第2話
陸や沙羅が私と
それぞれに背負っている背景が違うのもあったけれども、海の方は一人で考え込んで
そしてうまく説明できないのだけれども、私がどうしても海に惹き付けられてしまうのは、何か海の持っているどこか私たちには未知な部分、その深いところで静かに潜行しているような、底知れなさのようなもの。それは陰とか闇の部分に属するような物事なのに、
「海ってこんなに複雑なやつだった?」
あるとき私が陸に訊いてみたら陸はもともとそうだ、と言っていた。
「基本的なところでは海は昔と変わっていない。ただより
幼い頃からずっと一緒に育ってきてみている双子の片割れである陸の意見はかなり貴重だった。
「そうなの。じゃあ、私が今まで気づかなかったのかな」
「
「怖がってないよ」
「じゃあ、何か、警戒している」
そう陸に指摘され、私はちょっと詰まった。
図星だったのだ。
「何でそんなに警戒してんの」
陸に尋ねられて、私はさらに言葉に詰まった。
海と陸のマンションのリビングで、私と陸は話していた。陸は大きなクッションによっかかりながら答えを待つようにしてじっと私を眺めていた。海は近くに用事があって出かけていて、二人で海が帰って来るのを
「海は、私を自分の暗い情熱の中に取り込もうとする」
私がぽつりとそう言うと、陸はため息をついた。
「だから別れろって言ってるじゃん」
私は何となく陸を眺めた。
「何だよ、その目は。俺に八つ当たりするなよ」
「別に八つ当たりなんてしてないじゃないの」
「じゃあそんな風にもの言いたげな
「言いたいことなんて特にないよ」
「嘘だね。何かあるね。絶対だ」
きっぱり言い放ってから陸は私をじっと見た。
「あんたこそ何か八つ当たりしてるんじゃないの」
「何でだよ」
「知らないよ。でもそんな気がしたから言っただけ」
私が何気なくそう言うと、陸はちょっと黙った。
それから私に向かってちょっと怒ったように言った。
「おまえら見ていると、いらいらすんだよ」
何だ、やっぱり八つ当たりしてんの、あんたの方じゃんか。
そう思ったけれども言わなかった。
陸はさらに続けて怒ったように私に言い放った。
「おまえもおまえだ。それだけちゃんと自分でもわかってるくせに、何でわざわざ自分から傷つくようなことに関わっているんだよ。海の方からおまえを離すわけないだろう。おまえから切り出さないと決着なんかつきっこないんだよ」
乱暴な口調でなんだか怒られているみたいにして言われていたけれども、陸が私たちを心配してくれているのもよくわかったので、私は黙って聴いていた。
陸は私を見て少し顔を歪めた。
「海が変わったって言うのなら、おまえだって変わったぞ。神奈、何で言い返さないんだよ。以前のおまえなら1言われたら10倍100倍にしても返すくらいの勢いがあったじゃないか。何で黙って言われっぱなしでいるんだよ。もっとしっかりしろ。そんなんだから海にのまれるんだよ。このままじゃあ、海は自分でも自分を止められないよ。おまえがしっかりしろ。そうでないとこのままいけば二人とも泥沼にはまりまくるぞ」
私は黙って彼を見つめた。
「何か言えよ。調子狂うだろ」
困惑したように言う陸に私は言った。
「いちいちもっともだから、返す言葉もなくて」
ふん、と急に偉そうになった陸は私に言った。
「当たり前だろう。俺を誰だと思ってるんだ。おまえらのことはおまえらよりもよく知ってるくらいだ」
「それは言い過ぎなんじゃないの」
「そうかもしれないけど、そうなんだよ!」
「どっちだよ」
「どっちもだよ!」
私は彼を見上げた。
「陸、何でそんなに怒ってんの?」
「いらいらすんだよ。おまえも、海も。俺はもっとすかっとしたいんだ」
むちゃくちゃ言ってんなーと思いながらまじまじと陸を見ていたら、陸は私に言った。
