第30話 透明な少女

 ふんわりとした優しい雰囲気のまだあどけない声色に、不安の中にいた一華姫いちげひめは内心ほっと胸をなでおろしました。少女は身にまとった長いドレスのすそを掴むと、時が止まったかと思うほど優雅に、本物のお姫様のようなお辞儀じぎをして見せました。


 「はじめまして。うれいを帯びた震える花びらのような方。あなたはだぁれ?」


 「…私…、私は……」


 まるで芝居がかかったような物言いに少したじろぎながらも、答えようとした一華姫ははっと息を呑みました。


 窓から漏れる月明かりの中に浮かんでいた逆光のシルエット。少女がゆっくりととこちらに近付き、その解像度が少しずつ上がっていくにつれ、一華姫は目を疑いました。少女の身体はうっすら透けていて、ほのかに発光していたのです。


 驚いている様子の一華姫を見て、少女は無邪気に笑うとドレスの裾を掴んでくるりと回転しました。


 「うふふ、すごいでしょう。わたくしったら透き通っているのよ!ねぇ、私にさわれるか試してみてくださらない?」


 すっと差し出された手のひらに一華姫は恐る恐る手を伸ばしましたが、その指は半透明の身体を当たり前のように通り抜けてしまいました。手ごたえもまるでなく、空気と変わりありません。一華姫はびくっと手を引っ込め、少女自身もその結果に驚いたのか「まぁ!」と声を上げました。


 「いやだわ、わたくしったら本当におばけみたい。だけどどうかこわがらないでくださいな。きっと悪いおばけじゃないのよ。」


 (……この子は一体…)


 一華姫は少女の顔を改めてじっと見つめました。先程から何か違和感があるのです。彼女には初めて会ったはずなのに、なんだか見覚えがあるような…。宝石のような青い瞳、子猫のような甘い目元、陶器のように白い肌に、薔薇のように赤い小さな唇…。


 (……!?)


 違和感の正体にとうとう気付いた一華姫は思わず息をみました。雰囲気や喋り方がまるで違うので気づきませんでしたが、冷静に見てみるとこの少女の顔は門番と瓜二うりふたつだったのです。


 「あなたも…徒花姫あだばなひめ、なの…?」


 「あだばなひめ?」


 少女はその言葉を初めて聞くような反応を見せました。


 「ええと、わたくしさっき起きたばかりでなんだか頭がぼんやりしているものだから。なんのことなのかちっともわからないわ。…それより」


 いつの間にか少女はじっと一華姫の髪飾りを見つめていました。いとも簡単に遠慮なく至近距離に入ってきた彼女に一華姫は驚いて、身体を強張らせます。


 「ああ、ごめんなさい。ついお花が好きだから見とれてしまって。あなたの髪飾り、とっても綺麗ね!…それに何だか、懐かしい感じがするような…。」


 少女は照れ笑いを浮かべて弁明した後、不思議そうに小首を傾げます。一華姫は少し緊張しつつ、彼女のために説明してあげようとしました。


 「…これは、ランが作ってくれた…の。アネモネと、ケイトウと…」


 「…ラン……?」


 不意に少女は一つの単語に反応を示しました。ぽつりとその名前を呟き、考え込むようにうつむいた少女は、今度は一華姫の靴に目を奪われました。


 「この靴も、なんだか懐かしい感じがするわ。」


 「あ…これはマリーゴールドが…」


 「マリーゴールド…。マリーゴールドと、ラン…。その名前…どこかで…」


 ぼうっと虚空を見上げた少女の青い宝石のような瞳にさっと暗い影がさしたような気がして、一華姫ははっと彼女を見つめました。いつのまにかその胸のあたりに小さな黒い球体のようなものが浮かんでいます。


 「あら…?なにかしら…?」


 二人してぽかんと見つめていたそれは、ぐちゃぐちゃに混ざり合ったようなグロテスクな色で仄暗くくるくると回転していました。少女が身を引いても、彼女に追随して相変わらず胸のあたりに浮かんでいます。


 「これ…これって……」


 戸惑うばかりだった少女の顔がだんだん青ざめていき、一華姫も状況の異常さをじわじわと理解し始めました。そのうちに少女は胸を押さえて苦しそうにうめきだします。


 「う…う…!あああああっ…。」


 「ど、どうした…の…?」


 一華姫は焦って思わず反射的に少女を抱き支えようとしましたが、彼女は透明なのでそもそも触れることさえできません。おろおろしていると少女は一層苦しみだし、胸の球体が急に爆風と共にこぶしくらいの大きさに膨れ上がりました。


 (ど、どうすれば…)


 目の前のその球体を注視してみると、それは実のところ何かが浮かんでいるのではなく空間に穴が開いている様子です。そこに広がる異質な空間はブラックホールのようで、何もかもを呑み込む底知れない悪夢がこちらを覗きこんでいるようでした。


 (もしかしてこれが…サンクチュアリの出口…?)


 穴は徐々に少しずつ広がっているように見えました。今はまだ小さく手首まで位しか通りませんが、しばらくすれば全身くぐれるようになるかもしれません。しかし苦しむ少女の様子を見るとそんなになるまで放っておいたなら彼女がどうなってしまうかわからないとも思いました。


 (でも…これを逃したらもうサンクチュアリから出るチャンスはないかも…どうしよう……)


 迷う一華姫の頭の中に、先程聞いた睡莉姫の言葉が響いてきました。


 一華姫……よく選んでね。心の声に……耳を傾けて……。


 「私…わたし…、は……」


 一華姫は震える指を穴の方へゆっくりと伸ばしました。


                                 

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