第06話 

 女将さんに連れられて来たのは幻灯楼の二階にある広い部屋だった。女将さんが部屋の中の人物に一声かけると部屋の中から綺麗な声が返って来る。


部屋の中に入るとそこには六歳前後の禿と呼ばれる子供が二人と豪華な打ち掛けをまとった美しい女性が座っていた。


「小雪!このあと宗介様がお前のところに上がるから用意しておくれ。あと、この娘だけど宗介様の頼みでお前が面倒見てくれって……」


女将がそう言うと紫苑は小雪花魁と呼ばれた女性の前へ引き出される。


「ほら、あんたはこれから小雪の世話になるんだ、挨拶くらいしっかりおし!」


女将に腰のあたりをペシっと叩かれて慌てて紫苑は頭を下げる。


「はじめまして、観月と申します。これからよろしくお願いします」


 紫苑が偽りの名を名乗って頭を下げると目の前にいる小雪がやっと口を開く。


「こなたの娘、人間の娘ではないかぇ?人間臭くてかなわん。わっちは人間の娘を禿にするなど嫌じゃ」


小雪花魁は紫苑を見下すようにその薄い水色の瞳を向け言い捨てる。


「小雪、宗介様は上ノ国にも顔がきく方だここで機嫌を損ねたら後々面倒なことになるんだよ。我儘はよしておくれよ。あと名はあんたが適当につけてやっておくれ。じゃあ、さっさと準備しておくれよ」


 女将はすっかり不機嫌になった小雪となす術なくその場にほうけて座ったままの紫苑を残し部屋を出て行った。


 女将がでていくと小雪は大きなため息をわざとらしく吐き、先ほどまでの傲慢さを消し紫苑の方へ視線を再び戻した。


「それで、あんたみたいな人間の娘がなんでこんな場所に連れてこられたんだい?」


 小雪はその美しく整った顔を少し怪訝そうにしながら紫苑にここにくるまでの経緯を説明するように言う。


「……と言うわけで、人間の里に戻るためにもここで働かせていただければと思いまして」


今日何度目になるか……ここに来るまでの経緯を小雪に話すと、彼女は呆れたような表情で笑う。


「あんた、箱入りのお嬢さんだね。ここまで来てまだ自分が人里に戻れるなんて思ってるんだからさ。この曼珠の里からでるだけでも一苦労なのに、御当主様しか使えない異界渡りを自分のために行ってもらうなんて、その図々しさに流石のわっちも呆れてものが言えないよ」


「ですが、宗介さんはこの幻灯楼の花魁であれば御当主様と直接会う機会もあると……」


「確かにここに居りゃあ御当主様の目に止まる可能性は無いとは言わないが。そもそも、会って間もない妖を信じるなんてあんたどうかしてるんじゃ無いかい?」


 小雪に鼻で笑われ一瞬苛立ちを感じるが、確かに小雪の言う通りだ。つい先ほど会ったばかりの見ず知らずの妖怪の言うことを素直に信じるなどどうかしている。


しかし、紫苑は不思議と宗介のことを嫌いになれないのだ。むしろ、初めて会ったその時からこの人なら大丈夫だという謎の安心感すら覚えてしまった。


「不本意だけどあんたは私の禿としてこれからはここで暮らすんだ、私の評判を落とすようなことだけはしないでおくれよ」


小雪花魁はそう言うと側に控えていた禿たちに紫苑の世話を言いつけると部屋を出ていってしまった。


◇◇◇


「はじめまして、わっちは凛と言いんす」

「わっちは紅と言いんす」


 綺麗な着物を来た二人の禿は小雪がいなくなるとすぐに紫苑のそばまでやって来て自己紹介をする。

 

