんやを急いで叩き込んで半年後には新造出しってことになるだろう」
「新造出しって……?」
「新造出しはわっちらのような禿が十五、六の年頃になると客をとれるようになるのでそのお披露目の行事みたいなものでありんすよ。観月姉さんは見た感じ十二、三と言ったところでありんしょうか?」
「いや、私はこう見えて十五よ!」
昔から母ゆずりの童顔のせいか実年齢よりもかなり若く見られることが多い紫苑だが、自分よりもかなり歳下である凛にそう言われて思わず強めに否定してしまった。
「あんたが幾つでもいいんだけどさ、あんたは元いた人里に戻りたければこれから半年以内に御当主様にお願いしてこの曼珠の園、いや幽世からでなきゃいけないってことだよ」
いきなり目の前に突き出された現実に頭を殴られたような衝撃を感じる。
(後半年以内にここから脱出しなければ一生ここで暮らすことになる?いや、きっと人間である私なんか長く生きられないだろう……)
昨晩見かけた妖たちの姿を思い出し、自分がここでは何も持たない非力な存在だと突きつけられたようで言葉を失い呆然としていると凛と紅の心配そうな顔が目に入る。
「観月さん、大丈夫でありんすか?」
(こんな小さな娘たちも泣き言一つ言わないで頑張っているんだも、年上の私が頑張らないでどうするのよ!)
紫苑は弱気になりかけた自分を奮い立たせて両手でパチンと頬を叩くと目の前で冷ややかに見つめる小雪花魁に改めて頭を下げる。
「わかりました、これからよろしくお願いします。姉さん」
小雪は先ほどまで不安げに揺れていた紫苑の瞳が真っ直ぐ自分を見つめ返して来るのを見ると不敵な笑みを浮かべる。
この娘が凶と出るか吉とでるか……。
「この幽世から早く出たけりゃあ、手練手管の一つでも覚えてご当主様に目をかけてもらうことだね。まずは四日後の大祓いに向けてできる限りのこの花街での礼儀作法を覚えな」
小雪はそう言って凛と紅に筆と半紙を持って来させると、これから紫苑がするべき稽古事の日程をすらすらと書き綴る。
手渡された半紙にはいつ休むんだと言うくらい朝から夜見世までの時間いっぱいに稽古事が詰め込まれていた。
「これだけこなせば、どこに出しても恥ずかしくない一人前の引込み禿だ。筆頭御三家の姫様でもこれだけ習えるもんじゃあないよ!わっちに感謝するんだね」
確かにこれだけの稽古事を全て習得すればどんな場所に出しても恥ずかしくない立派な女性と認められるだろう。
紫苑はこれも御当主様の気を惹くために必要なことなのだと、ぐっと堪えて小雪に笑みを返した。
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