過去2

 待つこと、汗が止まるぐらいには体の熱が下がった頃。


「はい。どうぞ」


 差し出されたのは紙パックのオレンジジュース。隣に座った神主さんへお礼を言いそれを受け取ると、冷たさが一足先に指先からご挨拶。そのキンキンに冷えたジュースの誘惑はさながらお風呂上がりの冷えたビール。大人の特権だと思っていたけど、意外と根元は変わらないのかもしれない。

 ストローを刺し大きく吸うとジュースの甘さと酸っぱさが口中を満たした。喉から胃への旅路の最中もその存在感を放ち続け体全体へ夏には心地好い冷たさを広げていく。ジュース最高。

 するとすっかりジュースに魅了されていた私の頭へ不意にこんな疑問が浮かんできた。


「ねぇ、神様ってどこから来たの?」


 私の質問に神主さんは「ははっ」と軽く笑った。

 そして、「難しい質問だな」と少し考え始めた。私はその間にジュースをもう一口。


「そうだね。それじゃあ全ての神様がそうって訳じゃないけどここの神様の場合を話してあげようか。乃蒼ちゃんはここの神様の伝承――話は知ってるかな?」

「うん。ばぁばから聞いたよ。難しくて良く分かんなかったけど」

「確かにそうかもね。でもなら二回も話す必要はないか。乃蒼ちゃんも知っての通りここの神様、真口神様は最初から神様だった訳じゃない。人々が崇拝し始めてから段々と神様になったんだ。その前は人を喰う狼って話だね。つまり元は一応、普通の生き物だったってこと」


 神主さんが一応という言葉を少し強調したのは(真偽はどうであれ)人を喰うという部分は普通じゃないからなんだろう。


「じゃあそんな狼がどうやって神様になったのか」


 神主さんは良い場面でCMに入るテレビのように少し間を空けてから続きを口にした。


「――それは信仰だよ」

「しんこう?」

「そう、この島の人達の信じる心が神様にしたんだよ。というより強い想いって言った方が正確かな。捧げモノをして、お祈りをして崇め、それを受け取ったことで段々と神様へとなっていったんだ。それが例え最初は畏敬の念――怖がっていただけだったとしてもね。でも実は完全に神様となるには時間がかかるんだ。多くの信仰心によって神通力を手にしたとしても正確に言うとまだ神様じゃない」

「神様なのに神様じゃないの?」

「正確にはね。普通の生き物が神格化されて実際の神様となる場合、体の寿命が終わるのを待たないといけないんだ」

「死んじゃうの?」


 神主さんは私の方を向くと一度頷いて見せた。


「物理的な体から解放されて初めてちゃんとした神様に成れるんだ。でも体から解放されるまでの間もずっと信仰心を受け続ける必要がある。そうやって力を溜めるんだ。所謂、死と再生ってやつだね。もちろん自ら終わらせる方法もあるけど、それは失敗のリスクが高いからちょっと強引過ぎると言えばそうだね」

「それじゃあ神様はいないのにいるの?」


 私は(狼姿の)真口様を頭に浮かべていた。その毛並みの柔らかさや体の温もり、落ち着く香り。真口様は確かに目の前に存在していたはずだけどあれは物理的な体じゃないということなんだろうか。


「言葉にすると矛盾してるけどそうだね。多くの場合は元々と同じ姿になるけど神様に本当の姿はないからどんな姿形をしてもいいんだ。――って乃蒼ちゃんには少し難しかったね」


 確かに幼い私には少し理解し難い話だった。でも人々の想いが真口神という神様を生み出したという事は何となく分かる。


「人々の信仰心で神様となり、神様であり続ける。でもこの手の神様って言うのは逆に言えば信仰心が廃れてしまうとその存在自体が危うくなってしまうんだ。人は忘れられた時に二度目の死を迎えるなんていうけど、神様も人々から忘れられてしまうと消えてしまうんだよ」


 その言葉を聞きながら私は脳裏に浮かぶ真口様の姿を刻み込むように、更に強く思い浮かべた。


「僕らの家系は本来神職じゃなくてもっと手広く妖怪なんかともかかわる陰陽師だからそこまで詳しくはないけど、まぁ――もしそういう話に興味があったらいつでもおいで。知ってる事は話してあげるからさ」

