第34話 決別の時

 予想通り日没から数時間が経過し、本来今頃であれば寮について一息ついているであろう実現されなかった未来の自分を想像しながら、せつは現場検証を終えたことに対して息をついていた。


「結局許可が下りたのが日が暮れてからで、今の今まで現場検証。それも証拠となりそうな痕跡なし。警察に情報開示を求めても固辞されて証拠なし。――― なし、なし、なし」


 ジオメトリに用意された簡易休憩所のような場所(隔離テントだろう)のパイプ椅子に乱暴にもたれながら、雪也は吐き捨てた。そろそろ、無駄足だとわかっていてもなお駆り出されなければいけない身にもなってほしい。ジオメトリが来る前に警察側が現場検証したり、鑑識が証拠品を持って行ってしまっているのだから、調査するこちらがばかばかしくなってくる。


 思った通り合同捜査とは名ばかりで、ジオメトリに詮索されたくないと間接的に主張されているようなものだった。


「せめて警察側が掴んでいる情報を提供してほしいものね。ジオメトリは強制的に警察側に情報を開示する義務があるのに、こちらには強制権がない。不公平ではあるわね」


 サラが雪也に反応を示した。雪也のこういった愚痴にいつも返答してくれるのは先輩であるサラだけだ。


「だったら、先輩が上に掛け合って話を取り付けてくださいよ」

「無理言わないでよ。現場の指揮権は十柄さんで、わたしはロマネスコ所属のあなたの先輩が取り柄よ?指揮権もなければ一介のメンバー」

「今回の指揮権が十柄さんなのはたまたまで、こういうときのリーダーを先輩がやっているときがあるの、実は知ってますぅ」


 雪也は首をだらんとした姿勢のまま、先輩に取る態度とは思えない口調と態度で接した。気が立っている現場をより煽るような所作だ。しかし、誰も気にしない。というよりそうでもしないと業を煮やしてしまうのを皆知っているからだ。口にせずにはいられない、でも口に出すことがためらわれる。それを雪也が代わりに代弁しているに過ぎない。皆共感の嵐で、それを頭に入れた上でサラも対処している。


 ちなみに指揮権を持っている十柄とつかさんの統率力がないと言っているのではない。彼女もサラ同等の実力があることはお墨付きなのだ。本当にたまたま、サラに指揮権がなかっただけ。そして誰が担当しても終着地は同じだ。だから彼女の能力を責めているのではない。


「でも、潜入捜査とかの分野ならジオメトリに有利なのは確かだわ。彼らに隠密行動は不適任よ。むしろ邪魔ともいえる」

「そうっすけど、あっちは起源所持者を不死身の大魔神と勘違いしてるんじゃないっすか?」


 サラは苦笑でかえした。


 雪也の言い分はジオメトリからするともっともだ。


 そこへ萌奈もなが割って入る。捜査に進展がみられたのだろうかと僅かに期待が膨らんでしまう。


「ごめんなさい。また向こうの返答待ち」


 一同が一斉に落胆した。


「埒があきませんよー。気付いたら夜明けとかあり得るんじゃないですか?――― というか何をそんなに渋っているんですか、警察は」


 雪也は再度椅子に腰を沈めかけたとき、ふと疑問になったことを口にする。


 てっきり現場検証することだけが任務だと思っていた。事前に聞かされていた内容から鑑みるに、証拠となりそうな映像の復元だったり、目撃者の証言を取るといったごく簡単なことをやるものだと思い込んでいた。十柄さんの言われるままに素直に従い過ぎて、何かを見過ごしているのではないかと疑念が生じた。


 一応形だけとはいえ、現場検証といった内容はこなしたのだ。待機なんてしないで帰路についてもよいのではないか。

 どうせリーダーの松良力也はそのことを見越しているはずだ。証拠品も見せてくれないとなれば彼は文句を言えないだろうし、一刻を争うのであればリーダー直々に直談判しに行くだろう。

 

なにかがおかしい。


「任務事態、これ以上は無意味だとわかっているはずです。もしこれが警察側ではなくあなた個人の判断で、警察をたてにここに待機させているのだとしたら・・・・・・もしかして十柄さんはリーダーから何か言伝でも貰ってるんですか。だから任務を終えられず、俺たちは現場に残るしかない。――― なにを考えているんです?」


