第36話 ヒーローだから!

―――――― 十年前――――――



「おじさん、どこに連れて行くの?」


 少年、蒲水かまみず響希ひびきは迷子になっているところを偶然居合わせた男性に助けてもらっていた。母と大型ショッピングモールに買い物に出かけているところ、響希がひとりでにおもちゃコーナーに行ってしまったことが原因だった。

 母と会えずにオロオロしていた響希に優しく接し、母が見つかるまで一緒にいてくれると申し出てくれた。


「おじさんの、家みたいな場所だよ」


 その人は響希の手を引いて歩き始めた。


 このときの響希には、知らない場所に連れて行かれることによる得体の知れない恐怖よりも行ったことのない場所に行けることへの期待に心引かれた。子どもがひとりで出歩ける範囲はたかがしれている。柔和なこの人ならきっと母に会えるだろうと疑うことをしなかった。


 やがて堂々とそびえ立つ建物が視界に入る。


 響希が見上げようとするとひっくり返ってしまうほどの高層の建物だ。白塗りにされたそれは日の光にギラギラ照らされて眩しかった。

徹底に警備が張り巡らされ、指一本も触れさせない威厳を醸し出す建物が抵抗なく男を迎え入れている様をみて、『凄い人』だと認識した。


田部たべ先生!これはまずいですよ」


 ある一室に入るなり、比較的若い男性が声を挙げた。背後の女性も真っ青になって男の人に訴えていた。


「仕方ないだろう。実験するには被験者が必要だ。一般に募るわけにもいかなかったから、児童を拝借するしか方法が思いつかん」

「何かあったらどうするんですか!それにこの子に万が一のことがあれば、フラクタルがどうなるか・・・・・・ 」


 伊弦いづるの語尾がすぼまってしまったのは思考を停止させたかったからであり、失敗すれば自分の命も危くなると知っているからだ。理論上では成功するであろう実験を自らでテストする恐怖は抑えきれない。


 けやきは視線を隅で遊戯にいそしんできる女児に向けた。田部六連が誘拐してきた児童は先程連れてきた子を含めて計二名。実験はどうにかなると言ったきり外出してきた田部が女の子と手をつないでいる場面を目撃したときは、言葉が出なかった。

 しかし止める勇気が出ず、ずるずると計画に加担することになってしまった。というより、数日前から瀬魚伊弦と橙日けやきは田部六連によって研究室に幽閉されており、身動きを封じられている。逃げ出すことも助けを乞う隙も与えない周到な対策が施されていた。


 怪しげな計画だと知っていながら首を突っ込んでしまった結果がこれであり、巻き添えをくってしまった子どもたちにせめて害がありませんようにと願わずにはいられなかった。


「ちょっと眠っていようね」


 田部はつないでいた男の子に流れるような手さばきで薬物を注射した。くたっとした身体をベッドに横たえ、隅にいた女の子にも同じようにして運ぶ。


 次は自分たちの番なんだ。


 ただでさえ拘束されていた身体は、けやきが瞑目すると同時に深い暗闇へと堕ちていった。


――― もう、目覚めることはないのかもしれない。


 けやきは最後にひとつ、それだけを考えていた。

 詩内しない美空みそら松良まつよし力也りきや、サジ・アイネン、麻衣あさぎぬまいな、浮舟うきふね緋鳥ひどり――― 大好きな人たちひとりずつに謝る。

 恋人である伊弦も同じ心境だろう。



 私たちは好奇心に勝てず

  禁忌に手を伸ばした

   馬鹿な人間だ



 誰かの叫び声が耳に反響している。語気を荒げているのだろうが、ぼんやりして聞き取り辛かった。脳が正常な判断をしていないようだ。

 視線を彷徨わせるとかろうじて見える視界に見知った姿が捉えられた。伊弦だと認識し、自分はまだ生きているのだと理解した。彼に寄り添っているシルエットは風体からして美空先生だろう。


 もう一度視線を戻すと、今度は叫び声を上げている人物が誰であるのかようやく認識できた。

 血で衣服が染め上げられており、そしてその血はけやき自身のものだった。


(力也君・・・・・・ )


 口を動かしたが声がまともに出ていないらしく、耳を近づける彼にもう一度名前を呼んだ。


「しっかりろっ!今救急車を・・・・・・ 」


 力也はうっすらと目を開け、自分の名前を呼んでいるけやきに気付き、必死になって声をかけ続けた。涙で視界がにじんで訳も分らなかったが、構わなかった。友人の無惨な状態に胸が張り裂けそうだった。


