第29話 解除と封印

「いーくん、皆に黙ってこの計画に参加して、危なくないかなぁ」


 けやきの不安そうな声は、言いつけを破って後悔している子どものそれだ。


「俺とけやきが特に興味のある分野だったし、詩内教室以下ほとんどの教室でもこの実験に参加しない可能性があるって他の研究室の弟子が口々に噂してた。お邪魔して危険だと判断したら断るのでも遅くはないよ」


 づるは怖がるけやきを宥める言葉を口にしていたが、けやきの本心は危険を承知で研究に参加したいという思いがあることを知っている。


「俺ひとりで話を聞きに行っても良いんだけど?」


 けやきに軽く意地悪すると、予測通り頬を膨らませて抗議の声を挙げた。


「もうっ、私が念のための確認をしていることは知ってるでしょ⁉いっつも、いっつも、いーくんは意地悪ばっかり!」

「ははっ・・・・・・ でも、力也達には知られるわけにはいかないよな。・・・・・・ あいつら確たる証拠もない危険な研究に手を出すことに対して反対するからな、気付かれたら全力で否定される」


 詩内教室は例の研究から手を引くことを正式に表明していた。しかしだからといって、探究心が尽きることはない。研究の主任である田部六連に相談しに行くと、内緒で参加しても構わないといわれた。


 田部研究室の正式な弟子でもないのに、思ってもみない厚遇に伊弦とけやきは感謝した。


 聞くところによるとふたりはなかでも精選された起源所持者であることが理由にあったらしい。


《解除》と《封印》。


 希有な起源であることは承知していた。ふたりが知り合うきっかけとなったのも、この起源が由来だったりもする。


 起源はその人の個性の象徴として表現されることが世間一般ではあるのだが、メジャーな起源というのも存在し、同じ発動条件かつ威力・内容である人達も数多いる。


 しかし稀少であり似て非なるふたつの起源は、起源に拮抗する能力を有していた。

例えば《封印》の起源を施した箱があるとする。その箱はどんなテを使っても開けることはできない。施した者が死ぬか発動をキャンセルするかの二択になる。しかしそこに《解除》の起源があれば話は変わってくる。《解除》の起源を使えば起源はなかったことになり、箱を開けることができるのだ。


 面白いのは、話はそこで終わらないことだ。


 ふたつの起源は拮抗するが、その他の起源に対しては似た作用を発揮する。

使用された起源を強制的になかったことにする、解除の能力が《封印》にはある。正確には閉じ込めてしまうのだ。だから発動しようとしても相手は発動すらままならない。もちろん能力的に《解除》も酷似しているが、《封印》は起源発動時に見えるといわれる模様すら確認できないという。


 伊弦は個人的に力也の《強化》もアイネンの《反射》も、それなりに珍しい部類だと思っているのだが田部さんいわく、ふたりは選りすぐりだとしきりに熱弁された。


 後の世代にもサンプルとして残しておきたいと言われているので、安全性の裏付けが取れたら研究の対象者としての役回りも頼みたいとお願いされている。伊弦は別に自分の起源が特別であるとつけあがることはない。よって起源の情報を解析されても痛くもかゆくもない。


 使用しやすい起源であれば愛着も湧いたのだろう。しかし、伊弦もけやきも使いどころが七面倒だとしか今のところ思えていない。起源所持者の皆が皆良好な付き合いをしているわけではないという世間の主張に、激しく同感だった。


 だが好奇心は止められない。


 密かに田部研究室の一員として活動していることに多少の後ろめたさはあるものの、自ら飛び込むことに価値がある。


 伊弦自身、研究に手を貸しているのには変わらないが、まだ完全に研究に加わろうとは考えていない。本格的に関わりたいと思う反面、肝心なことを教えてくれないのがつらという男だと感づいていた。


「田部研究室の行き先・未来は何を目指しているんだろうな・・・・・・ 」


 けやきも神妙な面持ちで頷いた。彼女は普段感が鈍い方だが、裏があることを察している。だからふたりは本当のことが判明するまでは積極的に参加することはしないと誓っていた。

