第38話 対話

ごめんなさい…ごめんなさい……


 謝り続ける誰かの声に、舞胡蝶姫まいこちょうひめはうっすらと意識を取り戻しました。


 (あれ……ボク、どうしたんだっけ……?)


 黒いもやの中、彼女は温かな海を漂う海月くらげのように漂っていました。身体は見当たらず、自分の形もよく思い出せません。長い長い夢をみた後のように、ぼんやりとした気だるい心地よさを感じます。


 (さっきのは…なんだったんだろう…?アルビナ…だっけ?その名前、どこかで……)


 沈みそうになる意識と闘いながらなんとか記憶を辿ると、一冊の本が思い出されました。マリーゴールドから託された、はじまりの徒花姫の本のレプリカ。

 確かそこに——————


 はっと飛び起きるように、舞胡蝶姫の意識がようやくきちんと覚醒します。彼女は謝り続けている誰かに向かって呼びかけました。


 「あの、あなたは……アルビナさん??」


 呼びかけられると泣き声はぴたりと止みました。何も聞こえてはきませんが肯定の意を感じます。意識がごちゃ混ぜに溶け合っているせいか、相手の考えていることがなんとなくわかりました。


 「アルビナさん、どうしてずっと謝り続けているの?」


 問いかけると、アルビナから伝わる悲しみの感情が一層色濃くなりました。


 「…サンクチュアリの心臓である私たち姉妹は、同時に砕けてしまいました。だからこの世界は…もう…。…こんなことになってしまって…本当にごめんなさい。無関係なみなさんを巻き込んでしまって…」


 「ボクたちは巻き込まれてなんかないよ!」


 舞胡蝶姫の言葉に、アルビナは驚きと混乱の感情を滲ませました。


 「ボクたちは、あなたたちに連れ去られてここに来たわけじゃない。騙されたわけでも、ない。自分で考えて、決めて、選んでここに来たんだよ。」


 「ですが、ディアナは……」


 「門番ディアナさんはサンクチュアリに入る時、きちんと説明してくれた。二度と出られないこともわかってた。…だから、巻き込んだなんて思ってほしくないよ。」


 「……そうだよね。私達はそれぞれいろいろな問題を抱えて、勝手にやって来ただけだよね。」


 急に話に割って入ってきたのは、声だけでしたがおそらく睡莉姫ねむりひめのようでした。


 「確かに、今までサンクチュアリにはたくさんの徒花姫たちがいて、中にはここへ来たことを後悔した子もいたはず。でも、それはあなたたちの背負うものじゃない。だからもう、謝るのはやめにしよう?」


 彼女たちの会話で目覚めた一華姫いちげひめの意識も、ひそかに睡莉姫の意見に賛同していました。彼女も後悔している側でしたが、それを誰かのせいにしようと思ったことなどありません。


 (そう。だって、この胸を貫く痛みも悲しみも、大切なものたちの証だもの。)


 徒花姫たちの言葉を受け止めたアルビナはしばらくじっと沈黙していましたが、身体があったならこくりと頷いたような————そんな気配がありました。舞胡蝶姫はそれを感じるとアルビナに伝わるように、精一杯優しい気持ちを込めて言いました。


 「えっと…改めてだけど、はじめまして。ボクは舞胡蝶姫。あなたのことはマリーとランさんから聞いてるよ。あのね、ボク、あなたとお友達になりたいんだ。」


 「おともだ…ち……?」


 舞胡蝶姫がもじもじと告げた言葉を、アルビナは一瞬理解できませんでした。だけど同時に、この絶望的な状況にあまりにもそぐわないその響きはとても新鮮で魅力的でもありました。生まれながらの姫君である彼女が出会ったことのない言葉です。


 「そう、おともだち!まずはとりあえず…よかったらお茶会しない?スイーツに紅茶に楽しい物語。トランプ、ボードゲーム、水遊び。お絵描き、お散歩、パジャマでパーティー!もちろん門番さんも一緒にね!……どうかな?」


 あまりに元気のいい勧誘文句に、アルビナ姫も思わずふっと微笑んだようでした。


 「それは…素敵ですね。とっても楽しそうです。」


 「でしょー!」


 その時、急にぽんっと空間に舞胡蝶姫の姿が現れました。なぜか自慢げな顔で胸を張っていた彼女は、身体が戻ったことに気が付くと驚き、確かめるように自分の頬に触れます。


 「あれ?やったー!!なんだか戻れた!!」


 「おおー。…私もいい加減戻らなきゃね。」


 心地よい微睡まどろみに全てが億劫おっくうになってしまいそうになっていた睡莉姫も、ようやく自分の状況をなんとかしようという気になったようでした。先程見た記憶の断片をすべて覚えている彼女には、自分の形への戻り方がなんとなく分かります。

 自分の顔、声、姿、性格、記憶。全てを繋ぎ合わせ、ひとつひとつパズルのように丁寧に組み上げていけばいいのです。舞胡蝶姫が姿を取り戻せたのも、おそらくは彼女が喋る行為によって無意識ながら自分のイメージを強く描き出したから。

 思った通り、最後のピースをめると、睡莉姫は姿を取り戻すことが出来ました。


「……うん、やっぱりそういうことだよね。」


 すぐに他の徒花姫たちにも意識共有でやり方を伝えます。すると少女たちは次々に実体化し、黒い靄の中に降り立ちました。


 舞胡蝶姫と蒲公英姫たんぽぽひめは再開を抱き合って喜びましたが、ふとまだ結ビ姫むすびひめが出てきていないことに気が付くと、黙って目を閉じ虚空に向かって手を差し出しました。するとそれに誘われるようにふわっと舞い降りるように結ビ姫が現れました。


 「……ごめんなさい。うまくイメージできなくて…私…」


 俯く結ビ姫を二人は抱きしめます。


 「だいじょうぶ!ボクたちがむすびちゃんを知ってるもん!」


 「そうそう。結ビ姫って、自分が思ってるほど空っぽじゃないんだから。」


 二人の言葉に驚いて言葉を失った結ビ姫の首元で、ほどけないはずのリボンがひとりでにするする…と緩んでいったようでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る