第05話

 宗介に姿眩ましの術をかけたまま自分の後について来るようにと言われ、言われるまま宗介の影に隠れるようにして歩いていると大きな通りへと出る。


 時刻は清搔きが鳴る暮れ六ツ時、大門から続く仲之町にはずらりと見世が立ち並び怪しげな光を放ち格子越しに手招きする遊女たちは誰もが美しく見る者の足を止めさせる。


 人世では見ることのない美しく幻想的な風景に思わず紫苑は目を惹 かれる。


 ここは神から与えられし土地の上ノ国にある里の一つである妖狐の里が治める花街なのだ。深い堀と高い塀に囲まれたここには人間や妖といった多種多様なモノが行き来する。


 唯一外の世界と通じる大門から今歩いている仲之町をしばらく進むと正面には朱色の立派な太鼓橋がかかっており、そこだけ灯篭や提灯などの灯りで昼間のごとく煌々と大きな楼閣が照らし出されている。


 「ここはこの花街、曼珠の園の中枢とも言える夢幻楼だ」


 宗介は紫苑だけに聞こえるように小さな声でそう言うと夢幻楼がどういった役割を持つ建物なのか教えてくれる。


 夢幻楼の周囲にはぐるりと取り囲むように曼珠沙華の花が咲き乱れ現を忘れさせる様な風景が広がる。


 この夢幻楼こそ曼珠の園の中で唯一御当主様が足を運ぶ聖域にも近しい建物なのだ。


「ここは年中行事の際に限られた者だけが出入りを許される。人世に戻りたくばまずはこの夢幻楼へ登楼することを目指す必要があるのさ」


 太鼓橋を挟んだ向こう側は紫苑でもわかるほどこちらと空気が違っている。きっと紫苑の見たこともないような大妖怪が巣食っているに違いない。


紫苑がまじまじと夢幻楼を見ていると宗介はすぐに来た道を戻り始める。


 慌てて紫苑が宗介の後を追いかけると、宗介は先程の夢幻楼ほどではないがとても立派な楼閣の前で歩みを止め、着いたよと目の前に現れた大きな建物を指さす。


 宗介に連れられてやって来たのは幻灯楼と言う名の建物だった。


 どうやらこの幻灯楼はこの曼珠の園の中でも三本の指に入る遊郭でここに通う客のほとんどはこの幽世でも名が知られた妖ばかりらしい。


「ちょっと!結局あなたも私を遊郭に売る気だったんですね!」


 どこか安全な場所に連れて行ってくれるものと思っていた紫苑は連れてこられたのが遊郭と知り宗介から逃げようとするが、紫苑が走り出すよりも早く宗介に手を掴まれる。


「悪いようにはしないから、大丈夫」


 紫苑の手を引き幻灯楼の中へと進む宗介に恨みがましい目で訴えると宗介は紫苑をなだめる仕草をして、見世の中で誰かを呼んだ。


宗介が声をかけるとすぐに従業員らしき女性がやって来て宗介に挨拶をする。


「まあまあ、宗介さんが来るなんて珍しい、そこの子はどなたですか?」


「この子は訳あってこの花街に迷い込んでしまってね、見ての通り人間の娘だからお世話になるなら幻灯楼がいいかと思って連れて来たんだよ。女将さんか楼主に会えるかな?」


 従業員の女は宗介が連れて来た謎の女である紫苑を爪先から頭の天辺まで何度かジロジロとみると、楼主様は今外に出ているから女将さんを呼んでくると言って宗介と紫苑を空いている部屋に案内して姿を消しす。


 案内された部屋に入ると紫苑はすぐに宗介に詰め寄る。


「確かに私は今困ってますけど、遊郭で働くのは無理です!それにここは妖の世界なんですよね?人間の私が働くなんて……」


 いくら男女のことに疎い紫苑でも遊郭がどのようなことをする場所かは知っている、困っているとはいえ妖の世界の遊郭で働くなど冗談じゃない。


「いいかい観月ちゃん、ここから出るには御当主様にお願いするしかないと言ったよね?御当主様に会えるとしたらこの曼珠の園にある夢幻楼と言う屋敷に行くしか会う方法はない。しかし、夢幻楼は妖狐の一族以外は基本的に登楼することはできない」


宗介は紫苑を落ち着かせるように淡々と言葉を続ける。


「どちらにしてもその御当主様にはここにいたら会えないじゃないですか!」


「それがね、この曼珠の園にはいくつもの年中行事というものがあって、その行事中は御当主様もこの曼珠の園にある夢幻楼に滞在するんだよ。しかも、行事の初日はこの曼珠の園の中でも番付上位三つに入る見世の花魁たちが御当主様に挨拶をすることが許されているんだよ」