 興味はあるが捨て身のようなマネは踏まない。


 こういうとき、伊弦はつくづくけやきと付き合って良かったと感じている。嘘偽りなく接することのできる相手はそういない。




 研究仲間であるマーニャと久しくお茶する時間がなかったな、と美空は茶菓子を手にマーニャ研究室へ訪れ談笑を交わしていた。歳は少し上ではあるが美空にとって心置きなく話せる数少ない友人のひとりだ。


 対してマーニャにとっても堕落しきった自らの生活リズムを整えてくれる面倒見の良い友人であり、気の置けない存在だった。


「ところでアンタのところの弟子、きな臭い動きしてるんじゃないの?」


 マーニャは以前見かけた、暗に伊弦とけやきの行動について言及した。


 「ああ、わかってるよ、全くもう!私にバレていないとでも思っているのか、あのふたりは‼甘いんだよ、憶測が‼」


 それに、と美空は続けた。


緋鳥ひどり、あの子までふたりの行動を不審がって、危険を顧みずにひとりで他の研究室を出入りしているみたいだし・・・・・・ 」


 珍しく吐き出すように言葉をつなぐ美空に、相当煮えたぎる思いなんだろうなあと他人事のように見守る。彼女が声を荒げることは滅多にない。加えて、彼らの後輩に当たる緋鳥が単独行動しているとなると、同期のまいなが知らんふりをしているとは思えない。彼女たちにちょっとした心理学をレクチャーしたのは美空だ。つまり詩内教室のほとんどが物騒なことをしていることになる。


「まあ、アタシたちは概要を知った上で手を引くって決めたからねぇ。具体的な理由を弟子に公表するのは禁じられてるし。・・・・・・ 探究心があるのは研究者向きってことで評価はされるけどねぇ」

「別問題よ、それとでは。田部六連は虚飾の実業家だと判断してる。私にとっては要注意人物のリストに載っても仕方ないくらい怪しいのだから」

「ちょっ・・・・・・ 滅多なこと言わないでよ。アタシ相手だから聞き流すけど、フラクタル内で妙なこと口走らない方が身のためってこと、痛いほど知ってるじゃないか」


 自分から振った話題ではあるが、茶菓子がおいしく感じられなくなってしまう。


 田部六連はフラクタル創設の主要人物だ。倍率の高いこの研究所所属というだけで、待遇は別格だった。多少の恩情は感じている。加えて、田部の意向に反する態度を取ると解雇されるらしいと耳にしたこともある。マーニャが一度腰を下ろしたフラクタルを解雇されたら、後先低迷した生活を送ることが目に見えている。再び重い腰を上げるのは嫌だった。


「田部の研究から降りた時点で私たちはお尋ね者扱いになっているはずよ。解雇になったところで、私は気に病まないわ」

「アタシが気に病むってわかってくんないものかねぇ、美空姉さんよ。――― アンタは頭が良くて、かつ両親が起源の第一人者だったから解雇されても引っ張りだこだろうけど、アタシみたいな凡人はもらい手がいないんよ」

「それは・・・・・・ 」


 美空は口を開きかけたが言葉を飲み込んだ。マーニャの言うとおりであり、自分がそれに甘受していると自覚しているからだ。きっと解雇されてもスカウトが掛かることは間違いない。


 押し黙った美空を見て、ちょっと遊びが過ぎたかな、とマーニャは思った。


「解雇されたときは、美空に雇ってもらうとしましょうかね?」


 茶目っ気たっぷりにウィンクを投げる。三十代前半の特にかわいらしくもない見た目を惜しみなく披露する。そこでようやく美空の顔に微笑みが戻った。


「給料は多くないわよ?」

「えーーーー、ブラック企業だけは勘弁してくれないとやる気起きない」

「その代わり、身の回りの世話はしてあげる」

「よし乗った!」


 ジョークにジョークで返すこの行事がマーニャは好きだ。

 美空は見た目こそ軽いやり取りが不得意で人との関わりが嫌いそうに見えるが、そんなことはない。親しい間柄の人間とのジョークは積極的に乗ってくれるタイプである。

 皆が知らない美空の一面を知っているマーニャは幾分か鼻が高かった。


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