「とにかく、おまえは海と別れろ。一旦そうしろ。そんで海が自分でこの問題に決着つけたらまた考えたらいいだろう。今はよくない。おまえにも海にも最悪な時期だよ。たぶんそういう時期なんだよ。悪い方にしか転がっていかない、なんかそんな気がする」
私が顔を歪めたのをしばらく黙って見つめていた陸は、淡々とした口調で言った。
「それに、おまえさ、別の誰かがいるだろう。気になっている奴。海もそれに気づいているんだよ。だから余計におまえに
私が黙ったままでいると陸は不機嫌そうに言った。
「何か言えよ」
「何も言うことがない」
「ならそれでもいいよ。べつに責めてないし。神奈が好きなようにすればいいと俺は思うけれど、海に関しては今は別れておいた方がいいと思うぞ。縁があればおまえらはまた戻るかもしれないし、それは海が考えているよりもずっと可能性が高いんじゃないかって気がするけれど、どっちにしろ今おまえらが二人で一緒に居ることは互いにあまりよくないと思う。これは俺の意見だから、海と神奈自身で決めることだと思うけれど、何か海も相手の女の方も意地になってるんだよ、それぞれに。でも神奈がそこから脱ければそれまでのバランスが崩れるから、違った展開になるかもしれない。後は自分でもどうしたいのかよく考えてみろよ。今のおまえらは見ていてもつらすぎるんだよ」
それだけ言うと陸は立ち上がって、
「俺は出かけることにする。今日はもう帰らないから、後は海と話し合うなり何なり好きにしろ」
そう言ってさっさと身支度を済ませて本当に出て行った。
一人残された私は、陸が言ったことを反芻していた。
ソファに寝そべってあれこれ考え事をしていたら、そのまま眠ってしまったようで、気づいたら毛布がかけてあって目の前に海の後姿があった。いつの間にか海が帰って来ていて、ソファに寄り掛かりながら借りてきたDVDを観ているみたいだった。TV画面には美しくも壮大な自然の映像が映し出されていた。何か自然や動物の生態なんかの記録映画みたいなものだった。そういえば海は昔からこういうの好きだったよな、そう思いながら私は彼の後ろからそれを眺めていた。
厳しい自然の中で生きる動物たちの生態やそのドラマ。人間と変わらないそれぞれに個性が豊かな動物たちの愛らしい行動や感性豊かなその素振りなんかを見ていると、人間も動物も変わらないんだなあ、と思った。手話で自分の昔の想い出を語るゴリラの映像なんかは、何だか泣けてしまった。群れから少し離れていつも一人でいるそのゴリラは、幼い頃に自分の目の前で密猟する人間に自分の母親を撃ち殺されていた。その様子を、教わった手話で、人間に対して語っているのだ。とても悲しそうな深い瞳をしていた。カメラはそれをしっかりと
ずっと鼻水をすする音で、互いに同じところで感極まっているのがわかり、海が振り向いた。私は既にだ~っと涙を流して泣きが入っていたけれど、海は瞳がちょっと潤んでいるところだった。それで目が合って、何となく互いに笑ってしまった。
互いに泣き笑いのようなくしゃっとした顔で笑って、
「起きてたんだ」
「うん。ちょっと前から」
「初めから観る?」
「ううん、いい。後で観たかったら観る。今はこのままでいい」
「陸は? いないみたいだけど」
「出かけた。今日はもう戻らないって」
「ふーん、そうか」
喋っている間に進んでしまった部分を少し巻き戻して、二人で続きを観た。観終わったときには、何だか自分が人生を何度も生ききったくらいに、それぞれの動物たちのドラマに感情移入してしっかり自分がそれになって生きたつもりにまでなっていた。自分の前世となって心に刻まれたと言ってもいいくらいだった。人間よりも短いスパンで生死のドラマを圧倒的なまでに厳しい環境のなか駆け抜けていく、感性豊かで個性豊かな生き物たち。彼ら彼女らにはちゃんと人間と同じように感情もあるし、感覚で色々なことを伝え合って仲間同士でコミュニケーションをとり、愛したり悲しんだり喪に服したり争ったり殺し合ったりしている。人間と違うのはいつでも死が隣り合わせにあるということ。そしてそれを当然の日常のこととして受け容れているかのように見えること。そういう意味で言えば、人間よりもずっと動物たちの方が生きることと死んでいくことの賢者のようにも見える。
