過去5
「神主さんにバレたら絶対にダメだからね」
「分かった」
階段中腹、小声で注意をしながら鳥居辺りを警戒すると私はいつも通り横へと抜けた。
そして道も無い木々の間を慣れた足取りで進んでいると、男が私の肩を軽く叩いた。それに足を止め振り返る。
「思ったより結構険しい道なんだね」
「大丈夫。もう少しだよ」
「そうだ。はぐれないようにいいかな?」
男は言葉と共に手を差し出した。私はしょうがないなという気持でその手を握ってあげた。
「ありがとう」
そのお礼を聞きながら今の自分がどこか大人びた気がしていつの間にか口元が緩んでいた。
それから私はより軽くなった足取りで洞窟へと進んだ。男にも言った通り洞窟へはすぐに到着。
だがそこはいつもと違いしんと静まり返っていた。まるで誰もいないみたいに。
私は男の手から離れると真っ暗な洞窟を覗き込みながら大きく真口様の名前を呼んだ。呼び慣れたという程その名前を口にした訳ではないが割と気に入っていたその名を。
「真君ー!」
だけど反響し奥へと消えていった私の声の後に広がったのは目の前の暗闇と同質の無音。
「いないのかな?」
一人呟きながら私は頻りに暗闇を覗き込むが、人間の目ではその奥を見通す事は不可能。そして全く出てくる気配のない洞窟から男へ視線を向けた私は真っ先に弁解をした。
「いつもはちゃんといるんだよ。あっ、そうだ! 寝てるんだ。寝るの大好きだから」
だが男の視線は必死になりながら説明する私を通り過ぎ洞窟へと真っすぐ向けられていた。今までよりどこか鋭い気もする目つきと疑う様子のない表情で。
「大丈夫。ちゃんといるみたいだよ」
男が表情と同じ雰囲気の声でそう言うと私はもう一度洞窟を見た。
すると丁度その時、暗闇の中から真口様が姿を現した。水面から顔を出すようにゆっくりと光を浴びながら白銀の毛に覆われた体が露わになっていく。真口様が出てくると私は、色々なものから一気に解放された気分になり胸を撫で下ろした。
そして笑顔のまま駆け寄るとその脚に抱き着いた。ふわりとした毛並みの肌触りと心地好い温もり、優しい匂い。全てがいつもと変わらなかったが何故かいつもより少しだけ疲れているように感じた。根拠ないただの直感だが。
そして男の方を振り返ると(恐らくそうなっていたはず)どうだと言うような表情を浮かべ、その顔に見合った声で一言。
「ほら! ちゃんといたでしょ」
腰に手を当てたその姿は人によっては癪に障るものだったかもしれない。でも男の双眸はそんな私ではなく真口様へ向けられていた。
「何だお前は?」
男より先に口を開いたのは真口様だった。それは私に対しての口調より(もっと言うならば最初の時よりも)低く真剣味を帯びた声。もしかしたら見知らぬ男に対して警戒しているのかもしれない。そう思うような声だった。
それに対して男の声は私と話すように穏やかなものだった。
「初めまして
言葉の後、寿々木さんは英国紳士のようなお辞儀をひとつ。声が消えどこか不穏な静寂の中ゆっくりと顔が上がっても尚、その空気は場に留まり続けた。その間も私の頭上で交わり続ける二つの視線。
「随分とお疲れのようですが大丈夫ですか?」
「お前には関係のないことだ」
すると真口様はその言葉だけを残して踵を返すと洞窟の奥へ戻ってしまった。その後姿が消えていくのを眺めた後、寿々木さんの方を見遣ると丁度目が合った。
「もしかして僕、何か気に障る事でも言っちゃった?」
確かに少し疲労のようなものは伺えたが、あの素っ気ない態度は私に対しても同じだから気にすることは無いだろう。むしろ私より良い方なのかもしれない(なにせこっち最初なんて喰うぞと言われたのだから)。
だから私は肩を竦めながら正直に答えてあげた。
「分かんない」
私の返事を聞いた寿々木さんはもう一度だけ視線を洞窟の奥へ。
そしてすぐに私へ戻した。
「兎に角今はそっとしておいた方が良さそうだね」
その考えには私も賛成だった。この日の真口様は少しいつもと違ったように感じたから。
「そうだ。折角だからこの森を見て回りたいな。よかったら案内してくれる? えーっとそういえば君の名前聞いてなかったね」
「乃蒼! 鳴海乃蒼! いいよ案内してあげる」
「良い名前だね。それじゃあ案内よろしくお願いいたします。乃蒼ちゃん」
「任せて!」
頼られてすっかりいい気になった私はやる気満々だった。だけど実際は私自身、真口様の背中に乗せてもらい森を駆けただけだからそこまで詳しくないのに。
でもそんな知識とは裏腹に自信に満ちた一歩を踏み出した私は森へと進んだ。とは言え一度は真口様と通った道(正確には道などないが)だからか意外にも歩いている内に(最初の時に休憩した)川へと辿り着いた。全くの偶然ではあるもののさもここを目指していたかのように振る舞う私はズルいだろうか?
「ほら。ここの川、冷たくて綺麗なんだよ」
「木々に囲まれた川。僕が昔いた場所の近くにも川があってそのせせらぎを聞くのが好きだったんだよ」
寿々木さんはそういいながら川へ一歩二歩と足を進めた。
そしてすぐ傍でしゃがみ込むと片手で水を掬い上げた。手から零れ落ちる木漏れ日を反射した雫はさながら宝石。それを彼は子どものように輝いた瞳で見つめていた。まるで初めて目にするかのように。その眼差しの先で手中の水が全て零れ落ちるとまだ滴る手と共に立ち上がった。
そして次は両腕を大きく広げ肺を新鮮な空気で満たし始めた。吸って、吐いてを何度か繰り返し。深呼吸をしていた。
「この感じ……。懐かしいね」
それからも私は半ば未開の地を探検する気持ちで寿々木さんと森の中を歩いていた。――つもりだった。
「あっ! 見てあそこに綺麗な――」
足を止め指を差しながら振り返ってみると、後ろにいるはずの寿々木さんの姿が消えてしまっていた。木々の囁きひとつ、鳥や虫の鳴き声ひとつしない不気味な程に森閑とした森だけがそこに広がっていたのだ。
「あれっ?」
辺りを見回し見るがやはり人影ひとつ見当たらない。
「もう。ちゃんとついてきてって言ったのに」
森閑とした森で一人ぼっちという状況なのにも関わらず不思議と怖さはなくむしろ安心感さえあった私は、迷子になったというより迷子を捜す側の気持ちになっていた。
全くしょうがないな、なんて溜息交じりに心のどこかでは思っていたのかもしれない。というよりむしろそう思っている自分が大人になったように感じご機嫌になっていたのかも。とはいえこの森の中で人を探すのは、例え森を熟知していたとしても困難なはず。ましてや全然知らない私一人となればもはや不可能と言っても過言ではなない。
さて、一体どうしたものか。そう考えていると私はあることに気が付いた。
「あれ? ここどこ?」
私は自分が今、森のどこにいるのか、洞窟からどれくらい離れた位置にいるのか検討すらつかなかった。でも元々適当に進んでいたのだ。それもなるべくしてなったことなのかもしれない。
今度はさっきとは別の目的で辺りを見回してみるが、どこを見ても木々が並ぶ同じ景色。一体どこへ向けて歩き出せばいいのかすら分からない。だから私はとりあえずここまでと同じように直感と言う名のコンパスに従い足を踏み出した。
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