第29話 館の秘密

 真っ暗な庭園を、一華姫いちげひめ睡莉姫ねむりひめは寄り添いながら進んでいました。いつもは鮮やかな花々が美しく咲き誇る道も、闇の底に沈んでしまったかのように静まり返って感じます。一華姫は慎重に、闇に目を凝らしながら、時折手探りで垣根かきねに沿ったりしてなんとか歩き続けていました。


 睡莉姫の提案により、二人はサンクチュアリの入口に建っている大きな館を目指していました。二人ともあまり土地勘はありませんでしたが、なにしろサンクチュアリで唯一の大きな建造物なので見付けるのは簡単でした。


 「近付いてきたね。」


 睡莉姫は月をさえぎる館の影を見上げながら呟きました。彼女は常にうつらうつらとしながらもなんとか寝ずにここまで来ていましたが、もう限界が近いのも確かでした。よろよろとふらついた彼女の手を慌てて一華姫が繋ぎます。


 「ありがと。……ねぇ、眠らないように、ちょっと喋っていてもいいかな?」


 一華姫が頷いたのを確認すると、睡莉姫はおもむろに話し始めました。


 「私がサンクチュアリに来たのはね、単刀直入に言うと眠るためなんだ。生まれつき睡眠時間が人一倍…いや、五倍くらい?必要な体質だったから、現実の世界では学校に行くこともできなかったの。眠ってる間に講義音源とか流しておけば勉強だって困らなかったし、私としては別にそれでも良かったんだけどね。…でもパパやママは違った。私のことを理解できなかったし、周りからもいろいろ言われてすっかり疲弊ひへいしてしまった。でも私は生き方を変えることはできないから…ここに来ることにしたの。」


 一華姫の返事や反応はなくても構わないらしく、睡莉姫は淡々とした口調で喋り続けます。その視線はずっとだんだんと近付いてくる館の方に向けられていました。


 「ある日眠っている時に聞き流していたラジオ番組で、ここのうわさを知ったの。サンクチュアリはそれはそれは素敵なところ、眠る前にお祈りをすれば夢の中で辿り着ける。ただし二度と戻ってこれない。信じたわけじゃなかったけど、なんだかわくわくして…興味が湧いてね、試してみたら…ここにいた。」


 二人はついに館の門の前にたどり着きました。見上げると一番高いとうの上にある、特徴的な薔薇ばらのステンドグラスが割れています。一華姫と睡莉姫は顔を見合わせました。


 「…やっぱり、ここでなにかあったみたいだね。」


 無事に到着したことで緊張がゆるんだのか、睡莉姫はいよいよ限界のようで、その場にくたくたと座り込みました。かすむ目をこすり、意識がなくなる前になんとか一華姫のドレスのすそを引っ張ります。


 「…一華姫、あなたがどうしてサンクチュアリにやってきたのか知らないし、後悔している理由もわからない。だけど…過去にとらわれずに生きていくことも、過去と向き合って生きていくことも、どちらも素晴らしいことだから…」


 ドレスをつかんでいた指先から力が抜けると、睡莉姫はそのまま自らの丸めたふわふわのしっぽの上に沈み込みました。


 「一華姫……よく選んでね。心の声に……耳を傾けて……。」


 くうくうと寝息を立て始めた睡莉姫を一華姫は驚いた表情で見下ろしていましたが、やがてゆっくりとしゃがみこむと彼女の頭にそっと手を触れて目を閉じました。


 「……ありがとう。」


 一華姫は立ち上がると、改めて館を見上げました。闇の中にそびえ立つさまは不気味でしたが、その表情に迷いはありません。門をくぐり階段を上ると、サンクチュアリで初めて目覚めた時にいた噴水の広場がありました。石畳の上で何かが月明かりに無数に煌めいています。一歩踏み出すと靴のヒールがパキンと音を立てたので、それが硝子ガラスの欠片だとわかりました。きっと上のステンドグラスが割れた際にここに降り注いだのでしょう。広場には硝子の欠片と同じくなぜか白いクッションも大量に散乱していました。一華姫はそれらをいぶかしげに眺めながらも、館の扉を目指すことにします。


 (まずは割れたステンドグラスの部屋に…行くべきね。あの部屋で何かが起こったなら、サンクチュアリから出る手掛かりがあるかも…)


 しかし再度館を仰ぎ見た一華姫は驚いた表情で固まってしまいました。



 見間違いかと思い目を擦ったりしてみましたが間違いありません。

 月明かりにほのかに照らされて、割れた窓の縁に腰かけている人影が浮かび上がっています。


 一華姫は急いで館の扉を探して飛び込むように中に入り、古びた階段をきしませながら駆け上がりました。階段は二階までしかありませんでしたが、開け放たれたままの古ぼけた扉の奥にさらに狭い螺旋らせん階段が続いているのを見つけると、真っ暗で閉塞的へいそくてきな空間の中を、手すりを頼りに息を殺して進みます。決心したはずの心にも一瞬恐怖と不安がよぎりましたが、一華姫はもう二度と後悔しないように、歩みを止めるわけにはいきませんでした。それにこれまでの懺悔ざんげと絶望の日々に比べたら怖いものなんて何もないと思ったのです。


 登り切った先には四角く空いた部屋の入口の前に、破壊された扉とじょうが散乱していました。一華姫は一度深呼吸して、ゆっくりと中に踏み入りました。



 窓辺に腰かけた後姿の人物は、可愛らしい声で聞いたことのない子守唄のようなメロディーを一人で口ずさんでいました。月明かりの逆光の中に、黄金こがね色の長い髪の毛が煌めいて揺れています。彼女の背後、部屋の中央には花々の敷き詰められた空っぽのひつぎが置かれており、床には破かれた絵本のページが散らばっていました。一華姫が様子をうかがいながら立ち尽くしていると、歌い終わった少女は気配に気づき、こちらを振り返って立ち上がりました。


 「いらっしゃい。さっき噴水のところにいた方ね?会いにきてくれてうれしいわ!」

  

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