なんとなく
あれこれと思うことや考えていること連想したことなんかをこうして喋っていると、今まで通りの普通の、友達みたいに気楽に過ごせる彼だったので、私たちは夜遅くまでなんだかんだと喋っていた。夕飯を一緒に作って食べて、仲良く二人で片づけて、交替でお風呂に入って、そうしてそれぞれの寝室に引き上げていくとき、海が私の手首をつかんで
「たまにはこっちで一緒に眠らない?」
と自分の寝室に私を誘った。
別々の部屋に別れても、夜中に海は私の部屋に入ってきてそのまま一緒に眠るのが習慣のようになっていたので、私はいいよ、と言って彼の部屋に行った。
海の部屋のベッドで一緒に眠るのは、考えてみたら初めてのことだった。最初部屋に入って同じベッドに入るとき、何だか緊張したけれど、海の腕の中に入ったらすぐに眠くなって眠ってしまった。彼が私の髪を
そうして私はいつものあの夢を見ていた。森のなかで仲良しの友達に会うために早朝の朝もやのなか、
「行かないで、ここにいて。僕はもうだめだから」
あえぐようにしてそう言って、目の前で友達は私に右手を弱々しく差し出した。手を握っていてくれというので、その手を両手で握った。そうしている間にどんどん彼は冷たくなっていく。私は友達の名前を何度も呼び、泣いていた。息も荒くなって、そうしてそのまま少しずつ彼が死んでいくのを私はただ泣きながら見守るしかなかった。
全てが終わった後、私は彼の手をそっと地面に置いて、泣きながら彼の家の方に向かって歩き出した。大人たちをここへ連れて来て、彼をここから出してあげないといけない。泣きながらとぼとぼと足取りも重く、私はその森の小径を歩いて行く。泣きながら、一人で歩いて行く。
そこで目が覚めた。
泣きながら目が覚めると、隣で海が頬杖をついてじっと私を見つめていた。
窓から差し込む月明かりのせいで、暗闇の中でも彼の表情が見えた。
そこには何の感情も現れてはおらず、ただ淡々とした表情で私を眺めていた。
私は夢の余韻からまだ冷め切らずにいて、少し興奮した状態で泣いていた。でも、ああ夢か、よかった──とほっともしていた。何か寝言を言っていたかもしれない。そう思って私はじっとこっちを見ている彼に尋ねてみた。
「何か私、寝言を言っていた?」
海は黙ったまま頷いていた。
それから私の頬に手を触れて涙を指で拭うと、
「どんな夢見てたの」
と訊いてきた。
私は夢の内容を話そうとして、次の瞬間にはまた夢の中の感情に引き戻されてしまい、ぶわっと涙があふれてきた。夢のなかでは感情がむき出しで、そのまま夢の余韻を引きずった私も普段よりもずっと傷つきやすいような感傷的な状態でいて、涙があふれて言葉が出てこなかった。
海は黙ったままで私を見つめていた。
髪を撫でて、私の肩を撫でさするようにして、そうして私が泣きやむまで優しく
「何でこんな突然に?」
驚いている私に、海は私を見下ろしたままで言った。
「誰かの名前を泣きながら呼んでたよ」
さっきの、夢の話だ。しかもなんか妙な誤解を招いている。
はっとして夢の内容を話そうとした時にはもう遅くて、海は何だか静かに怒っているみたいで、絡ませた両手の指や手にものすごい力を込めて私を押え付けていた。何度かやめてとも待ってほしいとも言ったけれど、彼は一切聞く耳を持たず、そのまま力づくで私を自分のものにしていった。