 雪也は気付けば腰を浮かせ、畳みかけるように萌奈に詰め寄っていた。


「・・・・・・ 秘密よ」


 雪也は目を細めた。紛れもなく真実を口にしているのか、吟味する。彼女の秘密という言葉はリーダーとだけ内密に交わした任務を指しているのではあるまい。だったらリーダーに課せられた極秘任務と言えば伝わる。

 加えて、教えられないのなら自分たちをフラクタルへ帰して後に、自分ひとりだけ警察に掛け合えば済む話だ。


 これではまるで・・・・・・


(――― まるで、俺達をここに足止めしているようにみえる)


 もちろんこの推理は雪也の憶測でしかないし、足止め事態がリーダーの指示という線も、はたまた警察側の指示だという可能性もあるかもしれない。秘密の内容がそれなのであれば、従うべきなのだろうが、嫌な予感がざわめいている。


 あまり十柄さんと合同捜査することがないからか、彼女の指示を真に受けることに抵抗がある。雪也のなかにデータとして蓄積されていない。他の皆は彼女の行動に疑問を抱くことがないのか。雪也は先輩であるサラを見る――― 目が合った。サラは先程から雪也を見ていた。


 サラはひとつ頷くと、組んでいた腕をほどいて萌奈に向き合った。


「十柄さん、なら我々は早々にリーダーに報告すべく引き上げます。これ以上の捜査は無用でなりません。残るは警察側との交渉のみとなれば、後日でも心配ないでしょう?」


 雪也はサラが見方についてくれたことにほっとした。

 出過ぎたマネをしていることは自覚していたので、あれこれ文句を言われてしまえば反論できない。しかし、少し考えてみれば異例の事態だった。


「あなたたちをフラクタルに帰還させるわけにはいかないの。これはリーダーからの命令でもあるの」


 ついに萌奈は観念したように事情を説明した。松良力也の命令となれば皆従わざるを得ない。

 

 一同は嘆息して諦めモードに突入した――― が、


「了承しかねます。ジュリアと連絡を取ってリーダーから詳細を聞き出させてもらいます。俺たちの任務は先のテロ事件の早期解決のはずです。事件を差し置いてまで、俺たちを留まらせることの必要性を求めます」


 雪也は胸のざわめきが抑えられず、なおも食い下がりまくし立てた。フラクタルは重要な研究施設であり、こんなに防衛チームが出払うことはまずない。大本はフラクタルのためにあるジオメトリという組織なのだ。これでは本末転倒だと言って良い。――― この女、信じられるのか?


「私からも極秘任務の開示を求めます。十柄さん、あなたを信用しているつもりなの。例外的な捜査が立て続けに生じているから、どうしても神経質になってしまう。あなたの口から言えないのならジュリアにリーダーとの間を取り次いで話を聞くわ」

「・・・・・・・・・・・・ 」


 長い長い沈黙。

 雪也はこの場のすべてを冷凍処理してしまえると錯覚するような、冷徹な瞳でただ萌奈を見据えていた。サラも真意を測るかのごとく無感情なまま彼女の言葉を待っている。


 萌奈は俯き顔色がうかがえない。


「くっあっははははははははははははははは――― !」


 一同が緊張に包まれた。


 雪也もサラも萌奈の豹変した姿に硬直して身構えてしまう。肩を震わ

せたと思いきや、ひとりでに嗤いだしたのだ。今までの彼女からではない、狂喜に満ちた嗤い。


「そう・・・・・・ そうよねぇ。だから私には重役だと思ったのよねぇ。雪也君にサラを出し抜いて足止めなんて関係の薄い私では、難行苦行しなければ完遂できない。ジオメトリの内情の核心に近い人物ほど、この手の偽りはすぐもろいも同然に打ち砕いてしまう。付け焼き刃ほど怪しいものはないものね」


 萌奈は独り言のように自己完結出す。


 一連の様子を観察して雪也は疑いが確信へと変貌した。十柄萌奈――― 彼女はジオメトリにとって悪だ。


「――― ジュリアと連絡を取っても良いわよ?連絡がつくなら、ね」


 雪也は、はっとして無線越しに応答を求めた。


【――――――――― 】


 いくら待っても応答しない。とっさに妨害電波が張られていることを視野に入れたが、そういった類いではないようだ。ジュリア側が応答を受け付けていない状態になっている。自分たちの知らないところでフラクタルが脅威にさらされているのだ。


