間話 月天視点

 大きなお屋敷のある部屋に目にも麗しい妖狐が一匹いた。白銀の髪を長く伸ばし、その美しい髪の間からは切れ長で涼しげな瞳を覗かす。


彼こそ、この妖狐の里を治める御当主様である月天だ。


 瞳の色は獣のごとく爛々と輝く黄金色で、髪の色と同じ毛で覆われた獣耳は狐らしく天を向きその腰あたりにはふかふかで毛並みも艶やかな七本の尾が揺らめいている。


 月天が住むこの上ノ国も春が過ぎあっという間に夏になろうとしている、妖狐の里にも夏の匂いが広がり屋敷の中も近々始まる年中行事の準備などで皆浮き足立っているのがわかる。


 月天が治める妖狐の里は上ノ国と言う神から与えられたと伝わる聖域にあり、この上ノ国には妖狐の里の他に五つの妖の里がありそれぞれ当主と呼ばれる一族の長が取り仕切っている。


それぞれの妖の里は上ノ国の中ではあまり行き来はないが、上ノ国と結界を隔てて存在する下の里ではそれぞれの里が治める地区があり年中行事などがある際にはお互い顔を合わせることもある。


 月天も基本はこの上ノ国にある妖狐の里のお屋敷から出ることはないが、時々姿を変え下の里にある曼珠の園に降りては昔生き別れた大切な想い人の情報を集めている。


 今日もあらかた仕事が片付いたので自分の側付きの双子を呼びつけ、少し曼珠の園に行くと告げる。


「月天様、あまりお一人で下の里に降りるのは感心いたしません」


月天が服を着替えていると側付きの双子の片割れである白夜が手伝いながらも小言を言う。


白夜は三尾をもつ妖狐だ、白味がかった金髪の髪を腰あたりまで伸ばし、瞳も髪の色と同じ白金だ。


整った顔はまだどこかあどけなさが残っており、人間の年齢で言うと大体十五歳前後だろう。


「下の里でないと入ってこない情報もあるし、月天様が自分の目で曼珠の園を見ることも必要でしょう」


白夜の反対側で手伝いをする極夜は白夜とは違って月天が下の里に行くのは賛成のようだ。


極夜は白夜の双子の弟で白夜と同じ顔をしているが髪と瞳は対照的に灰色がかった銀色をしている。


どうやら性格も白夜とは反対らしく、腰からはえる三つの尾をゆらゆらと動かしながら興味津々に月天の話を伺っている。


「最近鬼の一族に動きがあると報告が上がっていた、曼珠の園の中には鬼の一族を入れないように通達は出しているが中には目を盗み手引きしている見世もある今回は番付の上三つの楼閣に行ってそれとなく様子を伺ってくる」


「そのようなこと、月天様のお手を煩わせずとも私どもがやりますので……」


白夜がそう言うと月天はそれ以上は聞く気がないとばかりにピシャリと白夜の提案をはねつける。


「何度も同じことを言わせるな」


 月天は着替えが終わり変化の術を使い容姿を変えるとそこには先ほどまでいた月天の容姿とは似ても似つかない黒い髪を短く整え少し長めの前髪からは深い紫の瞳が覗く人間風の男がいた。


「月天様が演じてらっしゃる宗介は曼珠の園でも人気だし、この幽世でも中立の立場をとっている妖猫の一族ってことにしてるから情報も得やすい。内部調査にはうってつけだよね白夜」


極夜はまだ月天が下の里に行くのをどうにか阻止できないかと思案する白夜に暗に諦めろと諭す。


「では、明日の朝には帰る。あとは頼んだ」


最後まで月天をどうにか止めようと抵抗していた白夜もここまで言われれば引き下がるしかなく、双子は素早く片膝をつき頭を下げて指示に従う。


『御意』


月天は双子をそのまま部屋に残し自分は下の里の曼珠の園につながる、屋敷の裏庭にある小さな鳥居をくぐった。


◇◇◇


 久々に曼珠の園にくると年中行事の中でもひときわ妖が集まる大祓や俄が近いせいか街中がいつもより活気づいているようだった。


(これだけ妖の出入りが多くなると、鬼の一族が紛れ込んでいても見つけるまでに時間がかかりそうだな……)


月天は園の中をぶらぶらと歩くフリをしつついつもと違った様子はないかと辺りに気を配る。


「あらぁ、宗介様今日はわっち の店に来てくりんせん でありんすか ?」


月天が見世の立ち並ぶ通りを歩いていると夜見世の準備をしている遊女たちに声をかけられる。


「悪いね、今日は曙楼に行こうと思っていてね」


「いつもそればかりでなかなか馴染みの見世を決めてくれんせんから、姉さんたちも怒っていんすよ」


「どの見世も魅力的で一つに決めることができないんだよ、姉さんたちによろしくね」


 月天が演じる宗介は見目も良く金払いもいいのでこの曼珠の園でも大人気だ。


普通は自分の敵娼を決めたら他の見世に上がることはなく敵娼の元だけに通うものだが、月天はこの曼珠の園の中の情報を多く集めるためふらふらと多くの見世を渡り歩いているのだ。