まさかこんなことになるとは思っていなかった私は、あまりの彼の力の強さに圧倒されていて、
ただただ驚いていた私はそのまま抵抗する力も失っていて、じっと痛みにただ耐えていただけだった。早く終わってほしい、それだけしか考えていなかったし、あまりに酷い痛みだったのでそのせいで少し涙が出た。すべて事が済んでから、海は私を優しく慰めるようにして抱きしめて頬や髪や額や首筋にキスしていた。彼は私を征服したことで満足したみたいだった。扱い方がすごく優しく丁寧になった。ほっとしたように泣き出した私を優しく慰めている彼こそが私を傷つけたひとなのに、その彼に慰められ、優しく胸に抱かれて、そのまま彼の腕の中で泣きながら私は眠りについた。
夢の内容を後から彼に話したら、彼は黙ったままで私を見つめていた。そして「もういいよ」と私に言ってからごめん、と耳元で一言だけ謝った。そうして私をずっと抱きしめていた。怒っているかどうか問われるならば、確かに私は怒ってはいたけれど、でもそれよりも悲しい気持ちの方が大きすぎて、怒れなかった。何か一言でも怒りを言葉にしようとすれば、それはこみあげてくるような涙になり、何も言えなくなりそうだった。それから本気で海がそうしようと思ったら、私の力ではとてもかなわないくらい、彼の力の方がずっと強い、ということにも衝撃を受けていた。今までそんな風に本気で力づくで押さえつけられたことなんて一度もなかったので、本当に驚いていた。ただ自分でも意外だったのは、海が私を征服したことで露骨なまでに
以前の私だったら、たとえそれが自分が愛した相手であっても、私を力づくで征服しようとされるなんて支配されるだなんて絶対に許さなかったし、もしそうされたら、そうした相手のことを殺したいほど憎んだと思う。
その暗い情熱を一旦発散させることで、海の私に対しての執着も解消されるのではないか、と内心少し期待していたのだけれど、それはあまり見られなかった。この頃の私は頭ではもう彼との関係は解消して清算するべき、そうしてそれぞれの人生の課題にそれぞれがあたるのがベストだ、とはっきり答えが出ていたのに、心や体は放っておけば彼にくっついていってしまうみたいに、磁力に惹き付けられる様に逆らえない。ものすごく混乱したような状態に
以前のように気難しく支配的な部分は影を潜めるようになり、海の本来の優しい陽気な面も表に出て来て、
しかも彼は自分自身の魅力をよく心
たまに私はそれで息詰まる気がして、彼からどこか遠く離れたところに逃げたくなるような気分にもなったし、優しい声や笑顔で話しかけられると、ずっとこのままでいたいとも思った。とにかく私自身の内面がカオスだった。矛盾する気持ちを同時にいくつも抱えていて、両端に引き裂かれながらも身動きできないでいる。何でこんなことになってしまったのか、考えれば考えるほどによくわからなくなった。
今までガラス越しの風景を見るようだったあらゆる情動がむき出しの自分に嵐のように襲いかかってきては、何度も何度も心をさらっていくようで、驚くほど自分が感傷的に傷つきやすくなっていたし、それを隠せない。そうして海は私のそんな情動の微細な動きまでじっと見ている。それで私を意図的に傷つけたり弄ぶようなことは決してしないけれど、自分の手中に収めて手綱をより強化するためにはしっかり利用していた。そうしてまるで子供を扱う様に私を扱った。優しくあたたかく保護するように、そうして自分の圏内からは出て行かせないように管理する、そんな感じで。
海が何か私に悪いことや酷いことをしたというのではない。
ただ私は自分自身のためにもそこから脱け出したい、そのために、何かきっかけを必要としていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます