第20話 先輩と後輩

 緋鳥ひどりは機械のように会話をし、去ってしまう力也の背を割り切れない気持ちで見送った。胸に当てられた手は自然と拳をつくり、跡がつくのではないかと思うほど握りしめている。


「あの男の行動は予測不可能だ。・・・・・・ どうも苛立ちが抑えきれん。ほとぼりが冷めれば、奴をフラクタルから追放してくれよう」

「研究長、我々にはそれより先にやらねばならない計画があります。長年待ち望んでいた悲願を再度叶えるためには、今奴に構っている暇はありません」

「そうだったな。今度こそ私の願いを実現させるためには、ミアプラ・紅檜皮の存在がことさら邪魔だ。あの男には露払いを完遂させるまで働いてもらわなければならん。――― 緋鳥、準備に取りかかるぞ」

「は、はいっ」


 力也が去ってしまった方向を見つめていた緋鳥は、急に話題を振られたことで我に返った。しかし、僅かに緊張感が入り交じった声色になってしまったのはそれが原因ではないだろう。

 田部の指示する「準備」が何を指すものか知っているからだった。


「万が一、公になったときは松良まつよしにでも身代わりになってもらうのはどうでしょう?」


 リゲルは冗談とも取れないことを平気で田部たべに提案する。


「妙案ではあるな。しかしこの実験自体、極秘に行わなければ意味がない。十年前のような失態を犯すことのないよう細心の注意を払っている。それに、奴を制御するのはいささか骨が折れる」

「緋鳥、お前はあの男の弱点くらい把握してないのか?」

「彼女に聞いても無駄だ、リゲル。なにせ小心とはいえ、私たちの実験に加担することを選んだのだ。多少の交流があったとしても、彼とは根本的なところが噛み合っていなかったはずだ。あの男がそれを感じ取っていないわけがない」


 言葉を発するより先に、六連むつらがフォローを入れる。


 自分は田部の言うとおり、臆病者だと自認している。ちょっとしたことで首をすくめてしまうほど弱虫なのだ。でも、それを凌駕するくらいの目的が、足がすくんでいる緋鳥を突き動かしている。


 孤独ではない。


 きっと同じ思いで土俵は異なれども闘ってくれている人達がいることを緋鳥は知っている。本人が実感しているかどうかは別として。


 まだ、彼らの計画が実行に移されるのには時間を有すると緋鳥の経験上理解している。

 それまでに緋鳥は心を決めおく必要があった。


 心に刻みつけておいた。名を「復讐」という言葉を果たす勇気を。




「こんにちは!先輩、教授」

「差し入れ持ってきました。みなさんで召し上がってください」


 詩内しない研究室に入室するなり明るい声と律儀な声が響かせる。


 浮舟うきふね緋鳥ひどり麻衣あさぎぬまいなだ。

 まいなは相変わらず落ち着いた後輩だが、緋鳥は浮き沈みが激しい女の子だ。内気な方が通常運転。緋鳥が彼女らしく明るく振る舞えるのは詩内教室の面々と打ち解けている証拠である。


「いつもすまないね。ふたりもゆっくりしていって構わないよ」


 教授はふたりに着席を促した。


「良いんですか?」


 目を輝かせる緋鳥に教授は苦笑する。


「構わないと言っているのだから遠慮はしなくて良い。といっても、この研究室には何もないがね」

「そんなことはないです!いつも教授や先輩の皆さんといると楽しいです。将来は詩内教室に入るつもりなんです‼」

「おいおい。ここは息抜きの場ではないことを忘れるなよ」


 軽く叱っているつもりなのだろうが教授の眼差しは子を思う母親のように見えてしまう。緋鳥は他の生徒に比べると幼い印象なのだろう。けやきが差し入れのケーキを頬張りながらふたりに尋ねる。


「あれ?ふたりは詩内教室にしたんだ?」

「今は専門学校で起源の使い方について学んでいますが、いずれは詩内教授の弟子になって研究職を目指すつもりなんです」


 まいなが丁寧に説明をした。


 フラクタルは起源の研究が目的で所属を志願する者が多い。教授と呼ばれる職に就いている者はそれぞれ気になる専門分野を開拓する。そして同じ志を持つ者が手始めに弟子となり、研究の手伝いをするのだ。やがて一人前になれば己の研究室が与えられる。


「私なんかまだ将来のこと考えてないのに偉いね」

「楽観視しているのは、けやきくらいだろ・・・・・・ 」

「えー、いー君だって先のこと考えてないくせにすまし顔しないでよ」

「残念、興味のある分野があるんだな、それが。・・・・・・ まだみんなには内緒だけど」


 けやきと伊弦いづるがやいやい言い合いを始めた。仲が良いほどなんとやらである。


 ボクはふと自分の将来について見通しを立てていないことに気付いた。成り行きで詩内教室に入り、気の向くまま助手をしていた。このままずっと助手のままで構わないと思ってさえいる。

 この日常が好きで、時が止まってしまえば良いのにと何度考えたことか。しかし自らの起源は時に関係する白物ですらなく何の価値も見いだせない。起源の意味を見つけるために研究を続けているのだと言い聞かせて、前に進んでいる。


 けやきが発した何気ない問いに心臓が抉られた気分だった。

 詩内教室にいるみんなは未来に目を向けていた。

 ボクの心を置き去りにして。


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