第38話 こらえてきた思い

「なんのつもりだね?」


 彼――― 田部たべ六連むつらの問いに緋鳥ひどりの背中に汗がつたった。


 今、震えの収まることのない緋鳥の手中には拳銃が握られている。密かに隠し持っていた彼女の武器である。しかし、彼女の様子から一度もひとに向けて発砲したことがないとわかる。


 いざひとに向けてみると、銃の重さが何倍にも感じられた。汗で滑って取り落としそうになる。


「最初から、このつもりでした」


 緋鳥は緊張で上擦った声で用意していた言葉を並べた。


 十年間の事件以来、緋鳥は田部六連に賛同する人間として活動をしてきた。しかしそれは上辺だけの関係にすぎず、緋鳥は絶えず復讐の機会をうかがっていたのだ。初めは先輩である瀬魚せな伊弦いづる橙日とうひけやきの不審行動を思って田部六連に近づいた。当時は相手の懐に飛び込むような、うちに秘めた度胸にびっくりしたものだ。それがいつしか大切な人を失ったことによる敵討ちゆえの勇気へと変貌を遂げていた。


 今や自分もフラクタルの禁忌の研究に手を出した血塗られた人間の一味ではあるが、今日この日『起源継承』の再実験を頓挫にまで追い込み、田部六連という人物をこの世から抹消するためにはこの千載一遇のチャンス逃すわけにはいかない。


 ミアプラによるフラクタル襲撃の守備確認のために、腰巾着のステファニー・リゲルは席を外している。自分は彼より頭脳が上であることが幸いして、実験室には田部と緋鳥が残ることとなった。ガラスを隔てた向こう側には誘拐された多くの子どもたちが眠らされている。


「君の言い分を聞こう」

「瀬魚先輩と、橙日先輩の仇です」


 余裕そうにたたずむ田部をみて打開策でもあるのだろうかと疑心暗鬼に陥る。焦ってはいけないとわかっていながら、つたいおちる汗の量は増すばかりだ。


「あの当時は私の研究不足で犠牲者が出てしまったからね、本当にふたりには申し訳ないと思っているよ。だからこそ今に至るのではないかね?」

「・・・・・・ 」

「そうだ、緋鳥君からも彼――― 松良まつよし力也りきやに言ってくれないかね。せめて蒲水かまみず響希ひびき末莉坂まつりざかかえでを引き渡してもらえればさらに研究が進む、と」


 田部は命が犠牲になったというのに、何も感じないのだ。ただデータを採取するためのモルモット同然として人間をみているのだ。残されたひとの気持ち、殺されていくひとの気持ちも知らずに。


 怒りが爆発するのが自分でもわかった。引き金に手をかけ、即死となるように照準を眉間へと合わせる。


「緋鳥ッ待ってくれ!銃を下ろせ‼」


 割り込んできた懐かしい声に緋鳥は反射的に声のする方へと顔を振り向かせた。――― 力也だ。


「こんなことをしても得るものはなにもない。後悔ばかりがついて回るぞ‼」


 きついことを言ってくれる。


 力也だって復讐に取り憑かれているくせに。本当はジオメトリ代表なんて役職、やりたくもないくせに。頼る相手がほしかったくせに。・・・・・・ 人一倍悲しみに暮れていたくせに。