凛と名乗った娘は藤色の髪に濃紺の瞳をしており、幼いながらもどこか人を惹きつける魅力のある顔だちをしていた。


反対に紅と名乗った娘は燃えるような紅い髪に朱色の瞳が印象的などこかハツラツさを感じさせる容貌だ。


「あの……私はこれから何をすれば……」


 自分より幼い子供といえども相手は自分よりもこの見世の勝手を知る先輩だ、できるだけ低姿勢で接したほうがいいと思い相手の様子を伺いながら問いかける。


「これから観月さんは遠くないうちにわっちらの姉さんになりんす、そのような話し方はよしてください」


「凛ちゃん、よしてくんなまし。だよ」


「え?あ、そうか!」


 凛と紅はどうやら郭言葉の練習中らしく時々素の話し方とごちゃ混ぜになってしまうようだ。


「小雪姉さんは態度はあんなだけど、情にあつくて優しい妖でありんすから人間の観月さんにも悪いようにはしないと思うでありんすよ」


 いきなり取り残されて不安げにしているように見える紫苑を元気づけようと凛がそう言うと、それより早くと紅が紫苑の手を引いて立ち上がらせる。


「とにかく、姉さんはこれから着物の採寸と必要最低限の物を注文して、急いで着替えて小雪花魁の座敷に向かわなきゃ!」


 郭言葉そっちのけで紅が紫苑を急かすように部屋の外に連れ出そうとするが、紫苑は慌てて自分は何も持っていないと告げる。


「でも、私お金も何もなくて……」


「観月さんの支度にかかるお金は全部小雪花魁が持つんだよ。遊郭ではわっちらのような禿や新造にかかるお金は面倒を見ている姉さん、つまり花魁が全て持つんだ。だからわっちらは姉さんのためにも早く一人前の遊女として独り立ちしないとならないんだ」


「え!そうだったの?じゃあ、小雪花魁にせめて礼を……」


「観月さんそれは後でいいからとにかく早く着替えて準備しなきゃ小雪花魁に迷惑かけちゃうから!」


 凛と紅に引っ張られるまま紫苑は部屋を出て慌ただしくあれやこれやと身支度を整えられる。


 一通り支度が済み鏡を覗き込んでみるとそこには自分でも信じられないくらい綺麗に仕上げられた姿が映し出される。


 黒く腰のたりまで伸ばされていた髪は艶やかに結い上げられ、シャラシャラと簪が鳴る。目元と口元には軽く紅がひかれどこか初々しさ残る表情と混ざり見る者の庇護欲をそそる。


急いであてがわれた着物も上等なもの赤地に所々小花が散らされており紫苑の透き通るような白い肌が映える。


「観月姉さん、準備ができたら早くお座敷に行かないと!小雪花魁が準備している間はわっちらがお客の話相手をするんだよ」


「え!いきなりそんな無理無理!私さっきここに来たばかりなのに!?」


 紅に手をひかれながら座敷に向かう途中に禿としての仕事を簡単に説明されるが、何もかも初めてのことだらけで全く頭の中がついていかない。


「大丈夫でありんす!今日のお客は宗介様だから観月さんは宗介様と知り合いなんでありんしょう?小雪花魁が来るまで適当にお酌しながら話をすればいいでありんすから」


 紅にそう言われて気づくと座敷の前まで来ていた。


(知り合いって言っても今日数刻前に初めて会っただけでどこの誰とも知らないのにー!)


 紫苑が心の中で盛大に叫んでいる内に紅と凛は座敷の襖の前に行儀良く座り自分たちをここまで連れてきた案内役の従業員が部屋の中の宗介に確認を取るのを待つ。


「あぁ、入って来て大丈夫だよ」


 中からふんわり優しげな声が返ってくると紅と凛は襖を開けて礼をする。紫苑も慌てて二人に合わせて頭を下げると、部屋の中にいた宗介が笑いながら手招きする。


「くくくっ……礼儀作法はいいから気にせず中にお入り」


紅と凛が顔を上げると無言で紫苑に部屋の中に入るように促す。


(やっぱり年功序列的な感じで私が先に入らなきゃだめなのー!?)