 あらかた園の中を確認し終えると今日の目的であった見世に行くことにした、表通りを歩くと声をかけられて面倒なことが増えるので裏路地を抜けてまずは曙楼へと足を向ける。


裏路地を歩いていると姿眩ましの術を使って大通りの方を眺めている怪しい人物を見つける。


(鬼の一族の密偵か?最近鬼の一族の動きが活発化しているからな……)


月天の取り仕切る妖狐の一族と同じ上ノ国にある鬼の一族は昔に一悶着あり、それ以降お互いに牽制し合っている。


怪しげな人物の後ろに気配を消して立つと、目の前の人物は月天に気づくことなくそのまま後ずさってきてドンっと月天にぶつかった。


驚いた様子で月天を見上げた女の顔を見て月天は一瞬時が止まったような感覚を覚える、振り向いた女がずっと自分が探し続けている人物の面影と重なったのだ。


 女はすぐに身をかがめて脇から逃げようとするが月天は思わず手を伸ばし逃げようとする女の手をつかむ。


引き留めた女は自分の方を見たまま何も言わずに動きを止めたままだ。

瞳と瞳が交わりよくよく女を見てみると黒い髪を腰の辺りまで伸ばし、瞳も髪と同じ黒といったよく見かける人間の風貌をしていた。


(こんな娘を一瞬でも見間違えるなんて……)


 どこからどう見ても普通の人間の女にしか見えないのに、なぜか月天は自分が百年以上も探し続けている美しい想い人と見間違えたのだ。


このまま無言で女を引き止めていても時間の無駄だなと判断し、できるだけ敵意を感じさせないような軽い口調で話しかける。


「おや、ぶつかっておいて謝罪の一言もないとは如何なものかと思うよ」


女にそう言うが、返事は返ってこない。


(どこぞの密偵だとしてもこのように簡単に捕まる程度ということは捨て駒程度の存在だろう)


月天はこれ以上この女に時間を取られるのも煩わしいと感じて女の腕を掴んだまま大通りに引き摺り出そうとする。


「だんまりかい?まあ、僕は別にこのまま君を突き出してもいっこうに構わないのだけれども?」


女は大通りに向かって月天が歩き出すと慌てて謝罪を述べて、どうにかこの場に止まろうとした。


女は月天から放たれる妖気を察してかここに来るまでの経緯を月天に話だす。


月天は女の話を聞きながら怪しい仕草はないかと見ていたが密偵らしさは伺えず、どこからどう見てもただの人間のようだ。


しかし、女の話を聞いている間に一つ気になるのがただの人間のはずのこの女から本当にわずかだが鬼の香りがすることだった。


その香りは月天が心の底から大切に想っている人の香りとどこか似ていて、このままこの女を放っておく気になれなかった。


 女の名は観月と言うらしく、術者として人里で暮らしていたところを妖退治の最中に不意をつかれ気づけばこの花街に来てしまっていたようだ。


 話をしている最中に時々瞳が不安げに揺れていたので大まかな話は本当だが、いくつか隠し事をしているようだったがその身を小さくして不安げにしている姿が心の中の想い人と重なり自分でも驚くようなことを口走ってしまった。


「可哀想に、そんな目にあっては怖かっただろう。私は宗介と言って猫の妖怪だ、このままここにいても危険だから僕のお得意先に紹介してあげるよ」


観月は最初こそ警戒した様子だったが、月天が態度を柔らかくするとすぐに信用したようで大人しく月天の後を着いてきた。


◇◇◇


 幻灯楼に着くとすぐに馴染みの従業員が部屋に通してくれ、女将を呼びにいった。


通された部屋に観月と二人きりになり、それとなく観月には月天にとって都合のいい情報だけを与える。


(しかし、話を聞く限り人里からこの時期に人間を攫ってくるなど……やはり何か裏がありそうだな)


幽世と現世はそう簡単に行き来できるような場所ではなく、限られた時期や強力な力を持つ妖の術がなければ妖が人里に降りることはできない。


ましてや人間の娘をこの幽世に連れてくるのは上ノ国にある七妖の御当主への貢物として献上する時ぐらいなもので下の里の花街に売られてくるなどここ最近では聞いたこともない。


観月から少しでも情報を得ようと話しを聞いているとあまり自分以外の他人が出てこず、一人孤独に暮らしていたのがわかった。


 容姿も種族も違う娘だと言うのに月天は観月のことを聞けば聞くほど自分が探している人物の姿が重なり心に荒波が立つのを感じる。


心の中を掻き乱されて不快に感じた月天はつい意地の悪いことを観月に言ってしまう。


「けど、だって……そんな言葉を並べても君に残されている選択肢は僕の好意を受け取ってここで働きながら人里に戻る機会を待つか、今ここから逃げ出してどこぞの知らない妖に食われるかの二つしかないんだよ?少しは現実を見たら?」


 月天の冷めた瞳を見て観月が怯えた表情を浮かべ距離を取るとちょうど女将と従業員の女が部屋に入ってきてなんとか先ほどの失態をごまかすことができた。


女将は観月を雇うことに難色を示したが、少しばかり強く言えば大人しくしたがった。


月天は女将に連れられて部屋を出ていく観月を優しげな笑みを浮かべながら見送り部屋に一人になると、ここ何百年も動くことのなかった自分の心が動くのを感じ怪しげに微笑むのであった。

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