第六章 訪れし時

訪れし時1

 こうして真口様は長い時を経て再び真口島の神様としてその役割を担う事になった。

 あれから数年――中学生、高校生、大学生とどんどん成長した私はすっかり大人となった。今では某企業に就職して実家にさえあまり帰省出来ない程の多忙さに目を回している。

 あれから数年――最後にこのフェリーに乗ったのはいつだっけ。そう思える程には久しぶりに私は、真口島へと向かっていた。海の匂いも全身を駆け抜ける風も空から見下ろす太陽だって、それから島が段々と大きくなる景色も。昔と何も変わらない。

 そして島に着くと一足先にここへ来ていた両親と合流し懐かしの祖父母の家へ。両親共に祖父母もあの頃のように元気で溢れている。

 それからみんなとの再会を喜んで少し落ち着いた後、私はある場所へ向かった。


「真口神社」


 鳥居の前で一度立ち止まると私はそこに書かれている言葉を声に出して読んだ。今更、読めた事に対しての満足感は無いが気分は良い。

 そして鳥居を通り境内へと入るとそこでも足を一度止め辺りを見回した。そこまで変わったという訳ではないが真口様がこの島の守り神として再び崇められることになってからこの神社も少しは変わった。

 でも少しだ。それは真口様がここは昔と変わらない方がいいと言ったから。


「あれ? もしかして乃蒼ちゃんかい?」


 拝殿でもないのに一人立ち止まり懐古しながら辺りを見回している私にかけられた声。私はその声の方へ顔を向けると懐かしさに自然と笑みが零れた。

 そこにいたのは白髪交じりの神主さん。天笠政則さんだ。


「お久しぶりです」

「随分と大きくなったね。というより大人になったね」

「お陰様で。そう言う神主さんは……ちょっと老けました?」


 私が冗談交じりにそう言うと神主さんは「あはは」と笑った。それに釣られるように私も笑い声を零す。


「痛いとこ突いてくるね」

「冗談ですよ」

「いやいや。実際、着実に歳を重ねちゃってるからね。間違いじゃないよ。でも変わらないものも中にはある」


 神主さんはそれがこの神社だと言いたいらしい。それともこの島かな。


「まぁ実際はこの島も人が減ったり土地開発の話が来たり色々あるけどね」

「え? 土地開発?」

「そう。この島を丸ごと買い取ってリゾート地にしたいらしいよ。もちろん断ったけど。でも真口神様の一件辺りから下見はしてたみたいでさ」

「そうだったんですね。でも帰ってきたらリゾート地になってなんて絶対嫌ですけどね」

「大丈夫。この島の人間が生きてる限りは誰にも渡さないよ――あっ、そうだ。これから奥に行くんでしょ?」


 そう言って神主さんが指差したのはこの神社の裏の森。私にとっては懐かしくも馴染み深い場所だ。


「はい。大丈夫ですよね?」

「もちろん。君ならいつでも歓迎だと思うよ。今日は誰も来なさそうだけど君が行ったら出てくるまで門は閉めておくからゆっくりしていって」

「ありがとうございます」

「でもその前に。折角だしいい物があるんだ。良かったら」

「良い物?」


 真口様がこの島の守り神となったあの日から神社の裏へ続く門は常時解放されている。あの洞窟までは行けないけどその途中までは行けることになってる。最初はこの島の人々がより近くで祈りを捧げる為だったけど今は別の理由が大きい。