「お願い、とめないで」


 自分の声は妥協を許さない声として伝わっているだろうか。いや、伝わってくれていないと困る。


 力也とは十年前の事件の後から、私と協力者の関係としてまめに連絡を取り合っていた。初め田部側で研究を続けると彼に告げたとき、彼は大丈夫なのかと心配してくれた。


 大丈夫じゃないと言えたらどれだけ楽だったか。でも、無理を通して自ら敵地へ飛び込んだ。


 これは先輩たちが緋鳥に授けてくれた勇気だと思っていた。田部六連の復讐を果たすための。


 なのに・・・・・・


 涙が止まらない。あふれ出すしずくが頬を伝って、床に落ちる。力也が無言でこちらに近づいてくる気配がする。


 早く撃たなくては仇が討てなくなる。そう判断して引き金に再度力を込める。


「ごめん、辛い思いさせて。僕はなにも察してあげられなかった」


 力也の声が聞こえたと思ったら抱きすくめられていた。自然な動作で手にしていた拳銃を奪われる。突然の行為に驚くよりも、武器を奪われたことに放心してしまう。

 研究職を続けていたら、彼はきっとこんな動作はできなかったはずだ。これは十年という月日を、力也が流した血の努力を物語っている。

 結局、自分は仇を討てなかったのだ。


「伊弦とけやきはそんなこと絶対に望むようなひとじゃないよ」


 優しい、昔の力也を感じ取れる口調になによりも緊張がほぐれた。松良力也、自分の尊敬する先輩のひとりが、今目の前にいる。


 緋鳥は泣きじゃくった。どうしようもない思いにかられて、押しつぶされそうになっていたところを危うく救われたのだ。


「丁度良いところに来てくれたね、松良。外の様子はどうなっている?このままでは実験を進められないよ」


 形勢が変わったことをいいように、田部はさっそく力也を手足として働いてもらうべく横やりを入れた。


「・・・・・・ あなたの手駒は戻ってこない。計画を中止しろ」


 力也は緋鳥を背後に庇いつつ、厳しい表情で田部の指示を拒んだ。付き人のように従順だったステファニー・リゲルは力也がすでに拘束している。田部のボディーガードとしての意味合いが強かった男ではあるが、彼の力量は力也には及ばない。力也とは違う俊敏さには苦戦を強いられたが長年ジオメトリ代表を務めてきた自分が最終的には勝利を収めた。


 時間が惜しかったので、両手足を拘束して廊下に転がしてきた。我ながらえげつないことをしたと思う。だが、火の手はまだこちらまで来ないだろうと推測してのことだ。


「そうだ、今し方十年前の隠蔽工作および今回の実験計画書もろもろ、すべてのデータを押収した。――― 残念だったな、きさまが手放したくないと手元にデータを残していたのが裏目に出た」

「サーちゃんせんぱい‼」

「――― きさまぁ!」


 いつの間にかUSB メモリを手にしたサジ・アイネンが物陰から姿を現した。


 久しぶりに目にした先輩は見た目が多少変わっていたが、間違いなく緋鳥の先輩だ。また涙がこみ上げてきそうになった。


 アイネンは緋鳥に微笑みかけ、それから力也に顔をむけた


「力也、ジュリアのメンバーに死傷者が複数名出ている。恨むなら俺を恨め。どうやらこちら側に裏切り者がいたらしい」


 力也はどう返せば正解なのかわからなかった。ジオメトリ職員ならば、襲撃された際の心構えくらいできているはずだが、いざけが人がでたとなると精神的苦痛としてのしかかってくる。それにジュリアは非戦闘員の集団なので突かれるともろい。


 見立てが甘かった。細心の注意を払ったつもりだったが、まさかジオメトリ幹部に紅檜皮の内通者がいたとは。ジオメトリ幹部にまで上り詰めるその根気は賞賛に値する。


「十柄萌奈が内通者だったんだね」

「ああ」


 よどみない肯定に顔がゆがむ。テロチームの幹部に彼女を推薦してしまったは力也の落ち度だ。しかもたまたまサラ・アンジェラではなく十柄萌奈をリーダーにしてしまった。おそらく彼女の手腕なら足止めは可能だろう。職員の能力を知り尽くしている力也にはわかる。


 せめて、サラや雪也などの他のメンバーがこの事態に気付くかどうか。

 かくいう力也自身も防衛としての任務を放り出して田部の計画阻止のために行動していることの後ろめたさはある。今頃指揮系統を失ったフラクタル防衛チームは混乱しているだろう。緋鳥から別れのメールが届くまで半信半疑だったが、実験に乗じて襲撃されたことで、力也は実験室に足を向けたのだ。もしかしたら誰かが臨時にリーダーを務めているかもしれない。


 力也は息を吐き、目的をひとつに絞った。すべての元凶である田部六連、彼の陰謀を世間に開示する。


「無駄な抵抗はしない方が身のためだ。自首と逮捕、どちらを選ぶ?」


 アイネンは珍しくミアプラの荒々しい方針ではなく、あくまでもジオメトリに一任する方針を取った。情報は入手できたのだ。後は諸悪の根源がどのような末路を送ったとて興味が湧かない。それに力也へのわびも兼ねていた。


「君たちは悔しくないのかね。起源所持者というだけで畏怖と尊敬の眼を同時に向けられ、社会的地位は不安定。――― その社会を変えたいとは思わないのかね」

「変えたいとは思っている。しかし、あなたのやり方は人の犠牲と憎しみの連鎖を生むだけだ」

「貴い犠牲だよ」

「いや、ちがう。あなたは社会のためと建前上の理屈を並べて、個人の利益のために人を利用していたにすぎない」

「・・・・・・ 力也、あの男になにを言っても無駄だ。とっとと逮捕しろ。現行犯逮捕だ」


 アイネンはやり取りを見守っていたが、田部に反省の色がみられないと悟り自主の道が絶望的だと感じた。田部に選択の猶予を与えるなど、アイネンもどこかに甘さがあるのだ。


「う、うごくなあ!」


 力也が動こうとすると田部はなにかのスイッチを懐から取り出すと、目の前に掲げて叫び声をあげた。なんのスイッチなのかわからず身体がフリーズしてしまう。


「このスイッチを押せばガラスの向こうのガキは一生目覚めなくなるぞ」


 田部のひと言に緊張が全身を貫いた。

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