 心の中で盛大に泣き叫びながら渋々部屋の中にいる宗介の側までいき座るとすかさず凛が紫苑の側にやってきて耳打ちする。


「観月姉さん!そんなに離れたところに座ってたらお酌もできんせんでありんす!」


凛がそう言うとぐいぐいと紫苑を横から押して宗介の隣へと移動させる。


「いいんだよ凛、観月はさっきここに来たばかりだからね」


「宗介様がそう言っても何もせずに座っていれば姉さんに叱られんす!」


「おやおや、そうかい。じゃあお酌でもしてもらおうかな」


宗介が空いた杯を紫苑の方へ近づけると凛が慌ててお酒の入った瓶を紫苑に渡す。


「観月さん、これでお酌して」


 凛と紅に助けられながらなんとか座敷での必要な所作などを覚えていると廊下から声がかかり続いてよく通る美しい声が響く。


「お待たせしんした、小雪でございんす。中に入ってもいいでありんすか?」


「あぁ、小雪中に入って来ておくれ」


 宗介は柔かな表情で小雪を座敷に呼ぶと、廊下から見事に着飾った天女のような小雪花魁が部屋へと入ってくる。


「観月、凛、紅」


小雪が三人の名を呼ぶと凛と紅はすぐに場所をあけ小雪が宗介の隣に座りやすいように動く。


「観月さん、小雪花魁が宗介様の隣に座るから場所を空けて!」


紅に小声で言われ、紫苑は慌てて宗介の隣を離れて紅と凛の座る隣に座り直す。


宗介の隣に小雪花魁が座るとすぐに宗介の空いた杯に酒を注ぐ。


「小雪花魁、今日は無理を言って悪かったね」


「まったくその通りでありんすぇ、得体の知りんせん人間の娘をわっちの禿にするなど……」


 小雪花魁が可愛らしく拗ねて見せると宗介も満更でもなさそうな笑みを浮かべて小雪花魁の肩を寄せる。


「これからしばらくはお前さんのところだけに通うから許しておくれ」


宗介が小雪にそう囁くと小雪は口を尖らせながらも笑みを浮かべてうなずく。


「まったく仕方がないお人でありんす」


「そういえば、五日後に大祓いの儀式があるね。年に二度しかない御当主を近くで見られる貴重な機会だ、観月も連れて行ってもらうといい」


宗介が酒を飲みながらそういうと、隣に座っていた凛と紅が嬉しそうな声をあげる。


「小雪姉さん!わっちらも大祓いの儀式を見に行ってもいいでありんすか?」


期待を込めた瞳で見つめる凛と紅を見て小雪は困ったように眉根を寄せる。


「宗介様がそのようなことをおっしゃるから、凛も紅もすっかり行く気になってしまいんした。そのようなことを仰るからにはもちろん大祓いの日は登楼してくださるのでありんすね?」


「いやいや、参った。その日はどうしても外せない要件があってね。代わりと言ってはなんだが、その日は楼主に言って休みにしてもらうってのはどうだい?」


「楼主様が首を縦に振るといいでありんすね」


「いやはや、そう怒らないでおくれ。面倒ごとを済ませたらまたお前さんの所にこうして通って来るからさ」


 宗介はそう言って小雪を抱き寄せる。


 宗介が小雪を抱き寄せるのを見て紫苑の心になぜかチクリとトゲが刺さったような痛みを感じる。


宗介が小雪とどうしようが紫苑には関係もないし、深く関わりたくもないはずなのにこうして二人が恋人同士のように接しているのを見るとどうしても嫌な気分になる。


 紫苑が自分の心に渦巻く行き場のない気持ちを押し殺していると、凛と紅はすぐに雰囲気を察して頭を下げるとそそくさと座敷を出て行く準備を済ませる。


「観月姉さん、わっちらの仕事はここまででありんす」


 凛に小声でそう言われると凛と紅に背を押されて座敷の出口まで追いやられる。


凛と紅に連れられ、廊下で三つ指をつき挨拶を済ませると、紅が小雪と宗介を残し座敷の戸をゆっくりと閉めていく。


ちょうど戸が完全に閉まり切る前に、小雪を抱きしめている宗介と瞳が交わる。


「……観月、私を楽しませておくれよ?」


 宗介は声を出してはいなかったが、なぜが紫苑には宗介が自分の方を見て言った言葉が理解できた。


(え?どう言う意味?)


 紫苑が慌てて確認しようとするが、紅によって襖が閉じられた座敷の中にいる宗介に先ほどの言葉の意味を確認することはできなかった。

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