過去6
それからどれ程だろうか。一人は初めてとなる森を、私は何の当てもなく歩き続けていた。
だが歩けど歩けど変わらぬ景色。最初のうちはよかったけど段々とその景色にも飽きがくるとそれが引き金となったのか、歩くのに疲れを感じ始めた。正直まだ歩くことは出来たのだけど、どこにどれだけ歩けばいいのかも分からないという状況は体よりも心により一層疲労感を与えた。
そしてついに私の足は目の前の小さな傷のある木で止まった。それから座ってくれと言わんばかりの根へ腰を下ろす。ふぅー、と息を吐き水筒から水分補給。喉は潤い、体内で冷たさがじわぁーっと広がった。
遭難したと言っても過言じゃない少女が一人森の中。そんな言葉だけ聞けばもはや事件だという状況下に陥っていた私だったが、相変わらず呆れる程に落ち着き、いつでも抜けられるというような安心感にさえ包み込まれていた。
むしろ視界外の左手から聞こえた枝の折れる音の方が不安を煽ったぐらいだ。
素早く反応し音の方を見遣る私。姿は見えなかったが、もしかしたら木の陰に動物がいるのかもしれない。そう思いながら少しの間、その方向を凝然として見つめていた。
すると案の定、木から音を立てたであろう犯人が姿を現した。
だがそれは動物は動物でも予想していた鹿か何かじゃなくて私と同じ人間。あのサングラスの二人組だった。辺りを頻りに見回しながら出て来た二人が表していたのは焦燥感。
だがそんな二人の顔が私を見つけるとその表情は一変した。
「やぁ。お嬢ちゃん」
笑みを浮かべているからかどこか安堵したようにも見える表情で太った男は軽く手を挙げて見せた。
そしてもう一度だけ辺りを軽く見回すと視線は再度私の元へ。
「あの男はいないみたいだな。風邪でも引いて倒れちゃってるのかな?」
安堵のようにも見えた笑みが(実際変えたかどうかは定かではないが)嘲笑っているようなものへ変わると同時に男はそんな言葉を口にした。
あの男とは恐らく真口様のことだろう。現状の私からすれば寿々木さんだったが彼らと会った時に一緒に居たのは真口様だったからこっちが正しいはず。
「おい。そんな話は今いいだろ。早く訊いてくれよ」
すると一歩後ろに居た細身の男が少し脅えた様子で太った男を急かした。
「わーったよ。落ち着けって」
そんな細身の男へ雑に返事をすると太った男は笑みを消した顔を私へ向けた。そして一歩二歩と私の方へ歩みを進め始めた。
「お嬢ちゃん。俺らちょーっと探してるもんがあってな。それを教えてくれる――」
言葉を口にしながら男が手を背中へ回そうとしたその時。その手は体の横(まだ手が見えている状態)で手首を掴まれ止められた。
「怪しい二人組と少女が一人。穏やかじゃなさそうだね」
男の手を掴んだのは、どこから現れたのだろう寿々木さんだった。
そして彼の柔らかな笑みと男の無表情が向かい合う。
「別に俺らは――」
「さっさとそこを真っすぐ行ってこの森から出ていった方がいい」
手は掴んだまま寿々木さんはもう片手でその方向を指差した。その後、男の耳元へ顔を近づけたが私には何を言っているのかは聞こえなかった。
でも寿々木さんが離れ手も解放すると太った男は手首を摩りながら「行くぞ」ともう一人と共に指の方へと歩き出した。
その後姿を監視するように暫く見つめていた寿々木さんだったが、二人の距離が離れると私の方を振り返った。
「大丈夫だったかい?」
「うん。でもあの人たち何もしてないよ?」
「でももしかしたら危ない目にあってたかも。人は見た目によらないんだよ。どんな人間だって心に闇を宿してるんだ。気を付けないと」
これまでに人間関係で何かあったのだろうか。それはそう疑問を抱くような口ぶりだった。
「それはそうとはぐれちゃってごめんね。あまりにも綺麗な蝶がいたものだからつい、ね」
「もう。ちゃんとついて来ないとダメなんだよ」