「どう・・・・・・ して、ここに?」

「緋鳥がっ・・・・・・ 教えてくれたんだ・・・・・・ 伊弦とけやきを救ってくれって。――― 自分じゃどうしようもないからって・・・・・・ 」


 力也は詰まりながらも、聞こえるようにゆっくりと、かみしめるように説明した。早く救急車が来てくれと祈るばかりだ。


「伊弦、は・・・・・・ ?」


 力也が息を呑んだ。


 どう言えば良いのか困っている様子が曇った視界からでも確認できた。彼は嘘をつくのがとても下手で、正直者だから傷つかないように考慮しようとしているのが伝わってくる。


「子ども・・・・・・ を・・・・・・ みなかった・・・・・・ ?」


 もう自分の命にもリミットが迫ってきていると直感が告げていたので、自分のなすべき事を果たそうと別の話題を振った。以前、伊弦とけやきで内密に交わした約束を果たすために。


「いるけど、あの子たちには傷ひとつないよ。それより――― 」

「私を、あの子たちの・・・・・・ もと、へ・・・・・・ 」

「――― 力也、手伝うわ」


 自分の申し出に決断できないでいる力也に女性の声が加わった。やっぱり伊弦の側に寄り添っていたのは美空先生だったのかと確信を得ると、無性に泣きたくなってしまった。


 自分の身体が持ち上がる、浮遊感を肌に感じる。ふたりはけやきが辛くならないよう、ゆっくりと運んでくれた。けやきは閉じてしまいそうになる眼を必死にこらえていた。一度閉じられた眼は二度と開かれることはないだろう。


 横たわっているふたりの子どもは田部六連の実験計画『起源継承』の犠牲者だった。


 現在における《起源》唯一の問題点、それは誰もが皆、思考出力装置ソウル・アウトプット・デバイス――通称《出力装置アウトプット・デバイス》を介して、起源発動に至れないという点だった。相性があるのは周知の事実だが、それを

受け入れるのとではわけが違う。


 起源の発見は近代まれにみる世紀の大発見であり、未知の世界なのだ。いまだ解明されていないことの方が大半で、統制が取れず、様々な憶測に対処できないのもまた必然で、これでもかと頑張っても起源所持者の数は少数派であって、よって秩序の乱れが生じてしまっていた。


 この問題を何とかして解消できないか、つまり皆が起源を発動可能となれば根本的な問題が解決されるのではないかと田部六連は考えたのだ。彼も起源を持たない一般人であったことも理由としてあったのだろう。


 と、そこまでの考えの基、研究を行おうとしていたのは賞賛に値する。


 しかし、研究を進める段階で彼は私利私欲のために利用する道を選んだ。珍しい起源を自分のものとし、変幻自在に操る術を確立させようとした。


 研究に研究を重ね構築した理論は成功すると踏んでいたが、田部六連は臨床試験もなしにいきなり自分が実験台になるのをためらった。自信があったとはいえ直前になって怖じ気づいた。


 だからこそ自分ではない被験者が必要だった。


 だが、田部六連率いるフラクタル研究員には『起源継承』に反感を覚えている者がいると知っていたし、ましてや参加していた瀬魚伊弦と橙日けやきの先人は頑固に反対の意思を崩さない詩内美空だ。同士だけの共有に留めておいた方が吉と出ると考えた。


 美空先生にとって彼らの行動はお見通しだったのだが、自分が血まみれで事切れそうな今できることはひとつしかない。


 実験が成功しているのか定かではない。


 詩内美空と松良力也の突然の訪問。生じた惨状を内密に処理できないと判断した田部は、瀕死の伊弦とけやき、児童二名を残して実験室をあとにした。その際実験に加担した数名を射殺した。


 この実験に田部六連は関与していない旨を刻み込ませるため、腹心以外を首謀者として仕立て上げた。実験の成果は彼らの責任を取る形として後に児童二名の経過観察を行えば自然と結果を知ることができる。それが苦し紛れの見立てだ。


「・・・・・・ ごめんね」


 無防備に眠りについているふたりの髪をなで、額に手をかざし、力を振り絞って《封印》を発動させた。


 ふたりには愚かな実験の犠牲者として、これからの人生を歩んでほしくなかった。


 もし、今回のことが記憶として残されてしまっていたのなら、今後トラウマを抱えていきていかなければならないのは可哀想だった。


 この子たちにはこの子たちなりの人生がある。

 決して私利私欲のために利用されることはあってはならないのだ。


 けやきの起源では相手の記憶をピンポイントで消去することは不可能なので、今まで生きてきた記憶のすべてに蓋をしてしまうことになってしまうが、そうでもしないと仮に成功していた場合が恐ろしかった。


