過ぎ去りし時8

 そして神社に到着した車が石段の傍に停まると私は真っ先に降り脇目も振らずに階段を駆け上がった。


「ちょっと待ちなさい。乃蒼!」


 母が後ろから叫ぶが私は足を緩めることはない。一気に駆け上がった所為で鳥居を通る頃にはすっかり息が乱れ汗もかいていた。

 だが私は止まって休むことも無く神社の裏へと続く門へと急ぐ。いつもなら階段を逸れるのだがここが開いている事は知ってたし何より一秒でも早く行きたかった。

 予想通り開いたままの門だったがその前には神主さんと祖父母を含む島の人たちが数人集まっていた。何をしているのかは分からない。と言うより今の私にはどうでもよかった。

 だからそこでも立ち止まる事は無く彼らの間を一気に駆け抜け門を通り抜ける。後方から神主さんの声が聞こえたような気もするが一心不乱だったし気のせいだった可能性もある。

 でも兎に角、私は乾ききっていない道を進みあの洞窟へと向かった。

 木々に囲まれ大きく口を開けた洞窟。それはすっかり見慣れた光景。

 そしてその洞窟の前には白銀の毛に覆われ威風堂々とした一匹の狼が木漏れ日を浴びながら立っていた。


「真君!」


 洞窟が見え一度立ち止まっていた私はその姿に気が付けば叫んでいて、気が付けば彼の元へ駆けていた。

 そして私を迎えるように顔を下げた彼の首に思いっきり抱き付いた。相変わらずもふもふとした毛は両親や千代さんとは違った心地好さがあってずっとこうしていたい気分だった。


「乃蒼!」


 真口様の無事にすっかり安心している私をママの声と複数の足音が呼んだ。


「うそっ……」


 真口様から離れ後ろを振り返ってみるとそこにはママとパパと神主さんを先頭に門の前にいた島の人達がいた。距離を取るように足を止めたみんなは真口様の姿に言葉を失い唖然としている。

 そんな中、一人の杖を突いたおじいさんが前へと出て来た。真っすぐこちらへ進んで来る彼に私は真口様の前で大きく手を広げ立ち塞がった。


「ダメ! 真君は何も悪い事してないんだよ」


 おじいさんは私の前で足を止めたもののその視線はずっと真口様を見据えたままだった。


「もしや貴方様は真口神様でいらっしゃいますか?」


 それはまだ吃驚としながらも腰の低い丁寧な口調だった。


「――信仰する者がいなくなったものをそれでも神と呼ぶならな」


 真口様の答えにおじいさんは改めて信じられないと言う表情を浮かべ一度後ろを振り向くと――その場に跪いた。そんな彼に続き後ろにいた神主さんと島の人たちも同じように跪き始める。

 両親は彼らのその行動に戸惑いを見せていたが周りに合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。みんな視線を落とし真口様を直視しないようにしている。


「私はこの町の町長をしております菊谷雄三と申す者です。実は昨夜の大地震並びに大嵐。それらから我々をお救い頂いたのは真口神様のお慈悲だったのではないかと島の者と話し合っていたとろこです。やはりそうだったのですね」

「目的は違うが結果を見ればそうだな」

「何とお礼を申し上げれば。真口神様のおかげであれほどの災害がありながら建物の破損はあれど、死者はおろか負傷した者もおりません。本当にありがとうございます」

「何が言いたい?」

「私もこの島で生まれ育った身。当然ながら真口神様にまつわる話は存じております。我々の祖先が貴方様を封じた事も」

「ならばどうする? また封じるか?」


 そう言いながら真口様は私の横に並んだ。


「だがそれも無意味だ。安心しろ放っておけばいずれ儂は死に絶える。それにお前らに危害を加えるつもりもない」

「いえ、滅相もございません」


 視線は下げたまま町長さんは大きく顔を横へ振った。


「その逆でございます。身勝手な話だとは思いますが今一度この島を守ってはくれませぬか? 当然、毎日祈りを捧げ供物も用意し、真口神様を称える祭りも行っていく所存です。これからこの島が続く限り絶やすことなく」


 その言葉に真口様を見上げてみると彼は訝し気な表情を浮かべていた。

 暫しの間、その表情で何も言わず町長さんを見下ろし続ける真口様。


「――昔の事を知ってて何故だ? また人を喰うかもしれんぞ?」

「実はこの島には貴方様を封じた陰陽師が越してきました。陰陽師としての名は知りませんが、彼と同じ天笠の性を持った陰陽師です」


 町長さんは「彼」という言葉に合わせ後ろで頭を下げる神主さんを手で指した。


「貴方様を封じて暫くしてからです」

「それは知ってる」

「その陰陽師は一通の手紙を当時の村長に渡していました。その手紙は代々この島を収める者に引き継がれ、そして現在は私が大事に保管しております。そこに書かれているのは、いつの日かこの島を大惨事が襲うかもしれないという予言です。明確な事は分かりませんが、とんでもない事が起こる可能性があると。もしそれがいつの日か起きてしまったら貴方様の封印を解けと、貴方様が助けて下さると書かれていました。それからこの島が無事救われたら再び貴方様を神として崇め信仰するべきだと。そして昨夜、あの短時間だけでもこの島の長い歴史上の中で一番と思われる災害に見舞われました。ですが天候は突如として回復しその爪跡はあれど島は無事です。正直に申し上げればあの手紙だけでなく貴方様の存在でさえ我々は心から信じてはいませんでした。ですが昨夜を経てもしかしたらと思い、長い間立ち入りを禁じていたこの場所へ訪れようと思い立った訳です。昨夜の出来事が単なる偶然だったのかどうかを確かめるべく」


 言葉を止めると町長さんは顔を上げ真口様を見上げた。


「もう疑いようがありません。身勝手だということは承知しておりますが、どうか今一度この島をお守りいただけないでしょうか?」


 そして再度、町長の頭が深く下がる。

 だが真口様はすぐにはその返事を出さずただ彼を見下ろしていた。そんな真口様を私は見上げていた。

 すると彼の顔が町長さんから私へ。お互いに何も言わなかったが私は目が合うと笑みを浮かべた。

 それを真口様がどう受け取ったかは分からないが、私はただ彼が無事だった事ともしかしたらまた封印されてしまうんじゃないかって思ったからそうじゃなかったのが嬉しかっただけ。あとは単純に目が合ったからっていうのもある。

 真口様はそんな私の顔を少し見つめると再び町長さんに視線を戻した。そして呟くように一言。


「いいだろう」

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