「ごめんごめん。でも君を探している間に随分とこの森を見て回れたよ。改めていい森だった。でも僕はそろそろ時間がなくてね」
「もう帰っちゃうの?」
「今日はここまでかな。ごめんね」
「うん。でも……」
私は木しかない辺りをぐるりと見回した。寿々木さんと合流できたのはいいが未だに私は自分がどこにいるのかが分からないのは変わらない。
そんな私の心配を感じ取ったのか、寿々木は安心させるような笑みを浮かべた。
「大丈夫。僕は記憶力は良い方なんだ。ついて来て」
「うん」
よく考えれば寿々木さんは太った男に対して森の出られる方を教えていたから、この時の私は彼と合流できた時点でどこにいるか分からない事を心配する必要がなくなっていたのかもしれない。
そして最初とは打って変わって寿々木さんの後に続き暫く歩いて行くと私は見慣れた洞窟の前まで戻ってくることができた。
「それじゃあ僕は行くけど君も下まで一緒に行く?」
「ううん。私はここでいい」
「ならここでお別れだね。じゃあまた会えるといいね」
「うん。また遊ぼうね」
こうして私は寿々木さんと手を振ってお別れをした。彼はここへ来た時と同じ方へ歩き出し、私は洞窟へと足を進めた。
最初の方はいつも通り真っ暗で奥に進むと壁の灯りが点火。最初の時と同じように真口様はそこで眠っていた。地面に寝そべり穏やかな呼吸に体を揺らしている。いつもと同じ。
だけどやっぱりどこか疲れているような感じがして仕方ない。根拠もないし何故かと訊かれれば答えられないけど。私はそう感じていた。
そんな不安を抱えながら真口様の元まで歩みを進めると腰を下ろし背中を凭れさせた。心地好いクッションのように私の背中を受け止める真口様の体。家のソファが物足りなくなりそうだ。
「アレはどうした?」
すると前足に乗せた顔を少し私へ向けた真口様がそう訊いてきた。でも私にはアレが何なのか分からなかった。
「アレ?」
「さっきのだ」
そう言われ頭に浮かんだのは寿々木さん。
「あのお兄ちゃんのこと? 帰ったよ。用事があるんだって」
「そうか」
訊いてきたのは真口様だがその返事は興味なさげに素っ気なかった。だが洞窟内に消えていく小さなその声は私の不安感を煽るように震わせた。
「ねぇ。大丈夫?」
「問題ない」
そう言いながら真口様は前足の上に顔を乗せた。
そんな真口様を心配な気持ちと共に見つめていると、ふと私は以前神主さんと話しをしたことを思い出した。神主さんから(あまり理解は出来てなかったが)神様がどうやって生まれるのかを教えてもらった訳だけど、真口様が真口様になる前はどうだったんだろうという。そんな疑問がふと浮かんできた。祖母に人を喰う狼だったという話は聞いていたがそれ以外は何も分からない。
「ねぇ、神様になる前は何してたの?」
「何もしてない」
「ずっとここにいるの?」
「そうだ」
「お話しして! 私お話し好きなの」
「断る」
「神様になる前からそんなに大きかったの?」
だが真口様からの返事はない。
「どうして神様になったの?」
その声が消えた後、そこに残るのは相変わらず静けさだけだった。
「何で――」
するとそんな私の言葉を真口様の溜息が遮った。
「分かったから黙ってろ」
私は満足げで期待に満ちた笑顔を浮かべると言われた通り静かに話が始まるのを待った。
そして真口様は目を瞑ればその光景が見えそうな彼自身の話をしてくれた。
当時はまだこの島の八割程は森に覆われていたらしい。最初は動物だけしか生息してなくてその種類も様々。その中の一種として真口様の種族は暮らしていた。狼は数が少なく真口様の群れしか存在していなかったけど天敵がいないお陰で安全に生きる事ができたらしい。
だけど時代が進むにつれ段々と天敵に成り得る存在が現れ始めた。それが人間だ。
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