「うん。ありがとう」

「それじゃあ僕はそろそろ仕事に戻るよ」


 神主さんはそう言うと立ち上がり、飲み終えたジュースを私から受け取ると「またね」と笑みを浮かべその場を去って行った。私は神主さんが離れるのを確認してから立ち上がると急いで階段を降りいつもの場所から横へと抜けた。

 そして目の前には少し歩いた先の見慣れた洞窟。その入口に真口様の姿(狼)はあった。何かを見ているのか視線を地面へ落としている。私はその隣に並ぶと彼の視線を追い同じものへ向けた。


「まだ微かに力が残っている」


 前足で(洞窟を封じていた)注連縄に触れながら真口様は呟くように言った。


「これだけの時が経っても尚、あの頃と変わらず力を有しているとは、やはりあ奴は途轍もない力を持った人間らしい」


 言葉の後、真口様は何か言いたげな顔を私へ。森の静けさの中、夏にしては涼しく爽やかな風が私たち撫でた。

 そしてその風が通り過ぎてから私は言葉を口にした。


「今日は何して遊ぶ? それとも探す?」

「いや、もうあれはいい」


 その言葉と共に彼の視線が私の元を離れていく。

 それを見ながら私はそのお墓の人物が真口様にとってどういう人物なのか知らないことに気が付いた。同時に誰なのか気になっていた。


「その人ってお友達? 私もね学校に沢山お友達がいるよ」


 その問いかけに彼の視線がブーメランのように戻ってくると、一拍程度の間を置いてから口が開く。


「あ奴は――」


 再び焦らすような沈黙が一瞬、割り込んだ。


「天笠千代は、儂をこの場所に封じ込めた人間だ」


 忙しない視線はまたもや私から離れると地面に転がる注連縄へ向かった。私もその後を追い遅れて顔を向ける。


「酷い人なの?」


 私にとって真口様は善神。だからそんな彼を封印したその人物は悪い――いじめっこのような人に思えていた(その時は祖母の話を思い出していなかったというのもあるかもしれないが)。


「儂にその善悪の判断はつかん」

「でもばぁばが言ってたよ。神様は良い子と悪い子が分かるって」

「そう単純ではない。善悪と言うのは特にな」


 良く分からず首を傾げる私。


「でも私はちょっとなら分かるよ。人のモノを盗ったり、叩いたり、酷い事言うのはダメなんだよ。あとね、玩具を貸してあげたり、お手伝いしたりみんなに優しくする子は良い子!」

「そうか。ならお前は神の素質があるのかもしれんな」


 私が幼くなければそれが軽くあしらっただけという事は分かったはずだが、この時の私はそれをすっかり嬉々としながら真に受けていた。


「私も神様になれるの?」

「そうだな。だが神はお前が思ってるほどいいものじゃない」


 神様は嘘をつかない。それは私にとって疑う余地のない、夜に朝日が昇るのかの心配をしないのと同じくらい確実なことだった。だからその言葉を素直に受け取れたのだ。

 しかしよくよく考えてみるとそれはあまり魅力的でない事に気が付いてしまった。


「でも私は叶えてもらう方がいいな。それに神様はみんなから沢山お願いされて大変そうなんだもん。だから神様にはならなくていいの」

「賢明だな」


 賢明という言葉の意味を当時の私は知らなかったが、褒められていることは理解でき(もちろんそれも定かではないが)自然と口元が緩む。

 そしてすっかり気分が良くなった私は子どもの本分でもある本来の目的の事を訊いた。


「それじゃあ今日は何して遊ぶ?」


 私のその言葉に洞窟へ入ろうとしていた真口様の足が止まり顔が振り向く。そして若干眉を顰めた。

 しかし幼い私はそれを気にも留めず遊ぶことが楽しみだと言う純粋な笑みを浮かべ彼の顔を見つめ返していた。にらめっこでもするように数秒間、無言のまま互いの顔を見つめ合った後、根気負けしたんだろう真口様は溜息を零し洞窟へ向けていた体を私の方へ。

 そして知らぬ間に勝利を手にした私は依然と彼からの返事を待っていた。


「――知らん」

「じゃあ探検しよ! 私もっと色んなとこ行きたい」


 そう言って私が乗りたいからしゃがんでと言う意を込めた手招きと同じ動作をすると真口様は渋々とその場にしゃがみ込んだ。

 それからそこへ飛び乗った私が「レッツゴー!」と握った手を天高く上げながら大声を出すと、それに合わせ真口様は跳ぶように走り出しあっという間に風を切り始めた。

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