第32話 秘密

 ランとマリーゴールド。

 サンクチュアリで共にドレッサーとして役目をこなしてきた二人。


 過ごした時間は数百年に及びますが、それほど言葉を多く交わしたわけではありません。いつでも皮肉っぽく小馬鹿にしたような態度を取るマリーゴールドの本心をランは図りかねました。敵対はしていないけれど、協調や同意もない。


 だから今感じているこの喪失感の大きさは、ランにとっても想定外でした。



 「……なるほど、事情は分かりました。」


 舞胡蝶姫まいこちょうひめの話を聞き終えたランは、手を口元に当てて静かにまぶたを閉じました。そうして一息ついた後、消え入りそうな笑顔を浮かべて言いました。


 「…舞胡蝶姫、マリーゴールドを見届けてくださってありがとうございます。僕たちは人間ではなくこの心も借り物ですが…それでもきっと、あなたのおかげで寂しくはなかったでしょう。だからもう、泣かないで。」


 その言葉にますます顔をぐしゃぐしゃにして泣き始めてしまった舞胡蝶姫を、心配そうに見つめながら、蒲公英姫たんぽぽひめがおもむろに尋ねます。


 「…ランさん、あなたたちドレッサーは…お人形、なんですか?」


 「…そうですね、私とマリーゴールドはあの方の所有していた玩具でした。サンクチュアリが出来た時に、私達には彼女の身の回りの世話と庭園の管理という役割が与えられ、この姿を得たのです。」


 「あの方というのは、ええと…」


 「今も庭園の館で眠り続ける、はじまりの徒花姫あだばなひめ。サンクチュアリは彼女を核として成立しているので、この世界の心臓とも呼べる存在です。」


 「はじまりの徒花姫…!マリーが言ってたこの本の…」


 舞胡蝶姫は携えた本の表紙に視線を落としました。意を決してゆっくりと開いてみると中の頁はほとんど破れてしまっていましたが、辛うじて残っていた最初の一枚、長い金色の髪の少女の挿絵の下に何か掠れた文字のようなものが見えます。茶色く変色し埃っぽい匂いのする紙に顔を近づけて、読み取ることができたのは…


 「アル…ビナ……?」


 「ああ、そうです。それが、あの方の本当のお名前でした。」


 懐かしそうに目を細めたランの耳元で、アメジストの耳飾りが煌めいて揺れます。するとそれまで黙って話を聞いていた結ビ姫が、ぽつりと素朴な疑問を発しました。


 「あの…その本をマリーゴールドが破ったから、来ないはずの夜が来た、の?」


 ランが頷くのを見て、蒲公英姫も首を傾げます。


 「どうしてそんな影響が…?」


 「……」


 ランは急に言葉を詰まらせ、何と答えようか迷っているようでした。ですがやがて意を決したようにゆっくりと顔を上げると、姿勢を正して目の前の三人の徒花姫を見つめました。


 「それは…これが、ただの本ではないからです。行動が自動的に記録されていく魔法の絵本。皆様もここへ来た時に門番から手渡されたと思いますが……これは全てが曖昧あいまいな夢の世界において、存在を確立するために必要な機構。つまりあなたがた徒花姫の存在証明なのです。」


 話しながらランのはさみを持つ手は震えていました。このことを知った徒花姫たちがどういう道を辿ってしまうのか、今まで散々見てきたからです。百花姫ひゃっかひめに頼まれて教えた結果彼女をうしなうことになったのも、全く後悔していないと言えば嘘になります。あれが自分にできる最後のはなむけだったと納得してはいましたが、今でもあの時のことがありありと思い出されて身を切るような思いで喋っていました。そんなことを知るよしもない三人の徒花姫たちはまだ理解が追い付いていない様子できょとんとしています。無理もありませんが、ランは説明を続けます。


 「加えて、最初の徒花姫の本は特別です。なぜなら先程も申し上げました通り、彼女の存在はサンクチュアリの中核ちゅうかくになっているからです。彼女の存在証明たる絵本が破かれれば、彼女を中心に構成されたサンクチュアリも不安定になる…という道理です。」


 ランは説明しながら、これから一体どうしたものかと考えあぐねていました。もう百花姫ひゃっかひめも、マリーゴールドもいない。はじまりの徒花姫はめない眠りの中にいて、門番のやり方には賛同できない。

 様々な考えが取り留めなく浮かんでは消えを繰り返している間に、舞胡蝶姫から飛んできた言葉でランは我に返りました。


 「ねぇランさん…ボクね、庭園の館に行こうと思うの。」


 驚いて顔を上げた蒲公英姫にも目配せしつつ、舞胡蝶姫はぽつりぽつりと言葉を選ぶように話し始めました。


 「あのね、ずっと考えてたんだ。どうしてマリーはこの本を、最後の力を振り絞ってボクに託したのかなって。…多分だけど、マリーはきっとボクたちに彼女のお友達になって欲しいと思ってたんじゃないかな。不幸な記憶さえ消えればお姫様は私達と楽しく過ごせるだろうって、マリーは言ってたから…。」


 舞胡蝶姫は改めて視線を絵本に落とすと、その表紙をじっと見つめました。


 「サンクチュアリが不安定になって、もしかしたらもうはじまりの徒花姫さんが目覚めているかもしれないんだよね?一人ぼっちで不安で悲しい思いをしてるかもしれない。だから今すぐ行かなきゃ…助けになってあげなくちゃ…!」


 「私も同行します。道案内ならお任せください。」


 ランは携えた大きな鋏をしっかりと握りなおしながら言いました。


 「もちろん私たちも。」

 目が合うと蒲公英姫は肩をすくめながら、舞胡蝶姫に微笑みかけました。結ビ姫も少し遠慮がちに頷きながらそっと舞胡蝶姫の手を取ります。


 「行きましょう。」

 前を向いて歩きだしたランに続いて、一同は館を目指して進み始めたのでした。

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