「あなたは、何者ですか?」


 サラが冷静に問うた。

 雪也の先輩は十柄萌奈と付き合いがそれなりに深い間柄であると、多少は知っている。彼女の裏の顔を前にしても皆目感情を見せず、事実だけを欲していた。


べに檜皮ひわだ、それだけ言えば理解してもらえた?」


 萌奈は隠す必要もないのかすんなり所属先を明かした。


 雪也は驚愕した。ジオメトリ所属の人間がまさか敵組織の一味だったとは、とんでもない失態としかいえない。


「そう・・・・・・ 十柄さんはジオメトリにスパイとして送り込まれてきた敵組織の一員。ジオメトリ所属の際は、徹底的に身辺調査が行われるはずなのに、それもパスしたのは・・・・・・ 」

「情報なんて、いくらでも改ざん可能でしょ」


 あっさり手の内を明かし始める萌奈に返す言葉がみつからない。サラも唐突に現れた敵を前にして、正常な判断力が失われていた。


 そのときだった。


 爆発音が闇夜を裂くよう轟いた。


「おい!なんだあの煙は」

「あの建物、フラクタルじゃねぇか‼」


 雪也は爆発音と近隣の人の声で我を取り戻し、自らに断を下した。フラクタルへひとりでも向かう。椅子を蹴り倒しながらも、萌奈の隙を突いた態勢のまま出口へ突進する。


「行かせるものものかっ!」

 

 それでも萌奈は一足先に唯一の出口を前にして、雪也に立ち塞がった。動こうものなら狂いなく拳銃を発砲する構えをしていた。


 しかし雪也は状況に甘んじるつもりはさらさらなかった。《冷却》を拳銃に発動させ、凍らせて使い物にできなくする。そしてそのまま萌奈に向かって驀進した。

 勢い任せで拳を突き出し、受け止められるや側面を蹴りで吹き飛ばす。だが、それも先読みされていたようで彼女はすまし顔をしている。


「――― くっ」


 雪也は今更ながら、体術を面倒くさがって適当していたことを悔やんだ。起源任せの粗削りの戦闘ばかりが染みついていて、人に起源を発動しないのは根気がいるのだということを初めて知った。・・・・・・ 響希め、こうさせたのはお前だぞ。

 そして今、自分だけでは太刀打ちできない相手だと悟った。そう、自分だけでは。


「後ろがお留守よ!」


 サラは雪也に気を取られている隙に萌奈の背後に回り、拘束しようと試みる。この場でむやみな殺生は得策ではない。内輪もめが知れ渡れば後々厄介だ。

――― ここで落とし前を付ける!


 満場一致で意見が合意された。


 気付けばテロ人員として派遣されていたジオメトリの皆が彼女の計画を阻止するべく、立ち向かおうとせめぎ合っていた。


 ジオメトリは訓練された、決死の部隊である。


 いつかリーダーはそんなことを口にしていた。起源を保持し、その力を守るために使うために立ち上がった者たちの集団。その意思と勇気があると実見してからジオメトリとして所属可能かさらにふるいに掛けられる。

 今、肯認されたはずの仲間が反逆を企てようとしているという現実に、真っ向から片を付けようと心に刻み込んだ仲間たちが、反逆者――― 十柄萌奈に肉薄する。


 雪也はそんな仲間のアシストを頼ろうと思った。

 頼ることは信頼をあらわすものだとようやく気付かされたから。


「往生際が悪いのねっ!おとなしく指示に従っていればあなたたちはフラクタルの真実も知らされず、甘い汁をすすって今まで通り暮らしていけるのよ‼」

「そんな風にのうのうと生きたいと思っていたら、誰もジオメトリに所属したいなんて思ってないっ!」


 萌奈はサラや他の仲間の攻撃を容易く受け流していく。こればかりは経験値に差が出ている。サラ・ アンジェラはテロチームのなかで油断できない存在だと警戒していたが、期待を裏切ることのない動きで萌奈を牽制しに掛かってきた。