 けやきと伊弦は直前になってある仮設に行き着いていた。


 もしかしたら《起源》の源は《記憶》なのではないかと。


 起源が記憶に起因するものであれば、個人のアイデンティティなるものを他人に植え付けるのは正気の沙汰ではない。個人であるはずなのに個人でなくなる、自分の魂のなかに誰かの魂が浸食される、というのは血の気が引く思いだった。


 だから生き延びられたら、記憶に蓋をしようと伊弦と約束を交わした。


 そして運良く《封印》の起源所持者であるけやきが虫の息でも生き残り、最後の役目を成し遂げられた。


(――― 私じゃなくて、伊弦が生き残ってたらどうしたんだろうなぁ)


 そう思うと涙と笑みが自然と同時に出てしまっていた。泣き笑い、というやつだ。これから自分は一足先に逝ってしまった大切な人の元へ向かう。


「大馬鹿者だ、君たちは」


 美空の声に力なく「はい」と応えた。


「せん、せい・・・・・・ に、は・・・・・・ お見通し、でしたね・・・・・・ 」

「わたしが知らないとでも思っていたのか。・・・・・・ ごめんなさい、手を差し伸べるのが遅れてしまったわ」

「いいえ」


 誰にも相談せず、一線を越えるような計画に助成したけやきが受けた仕打ちにしては、最後の最後で恩師と友人に看取られる幸運に感謝でいっぱいだった。


(――― わがままを、言ってもいいですか?)


 けやきは自分の運が尽きてしまう前にどうしても頼みたいことがあった。話せるだけの余力をまだ残してくれた幸運の神様とも呼べる存在、虚空に、返事を求めない問いかけをした。これはけやきが満ち足りるための自己満足だ。


「力也、なにがあっても・・・・・・ この子たちの未来を、守って――― 」

「うん、約束する。だから――― 」

「――― ありがとう」


 力也は必死に握っていたけやきの手から力がなくなっていくのを感じていた。彼女の閉じられた瞳から一筋の涙が零れる。そして直後、彼女の頬をぬらす大粒の涙が覆った。


「力也、ここを離れよう」


 美空にそういわれるまで、力也は一度に友人をふたりも失った衝撃を受け入れられず、声がかれるまで呼びかけていた。我に返ると焦げ臭い匂いが充満していることにようやく気付く。


 田部一味は証拠隠滅のために自分の研究所に火を放ったのだ。


 急いで脱出しなければ、施設もろとも力也たちまで灰と化してしまう。


 力也はけやきと伊弦を連れて行くべく肩に担ぎ上げようとしたが、それを美空に遮られた。


「馬鹿者、生きている人の救出が優先よ。伊弦とけやきは後回しにしなさい!」

「でも!」

「未来を守れと約束したんでしょう!この状況で四人も連れて脱出なんて不可能よ。建物全体が崩壊しかけてて、お荷物連れて動くこと自体が危険だってわかってるでしょう」


 こうしている間にも瞬く間に火の手は迫っている。考える時間も惜しかった。


「この子、頼んだわよ」


 美空は男児を力也に渡すと女児を抱え上げて精一杯廊下を駆け抜けた。いわなくとも力也は渋々ついてくるだろう。


 運動神経皆無かつインドア派の美空は早々に息があがっていたが、鞭を打って足を進めた。煙を吸い込み、咳き込みながらも一目散に出口を目指した。

力也も一呼吸おいてようやく美空の後に続いた。倒れてきた柱があれば力也が《強化》で吹っ飛ばし、アシストする。


「ここどこ?」

抱えていた子どもが目を覚まし、迫り来る火の手に怯えて力也の服にしがみついていた。伊弦とけやきが守りたいと願った子。


「お兄さんに任せておけば、心配ないよ。・・・・・・ だってボクはヒーローだから!」


 力也は涙に濡れた顔で笑顔をつくってみせた。とても窮地に登場する英雄とは思えない風貌でも、彼らにとっての救世主であろうとつとめた。


 どうにかして脱出し、振り返ると建物全体に火が蔓延していた。残していった瀬魚伊弦と橙日けやきの身体はとうに焼かれてしまっているだろう。


 力也はその場に崩れ落ちた。待機していたマーニャが駆け寄ってきて身体を支えようとするのを振り払い泣き伏した。


 ずっと今のままでいられると思っていた。


 馬鹿をしていた毎日が、楽しかった。


 それが思いがけない形で崩れ去ったのだ。


 ずっと、永遠に――― 詩内教室にいるみんなと研究員として生きる未来は実現されない。




 詩内美空、瀬魚伊弦、橙日けやき、サジ・アイネン、麻衣まいな、浮舟緋鳥―――――― 松良力也。




 

 この六人が、以後集うことはなかった



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