第32話 裏の言葉
ウェイターから渡されたグラスを手にしたところで、
「
一瞬誰のことなのか頭が追いつかなかったが、堅一というのは響希が使用している偽名である。これはリーダーが麻衣さんに作成してもらった偽装ID カードのなかのひとつ。ご丁寧にリーダーはそれぞれのID カードを誰が使用するかまで指定してきた。そして響希が使用しているカードに記載されてあった偽名が
天水堅一という名前のID カードを渡された際、メンバーに笑われたのは別の話として位置づけたい。
「おまえっ、確かに苗字は韻を踏んでるし、ケンイチって!あっはっは~~~。っていうかリーダーセンス良すぎ問題っ」
エリックは腹を抱えて涙まで流して笑いこけていた。
「東雲さん、今宵はパーティーに招待してくださり、ありがとうございます」
「ぜひ、楽しんでいってくださいね」
【異常はないかな?】
【現状、不審な行動を取る人物もパーティー自体も、何事もなく進行しているようですね】
表向きは知り合い同士の世間話。しかし《交信》によって、言葉の裏ではまったく世間話とは思えない会話が交わされている。
【何事もないように見えて、実は裏で取引が行われているのかも。私たちが立ち入れなさそうな場所、何カ所か発見した】
【厄介だな。どう捜索すべきか】
【まだ誰も出入りしていないから様子見した方がよさそう】
【了解】
ここから先はアドリブ力が試される。不自然にならず、いかにパーティー客になりきれるか。そもそも現場を押さえるための手段すらままなっていない。臨機応変な対応が求められる。
表向きは有名人たちの親睦会。裏では違法
眼前にいるお偉い様方のなかに、黒く染まった人達が紛れ込んでいる。響希には招待客の偉大さがまったくわからない。疑えば疑うほど、どの人物も黒く染まっているように錯覚してしまう。
「失礼。東雲さんのお連れの方のひとりでしょうか?お名前をうかがっても?」
「天水堅一と申します。――― 以後、お見知りおきを」
あくまで紳士的に、そして余裕を持った態度で接する。話し掛けてきたのは、女性だった。
「天水・・・・・・ 耳にしたことのないお名前ですが、何をしているお方なのかしら?この親睦会にはどのように?」
しまった、と響希は内心焦った。身の上の設定は何も考えていなかったので言葉に詰まる。どう答えれば正解なのか、疎い響希には難解だ。
「東雲さんの弟子のような存在として彼と側に置いてもらっています。将来、起源とどのように付き合っていくのかを、彼を通して学んでいるところなのです。この親睦会には、他の方々の意見を聞く良い機会だと、東雲さんが招待してくださったのです。――― 申し遅れました、わたくし花咲あかねと申します」
楓がすかさずフォローを入れる。息を吐くように嘘を並べる彼女に感服した。とてもじゃないが、自分にはできそうにない。
「あら、ごめんなさい。名も名乗らず――― 」
「ゾーイ・ブレット、若くして名を馳せた女性実業家。ここの参加者には、名を知らない人はいないのでは?」
自分たちが無知ではないことを証明するために、楓は言葉を遮る形で名前を口にした。
「確かにそうね。でも、そこの坊やは私のことを知らなかったみたいよ?」
「彼は世間に興味が持てないので。勘弁してもらえると助かります」
響希は名前を名乗ったはずなのに坊や呼ばわりするということは、あたかも参加する人間として経験を積んで出直してこい、と言っているようなものだった。
「そうね、あなたは面白いわ。ゆっくり話したいところだけれど、あいにく少し席を外す予定があるの。またお会いできたらお話ししましょう」
そういうと、ゾーイは去ってしまった。
響希は今更ながら、あらかじめ予習するべきだったと後悔した。最近若干抜けている部分があったので、裏目に出るとは思ってもみなかった。
【後悔なら後にして、しゃんとすること。・・・・・・ あのゾーイとか言う人、マークしておいた方が良いよ。さっきからジオメトリの潜入メンバーに話し掛けに行ってる】
響希の表情を読み取り、楓は響希に熱を入れ、それから違和感を伝えた。楓は社交の場であると理解していたので事前に嘘を用意していた。響希は嘘をつくのは苦手だろうし、こういう仕事は自分の役目だとも自覚していた。実際役に立ったので、用意しておくに越したことはない。他のメンバーも対策はしているだろう。潜入メンバーで唯一響希だけが新人なのだ。
そしてゾーイ・ブレット。彼女は不自然な動きをしていた。一番始めに彼女は東雲清治に接触していた。初めは挨拶でもしているのだろうと流していたのだが、その次にエリックに接触を試みていた。その次に紺良鈴。ことごとく目にしたことのない人達に探りを入れているようにとれる。
となると、誰かから私たちを招待したのが誰なのかを始めに聞き出し、その本人東雲清治を試しに揺さぶってみたということになる。かなり観察眼も鋭いと判断できる。
ただ、これはすべて憶測に過ぎなく、事実を裏付けるものは何一つない。強いていうならカンである。刑事のカンとまでとは言わないが胸騒ぎがあるのは確かなのだ。
【総員、ゾーイ・ブレットの動向に警戒】
楓が全員に指示を飛ばしたそのとき、会場の照明が落ち視界が一面闇に閉ざされた。
同刻。
サジ・アイネンと
武巳がある一室の前で立ち止まったので、最初の場所に到着したことがわかる。
「セキュリティルームはここか」
セキュリティルームを占拠し、サーバーをハッキングしたら、後は仲間と別行動を取る予定になっている。アイネンと武巳のふたりだけがより深層に切り込むつもりだ。むやみやたらに犠牲者を出したところでこちらの状況は変わらない。なら最大限ダメージを与えつつ、こちらの組織の被害は最小限に抑えるべきだ。
考え抜いた末、この自殺行為にも似た計画の指揮官にアイネンと武巳が必要であるという結果になった。内部構造を熟知しているのはアイネンだし、起源の能力で言えば武巳がトップの出力を保持している。
あちらの足止めは赤星が彼女に一任した。最初こそ渋っていたが、説得して折れてもらった。
アイネンは一連の様子を見ていて、紅檜皮と協力関係を築いていて正解だったと感じていた。ミアプラにはリーダーと言えるメンバーが存在しない。アイネンがリーダーとして先導していたが、そもそもリーダーとしての気質に値しないことを痛感していた。
ミアプラには同士が集結しても、それ以上の関係はなかった。
対して
その間柄が羨ましくもあったし、同時に懐かしくもなっていた。昔を思い出しているみたいで。
だから武巳は自分たちから離反しあまつさえ、非道な行為を繰り返していることに憤りを覚えているのだ。――― 紅檜皮の名を汚す行為をしていることに。
真実を聞いたとき、持論だけを頼りにしていたアイネンは恥ずかしくなった。もっと耳を傾けるべきだと反省した。
すべてが終わったら、
お互い思いをぶつけ合ったときが、ようやくわかり合えると今なら理解できる。
――― そうだろ?力也。
アイネンはどこに潜んでいるのかもわからない、力也に問いかけた。
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