 萌奈は意に反して笑みを浮かべてしまう。


「なにがおかしいのよっ!」


 サラは激情に任せて仲間だった相手に問いを投げつける。


「だって・・・・・・ わたしはあなたたちのために足止め役を引き受けているのに、何でもかんでも自分の正義が正しいと思い込んでわたしを悪役に仕立て上げようとしているじゃない」

「わたしたちの・・・・・・ ため・・・・・・ ?」


 言っている意味が理解できず困惑しているサラ達に対して、萌奈はわがままな子を諭すような口ぶりで言葉を発した。


「犠牲者を最小限に抑えるための役回りなの。それがわたしたち、ミアプラと紅檜皮が導き出した結論」

「なら、ジュリアと連絡がつかない理由を言え」


 雪也は全身の毛を逆立てながら、湧き出す怒りを抑え込む。


「一斉起爆に巻き込まれでもしたんじゃない?ジュリアの執務室がある場所は爆弾が近くにあるから。連絡がつかなくなった時点で察したけど、多少の犠牲は計画の範囲内よ」


「ふざけるなっ‼」


 雪也はそう言い、彼女の足下に起源を発動して凍らせ、力の限り萌奈を殴り飛ばした。拳から伝わる衝撃を感じ取る暇もかけらもなかった。麻衣さんに最近響希経由で仲良くなった雷越らいこし・・・・・・ 顔が浮かび上がっては消えていく。


 密かに誓っていた、人に対して起源を発動しないというルールを反故してまで、こうせざるを終えない感情が奔流していた。


 しかし次の刹那、雪也の瞳は驚愕に見開かれていた。


 確かにこの手にある人を殴ったときに感触を弄ぶかのように、十柄萌奈だった実態が霧散して消えていってしまう。


「な・・・・・・ に・・・・・・ ⁉」


 最初からいなかったとでも言わんとばかりにその存在は消えてなくなってしまった。


「なるほど、最初からこういうカラクリだったのね・・・・・・ 」


 サラは怒気をはらんだ声で溜息をついた。


「今頃本物の彼女はフラクタルで任務遂行中ってところかしら」

「クソがっ‼」


 雪也は足下に転がっていたパイプ椅子をあらん限りの力で蹴り上げた。ガシャンと音がして、椅子はひっくり返った。


 つまり彼女は端から自分たちを留めておけないとわかっていたのだ。だから起源のダミーを用意して、気付かなければラッキーとしか考えていないに違いない。これで、あっさりやられたのも合点がいく。


 手のひらで踊らされていたのだ。彼女の方が一枚上手だったとしか言いようがない。


「くよくよしている暇はないわ。直ちにフラクタルへ向かいましょう!」


 サラは雪也に発破をかけ、それから残るメンバーに指示を下した。


 雪也は皆気持ちを切り替えフラクタルのある方向へ、全力で駆け抜けた。先を駆けるサラの背中をただひたすら追い続けながら。サラはリーダーとしての才覚にあふれていることを今更ながら再確認する。自分だったら、瞬時に適切な判断が下せるかどうかわかったものじゃなかった。


 だが―――――― (これは明らかにリーダー松良 の采配ミスだろうがっ‼)


 雪也は内心全力で叫ぶ。


 十柄萌奈が紅檜皮と内通していたと見抜けていない時点で、ジオメトリが攻め落とされるのは時間の問題だ。こちらの行動が組織に筒抜けだったのなら、手薄なフラクタルを襲撃するのに今ほど絶好の機会はない。


 ジュリアの連絡が途絶えた以上、これからは自分で判断する必要がある。間接的なやり取りは致命的になってしまう可能性大だ。


 フラクタル防衛チームにリーダーはじめ、精鋭が待機しているのは周知のことだが、現状目的がわかっていないので油断禁物だ。鉄壁とも言われるリーダーがミアプラ相手に後れを取るわけがない。自分の荒い息づかいが身体の奥深くから感じ取れる。しかし焦っている、と認識するくらいに雪也は冷静だった。


(一秒でも早く、辿り着くんだっ――― ‼)


 ただそれだけを願って、雪也は狂気の様相で自らを鼓舞するのであった。

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