 それは一本の大きな木だ。

 あの門から真っすぐ、真口様に会うために道を進んでいた私はそのビルのように伸びる木の前で足を止めた。

 それは一本の杉の木。普通のより太めの幹を持ち、そこには立派な注連縄が巻かれている。


「誰かと思えば」


 すると右手側から声が聞こえ私は顔をその方へ向けた。

 そこに立っていたのはあの頃と何も変わらない真口様だった。白銀の毛も威風堂々したその立ち姿も何も変わらない。相変わらず吃驚するぐらいの大きさだし。


「何だそれは?」


 懐かしきその姿につい言葉の遅れた私より先に真口様はそう尋ねてきた。それに対し私は両手を広げ今着ている服を見せる。


「神主さんが貸してくれたんです。巫女装束。どうですか?」


 真口様はじっと巫女装束姿の私を見つめた後に口を開いた。


「知らん」


 それはあまり興味がなさそうだったがそれすら懐かしく感じる。


「真口様は相変わらずですね」


 少し前にある映画を見た所為か私は大きく時間が進んだのにも関わらず彼のその変わらない様子が嬉しくてつい笑みを零しながら真口様へと近づいた。

 そして昔のようにその柔らかで綺麗な毛並みに触れ彼を抱き締めた。その温もりも匂いも柔らかさも――全てが懐かしくて私を想い出で包み込んでくれる。


「懐かしの再会中、悪いんだけど僕も彼女とお話ししたいんだ。いいかな?」


 すると後方からまた懐かしの声が聞こえ私は真口様から離れると微笑みのまま振り返った。

 でもそこには誰もいない。それは分かってる。

 私は足を進めるとさっきの木まで戻った。隣の真口様と一緒に。

 そして立ち止まった私はもう一度木へ視線を向ける。


「お久しぶりですね。寿々木さん」

「大きくなってより美人さんになったね。乃蒼ちゃん」

「寿々木さんの成長ぶりには負けますけどね」

「まぁこっちは特殊だから」


 実はあの時、私が初めてそして最後に千代さんと会ったあの時。千代さんは彼――寿々木さんの事を教えてくれた。というより見せてくれた。




 何かを考えるような表情で彼を見ていた千代さんと寿々木さんとで視線を行ったり来たりさせていた私。


「彼は成るべくして邪神に成った訳じゃないのよ。実はね」


 すると千代さんは突然そんな事を口にした。そして私はその意味を問うように彼女を見上げた。


「彼にはちゃんとした御神木としての未来もあった。でも彼の前に現れた人間はその道へ案内してくれるような存在じゃなかったわ。残念ながらね。――少しだけ見せてあげるわ。さぁ手を貸して」


 そう言いながら千代さんは私へ手を差し出した。私はあまり意味が分からなくてその手を少し見つめたが彼女の言う通り手を握った。

 それを確認した千代さんは寿々木さんへと手を伸ばし始める。そして彼女の手が彼の体へ辿り着いたその瞬間。私の中に映像が流れ込んできた。いや、映像と言うより視覚かもしれない。あとは少しばかりの心だ。


 それはまだ小さな苗木の寿々木さんだった(何故かそれが彼だという事は分かった。まるで幼い自分の写真を見てそれが自分だと分かるように)。

 そんな彼の少し離れた場所にはとても大きく立派な木があってその近くには小さな社が建っていた。その大きな木は病の治る御神木として崇められていて、多くの人がその力を求めてはその場所を訪れ祈りを捧げていた。

 寿々木さんはそれを長い間、眺めて育っていった。その影響でいつしか彼の中にある思いが生まれた。


『僕も人の役に立ちたい』


 その想いを募らせながら彼は更に成長していった。

 だがある日、理由は不明だが一人の男がその御神木と社に火を放ったのだ。幸い火はすぐに鎮火し寿々木さんまでは燃え広がらなかったが、その御神木と社は跡形もなくなった。それ以来、その場所に訪れる人間はいなくなり寿々木さんは静けさの中で日々を送ることになる。

 でもその間も彼は一人考えていた。


『どうしたら彼のように人々の役に立てるのか?』


 そしてある日、彼の元に一人の女性が現れた。彼の体に憎悪の籠った藁人形を打ち付けたあの女性が。


『僕でもこの人の役に立てる? こんなに困ってるなら何とか役に立ってあげたい。どうにかしてあげたい』


 それから起こった事は彼が私に話した通り。


『やった! 僕でも誰かの役に立てるんだ。はぁー、最高の気分。もっと。もっと誰かの役に立ちたい』


 寿々木さんは誰かの役に立ちたい一心で自分の元に訪れた歪んだ思いを受け入れてはその為に力を尽くした。

 そう――邪神と化すまで。


『僕はただ誰かの役に立ちたかっただけなんだ』


 そこで私は思わず千代さんの手を離してしまった。


「ちょっと怖かった?」


 私は首を横に振ったが正直なところ少し怖かった。

 でも同時に少し不憫さを感じていたから首を横に振り顔を逸らしたのかもしれない。


「さて。そろそろね」




 もしかしたら寿々木さんは分かっていたのかもしれない。邪神となった自分は昔の自分が望んだ存在とは違うことを――。

 でも彼は誰かの役に立ちたいという気持ちの元その道を進んだ。これは単なる憶測だけど彼は純粋に人が好きだったんだと思う。もしくは人になりたかった。だから邪神と言う姿形を問わない存在になっても人間の姿をしていたんじゃないだろうか。

 それに千代さんの言う通り彼は御神木にも成れたかもしれない。なのにたまたま憎悪を抱えた人間が、たまたま彼を選んだという理由だけで彼の道は大きく変わってしまった。御神木という道もあったし彼のような存在こそがそうなるべきだと思う。

 そう思うと私は彼を見捨てる事が出来なかった。

 だからあの出来事の後、真口様に聞くと教えてくれた事を実行した。真口様に敗れた寿々木さんは本来の姿である木片となり消えてしまったがその木片を埋め、祈りを与えれば再び芽を出すはずということを。

 もちろん神主さんに話をしたし彼から町長さんにも話してもらった。二人共気乗りはしなかったようだったが(元々邪神でこの島を破壊しかけたから当然と言えば当然だが)真口様の口添えのおかげで渋々の許可を貰うことが出来た。

 そして私は真口様と共にここへ彼を埋め島にいる間は真剣に祈りを捧げ、現在は御神木として立派にやってくれてる。

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