「え……と言うことは、この曼珠の園の中で番付上位に入る幻灯楼で働けば御当主様に会う機会が巡ってくるかもしれないと言うことですか?」


「そうなるね」


宗介に言われたことが本当なら、この幻灯楼で働いていれば村にもどるための機会が巡ってくるかもしれない……紫苑がここに残るべきか逃げて他の道を探すべきか迷っていると宗介は続けて話す。


「けど、妖狐の里の御当主様は気難しい方だから普通にお願いするだけじゃダメだろうね……いい意味でも悪い意味でもこの世界は実力主義、御当主に気に入られるか何か大きな功績でも残さない限り見向きもされないだろうね」


 宗介の方を見ると面白そうに瞳を細めながら紫苑の様子を伺っている。


「けど……私が遊郭で働くなんて……」


 紫苑が俯き小さな声でそう言うと宗介が紫苑との距離をいつの間にかつめて右手で俯いた紫苑の顔を無理やり自分の方に向ける。


「けど、だって……そんな言葉を並べても君に残されている選択肢は僕の好意を受け取ってここで働きながら人里に戻る機会を待つか、今ここから逃げ出してどこぞの知らない妖に食われるかの二つしかないんだよ?少しは現実を見たら?」


 無理やり視線を上げられて目に映ったのは先ほどまでの人の良さそうな表情ではなく、ひどく冷たい目をした宗介がいた。


急に雰囲気が変わった宗介を目にして反射的に手を振り払い距離を取る。

やはり目の前のこの人物も妖、うかつに信用したら酷い目にあうと先ほどまで呑気に信用してそばにいた自分を戒める。


宗介は紫苑が慌てて距離を取るとすぐに再び人の良さそうな笑顔を浮かべて、冗談だよと笑いながらパタパタと手に持った扇子をあおぐ。


二人の間に沈黙が流れるとそれを遮るように廊下から声がかけられる。


「宗介さん、女将さんをお連れしました」


声がかかると宗介はどうぞと言い寛いだまま廊下から女将が入ってくるのを待つ。


女の従業員を連れて部屋に入ってきたのは歳の頃、五十歳前後くらいの黒い着物をビシッと着付けたいかにもやり手そうな女性だった。


女将さんと呼ばれた女性は部屋に入ってくると宗介の前までいき丁寧に挨拶をする。


「いつも幻灯楼を贔屓にしていただきありがとうございます。して、今日は何やら人間の娘の働き先を探しているとか……」


女将は視線をスッと紫苑の方へ向けると舐めるように紫苑の様子を見る。


「この娘を売っていただけるので?」


女将の品定めするような視線を感じで紫苑は少しムッとするが紫苑が行動に移すよりも早く宗介が答える。


「女将、この子を小雪花魁の禿として雇ってくれないか?」


宗介が女将にそう言うと明らかに女の従業員と女将が驚きのあまり表情を変えて息を止めたのがわかった。


女将に無理難題を吹っかけた本人の宗介は相変わらずにこにこと笑みを浮かべ女将の返事を待っている。


「いくら宗介様のご紹介でもそれは……小雪は自分の気に入った者しか側におきませんので」


女将が流石に無理だと断ろうとすると宗介は人の良さそうな笑みを浮かべたまま女将に脅しとも取れる言葉を言い放つ。


「別に幻灯楼が無理と言うなら僕は構わないよ、曙楼に月紗楼も人間の若い娘がいるといえばきっと欲しがるだろうからね……僕は親切心から言っているんだよ?僕に借しをつけておいた方が幻灯楼にとってもいいんじゃないかな?」


女将は宗介の言いたいことを理解したのか、一呼吸おくと女の従業員に何やら指示を出し部屋から退出させた。


「わかりました、ではその娘は小雪花魁の禿としてウチで引き取らせていただきます。その娘の名は?」


「女将、ありがとう。この子は観月と言うんだよ、何か適当な名前をつけてやってくれ。あと、詫びじゃないが今日はこのまま小雪花魁のところに上がって行こうかな」


「ありがとうございます、ではすぐに小雪に用意させますのでしばしこちらでおまちください。この娘はこのまま連れて行っても構いませんか?」


「あぁ、よろしく頼むよ」


目の前でどんどん話が進んでいき、紫苑本人の希望などよそにどうやらこの幻灯楼の小雪花魁と言う人の元で働くことが決まったらしいと理解する。


紫苑がどうしたものかとソワソワあたりを見回していると、女将が紫苑の方を向き自分についてくるように言った。


紫苑が部屋を後にする女将に着いてそそくさと部屋を出ようとすると女将にたしなめられる。


「あんた、宗介様にお世話になったんだろちゃんとお礼くらいいいな」


紫苑は勝手に話を進めた宗介を内心腹立たしく思いながらも振り返り両手をついて宗介にお礼を言う。


「ここまで連れてきていただきありがとうございました」


紫苑が頭を下げると女将は宗介に商売人らしくにっこりと笑みを浮かべて礼をして部屋を後にした。





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