第40話 孤独を断ち切って
――― このスイッチを押せばガラスの向こうのガキは一生目覚めなくなるぞ―――
会話なんてしてないでとっとと田部を拘束しておけばよかったと舌打ちをしそうになる。
「これを押すとな、タイマーが作動するんだ。規定時間に実験が自動的に開始されるようセットしておいた。こうなれば施設の電源を落とさなければ救う手立ては見込めないぞ」
「
せめてもと思い、すがる思いで緋鳥に囁く。
「――― その線は薄いと思う。あの人はやるときはやるひとだから」
しかし力也の神頼みは無念にも打ち砕かれた。
打つ手なし。
田部の優越感に浸った表情に今すぐにでも拳をめり込ませたかったが、命と引き換えになっている以上手出しできない。みすみす田部が逃亡するのを目の前で指をくわえてみていることになる。
「さらばだ、諸君。せめて十年間手足として働いてくれたことには感謝しよう」
あっけらかんとその場を後にする田部がドアノブに手をかけたとき、ひやっとした空気が部屋中を漂い始めていることに気付いた。しかも急激に冷却されている。
はっとした矢先に実験室内の電源がすべて落ちた。
雪也の起源だと思い至った瞬間、身体が動いた。力也とアイネン両方同時に田部確保のために突貫する。このチャンスを逃してたまるか。
向こう側の事情をくむに、さしずめフラクタル内の消火活動のために雪也が発動させたのだろう。冷却すれば鎮火にもなる。そして運良く冷却しすぎてフラクタルのすべての電源を司るブレーカーが落ちたのだ。
動きを封じる間際にスイッチを押されたが、電源が回復することはしばらくありえない。
「せんぱいっ、ダメです!」
緋鳥の声に力也とアイネンは首をかしげる。諸悪の根源は自分たちの手中にある。それなのになにがダメなのか。
田部がニヤリと笑みを浮かべた。嫌な予感は直後に的中した。
実験室内に再度明かりがともり、加えて仰々しい物音とともに何かが作動する電子音が響いた。
「どうしよう!」
緋鳥がモニターに駆け寄りなにやら操作をしていると、顔面蒼白になりしゃがみ込んでしまった。
「どうなってる」
力也とアイネンも勝手に作動し始めたモニターを覗き込むと、何かのカウントダウンが始まっていた。残り約十分としるされている。時間を使い切ればどうなるのかは田部が律儀に説明していたではないか。
「非常用電源か!くそ、その可能性を考慮していなかった。止めるには電源を落とすしか・・・・・・」
「っておい力也、電源どこにあるんだよ」
「ボクが知るはずないだろ‼」
「おまえそれでもジオメトリ代表のつもりか!」
力也とアイネンの喧嘩が勃発しているのをBGM に田部はひとりしてやったと高笑いを響かせた。それ見たことか、結局おまえら誰ひとり救うことができない愚物だ。自分が拘束されたところで金の力で外の出てやる。少々痛手を負うことになるが、研究の成果を得るための代償としては安いものだ。データは遠隔で隠れ蓑として用意しておいた自宅のパソコンに自動で送信される手はずだ。
「ボクは、結局誰ひとり救えないんだ・・・・・・ 」
アイネンは画面に釘付けになり卑屈になりだした力也をみて、とうとうためていた思いがはじけ飛んだ。起源ではなく生身の拳で力也を殴りつける。
力也は不意にアイネンから放たれた容赦ない拳を右頬に受けて後方に吹っ飛んだ。追い打ちをかけるように力也にまたがり胸ぐらを掴む。
「ヒーロー気取りもいい加減にしろ!お前はいつもそうだ・・・・・・ そうやってひとりで抱え込んで相談もしないで、十年前のときもだ。俺は一緒にフラクタル研究員を辞めるものだとばかり思っていた。だがお前は誘ったのに残ると言った。理由を求めたのに言葉にしないで謝るだけで俺が納得するとでも思ったのか」
「ごめん」
「麻衣も同罪だ。相談なんて一際せずに力也について行きやがった。俺だけ置いてけぼりだ」
アイネンは鬱憤を晴らすようになおも言葉を続ける。
「あの火災があった日、俺は現場に居合わせていなかった。概要も詩内教授から間接的に聞いただけだ。だから死ぬ間際の伊弦とけやきの言葉を聞いていないから、どんな気持ちでいたかわからない。それでも、これだけは言いたい――― そんなに俺が信用できなかったのか‼」
力也は弾かれたように顔をあげ、目を見開いた。アイネンの表情は怒りの表情をしていると思っていたが、彼は言葉とは裏腹に悲愴の表情をしていた。初めて見る顔だ。
力也はなんとかして息を吸い、ため込んでいた思いを打ち明けた。
「・・・・・・ 初めは秘密を共有した者だけがこのことを共有するのが良いって思ってたけど、結果的に抱えきれなくなってに何回も相談しようとしたさ。でも、サーちゃんは、自分の意見が間違っているって認めようとしないじゃないか。常に自分が正しいって頑なに貫こうとする。話したところで、ボクの思い描いている未来にはなれないと思ったんだ‼」
だから力也は自ら孤独を選び、最初に抱いた思いを胸に刻んで行動しようとつとめた。
アイネンは掴んでいた手の力を弱めた。衝撃的な告白に、返す言葉を失ってしまった。
今までアイネンは弱い力也を引っ張っていこうと前に出ていた。自分で決められないような人間は黙って自分のような志を持つ人間について行けば良いのだと妄信していた。
ようやくアイネンは自分に落ち度があったことを悟った。アイネンは力也を対等な相手だとみなしていなかったのだ。 ――― 相手の声に耳を傾けて、そんで再度自分の声を伝える――― 赤星に言われた、基本的なことができていなかった。
そうか、自分にも否があったのか。
今からならまだやり直せるだろうか?
許してもらえるだろうか?
もう一度、あの頃のような未来を望む権利があるだろうか?
もし、あるとしたら――――――
「まだ時間はある、諦めようとするな!力也、一緒に止めに行くぞ。――― 緋鳥、この実験室のコントロールルームはどこだ!」
「地下二階!」
「よし、行くぞ‼」
手を離した拍子に尻餅をつき、依然としてその状態のままの力也に手を差し伸べる。
ややあって自分の手を握る感触が伝わった。
実験室の作業を緋鳥に一任し、アイネンは力也とともに室内を後にする。田部はステファニー・リゲル同様、身動きを封じて床に転がしておいた。せせら笑う表情を崩さずされるがままになっている田部に違和感を覚えたが、相手にしたら負けだ。力也がその間に端末でジオメトリの応援を要請していたので、じきに回収されるだろう。あとでじっくり制裁を加えるつもりだ。
緋鳥を残して行くのは気が弾まなかったが「大丈夫だから行って!」と背中を押されて覚悟が決まった。
力也の端末に送信されたコントロールルームまでの地図を確認しながら急いで廊下を通り過ぎる。
「リーダー!どこへ向かっているんですか!」
途中、以前会った蒲水響希と
しかし地下へと続く道は重厚な扉で固く閉ざされていた。フラクタル研究棟とジオメトリとを隔てるものよりもさらに厳重な構造をしているとみただけでわかる。
《反射》《強化》で一気に扉をこじ開ける。しかし、力が足りないようでぐにゃりと凹んだ跡だけが残る一方だ。
「サポートします!」
楓が《増幅》を発動させ、威力を何倍にも跳ね上げさせた。
「「あああああああああっ‼」」
咆哮を轟かせ、力也とアイネンはがむしゃらに力を行使した。耳をつんざく金属音とともに、重厚な扉が破壊される。そこへなだれ込むように転がり込んむ。もう時間を確認している暇も惜しい。急いで実験室に送り込まれる電力を遮断しなければ、ガラスの向こうの子どもたちの運命は絶望的だ。
急いでモニターを操作し電力供給を停止させるコマンドを表示させる。
「なんでっ・・・・・・ 」
しかし力也は画面に表示された内容をみて、二の句が継げなくなった。表示されたのはパスワードを求める指示だった。そんなもの当然力也は知らない。知っているとすれば田部六連だけだろう。
彼はそのことを見越した上で力也たちを嘲笑っていたのだ。
打つ手なし。今から田部を尋問しても間に合わない。
どうすれば良い?
――― 画面に手を触れて―――
「リーダー、少しどいてください」
あっけにとられた力也は画面から身体をずらした。
そこにすかさず響希は割って入り、自らの手を画面に触れさせた。
「このあとは?」
――― 目を瞑って、俺に身を委ねて。そして願ってくれ・・・・・・ パスワードが解除できるように、と―――
「それだけで良いのか?」
――― だいじょうぶだから、任せて―――
響希は言われたとおり目を瞑り、解除されるように祈りを込めた。
目を瞑りだした響希をみて、力也は次第に彼の身体が焦点が合っていないときのようにぼやけて見えることに気付いた。正確には輪郭がふたつにみえており、不思議な感覚だった。
目を凝らしているうちにその輪郭がひとつになり、ひとりの人間として捉えられるようになった。力也はそれをみた途端、無意識に涙があふれた。
「
久しぶりに目にした友人は十年前とおなじ姿形だ。本人かどうか確認したいのに、次から次へとやむことのない涙が視界を邪魔してくる。
アイネンも友人の顔をみて、男前な顔立ちが苦しげにゆがんでいた。
電子音がした。
画面を再度覗き込むとパスワードが解除され、実験室内への電力を遮断した。直後に緋鳥から電話がかかり危機一髪で実験中止に成功したと報告を受ける。しかし、今はそんなことはどうでも良い。まだ何か言いたそうな彼女からの通話を切り、友人のもとへ定まらない足取りでよった。
「久しぶりだね、力也、サーちゃん」
響希の声ではあるが、今まさしく目の前にいるのは伊弦だ。
「やっと、会えた・・・・・・ 」
絞り出すように言うと、力也は伊弦に抱きついく。
アイネンも伊弦の言葉に拳を握った。
「 みんなに謝っといて・・・・・・ ごめん、辛いこと頼んじゃって、って」
「ふざけんじゃねえよ!俺たちがどれだけ塗炭の苦しみを味わってきたかしらないくせに‼」
アイネンは十年間の苦しみを、痛みを、伊弦にぶつけた。言いたいことは山ほどあったのに、それ以上の言葉が出てこない。それでも今この瞬間伊弦と会話できただけで救われた気分になってしまったのも事実だった。
アイネンはすべての思いを伝えるように力也ごと伊弦を抱きしめた。もうどこにも行ってしまわないように。
しかし、伊弦はしばらく抱きしめ合った後、抱擁から抜け出し晴れ晴れとした声で別れを告げてきた。
「 さてと、この身体を元の持ち主に返すとしますか」
力也とアイネンに微笑むと伊弦は言葉を続けた。
「
「・・・・・・ もう、会えないのか?」
アイネンの問いかけに伊弦は静かに頷いた。
「 この身体は蒲水響希のものだ。これからは蒲水響希の人生としてみてやってくれ。そして彼の記憶には今後一切瀬魚伊弦の記憶を封印する」
「ボクをひとりにしないで!」
力也の叫びに伊弦はあっけにとられたが、笑って彼の言葉を否定した。
「 違うだろ?力也はもう、ひとりじゃない」
それから前触れなしに「お嬢さん、ちょっとこっちに」と憮然とたたずんでいた楓を手招きした。
楓はいきなり話題を振られて狼狽したが、手招きされた成り行き上自然と従った。
近づくといきなり身動きを封じられて額に手をかざされたのをみて抵抗しようともがこうとしたが、彼が一枚上手だったらしくあっという間に楓の視界は闇に閉ざされた。
そして次に目を開いたときには彼女は楓ではなく、けやきとして目覚めていた。
「 おはよう、けやき」
「 ――― うん、おはよういーくん。・・・・・・ 久しぶり、力也、サーちゃん」
まだ眠たそうにしていたが、これ以上長居したら未練が残りそうだったので伊弦はけやきにひと言「頼む」といって自分ではできないことを頼んだ。
「 私は今さっき会えたばかりなのになあ。でも、これ以上いたら心残りになっちゃうもんね」
けやきは伊弦の思いを察し、やるべき事・・・・・・ 《封印》の起源を発動させ自分と伊弦――― いや、末莉坂楓と蒲水響希の記憶のなかにある、自分たちの記憶を完全に封印するという最後の作業に取りかかった。
あのとき、死ぬ間際の自分の起源は完璧ではないと感じていた。だからこの機会を逃してしまうとこれから先、ふたりは自分の未来を歩めなくなってしまうのではないかと思ったのだ。
ふたりには、ふたりなりの人生がある。
まがりなりにも瀬魚伊弦と橙日けやきに左右されていると思われたくなかった。自分たちは過去の人間で、今この瞬間を生きている人間ではない。
ああ、意識が薄れていく。でもこれが自分たちの選択だ。
「ベタなセリフを言うつもりはなかったんだけどな・・・・・・ 瀬魚伊弦と橙日けやきとの思い出は、お前達のなかにある」
「――― ありがとう」
存在が消えていくのを感じながら、伊弦とけやきは最後にそれだけを言い残し、本当に記憶からも抹消された。
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