第28話 嘘つき

 門番の少女が消えると緊張がとけたのか、舞胡蝶姫まいこちょうひめひざから地面に崩れ落ちました。そしてすぐさま振り返り、うずくまっているマリーゴールドの怪我を確認します。彼女は全身傷だらけなものの出血はありませんでしたが、片腕が炎に焼かれたように焼け焦げてしまっています。


 「マリー、腕が…!どうしよう…!」


 「…別に。構いやしませんわ。もうすぐ消える身ですもの。」


 マリーゴールドはむすっとした顔で舞胡蝶姫の手を振り払いました。


 「門番に存在のかくを奪われましたからね。いまこうしてあなたと話しているわたくしは蜃気楼しんきろうのようなものですわ。」


 あっけらかんと放たれた言葉をうまくみ込めず舞胡蝶姫が困惑した表情を浮かべているうちに、身を起こしていることさえままならなくなったマリーゴールドは地面に倒れ込みます。


 「マリー!!」


 舞胡蝶姫は今にも泣きだしそうな顔で彼女を受け止めると、その冷たい身体に祈るように顔を寄せました。抱きしめられている、というよりはしがみつかれているという表現の方が合っているような状況でしたが、こんなふうに誰かとぴったりとくっつくのは、マリーゴールドにとってとても懐かしい経験でした。


 まだ半ばにらみつけるような複雑な表情で舞胡蝶姫を見ていた彼女が、ぽつりと呟きます。


 「…以前から思っていましたが…あなた馬鹿なんですの?」


 「なんでよ!バカはマリーの方でしょ…こんな無茶して…」


 「いいえ、あなたの方ですわ。さっきの門番への言葉はなんなんです!?」


 マリーゴールドは舞胡蝶姫から離れようとじたばたと身体を動かしましたが、その片腕にこもる力はとてもか弱いものでした。


 「あのですね?この際だから言わせて頂きますけど、わたくしは単に役割だからあなた達の世話を焼いていただけで別に優しいわけじゃないんですのよ?馬鹿じゃなければどうして、このに及んで悪態あくたいをつき続けるわたくしを抱えているんですの。どうして…こんなにドレスがボロボロになるくらい探し回ったにも関わらず…お礼さえ言わないわたくしに怒らないんですの。サンクチュアリをめちゃくちゃにした犯人だと聞いて、失望しないんですの?後悔しないんですの?どうして…ですか。」


 舞胡蝶姫は少し驚いたように目を丸くしましたが、涙をぬぐって顔を上げると弱々しく微笑みました。


 「しないよ。だってボクはマリーが大好きだもん。」


 その言葉を聞くとメイドは呆気にとられたような表情で固まったかと思うと、深いため息をついてしばらく打ちのめされたようにうつむいていました。




 月明かりの中、優しい静寂が訪れました。疲れたようにそっとまぶたを閉じたマリーゴールドの身体がきらきらと輝きながらゆっくりと透き通っていきます。


 「マリー、マリー、消えちゃいやだよ…!」


 舞胡蝶姫の脳裏のうりに懐かしい両親の顔が思い浮かびました。大切な人が目の前で苦しんでいて、助けてあげたいのにどうにもしてあげれない歯がゆさ、くやしさ。


 (病気のボクを見ていたパパとママも…こんな気持ちだったの?)


 舞胡蝶姫はぐすぐすと止まらない涙をそででふきながら、マリーゴールドの手を握り締めました。


 「…ああ、もうびしょびしょじゃないですか。ハンカチを出す余力はないですわよ。」


 マリーゴールドはかすれた声で苦笑いしつつ、最後の力を振り絞るように動く方の片腕を上げ、かたわらの地面の上に一冊の本とランタンを出現させました。


 「…舞胡蝶姫、この本は…“はじまりの徒花姫あだばなひめ”の物語。先程門番に奪われたもののレプリカ…ですわ。わたくしがこんな有様になったのは…これを手に入れるためでした。……失敗しましたけどねぇ。」


 舞胡蝶姫は本を拾い上げながら怪訝けげんな顔をしました。


 「これを手に入れて…どうするつもりだったの?」


 「…不幸なあの方を目覚めさせたかったのです。ページを破って記憶を失くしてしまえば、彼女だってただの女の子ですもの。今のサンクチュアリにはあなた達がいますから…きっと楽しくやっていけるはずですわ。」


 「マリー…」


 「まぁ、彼女はこの世界の心臓とも呼ぶべき存在なので…目覚めさせればいろいろと異常が起きることはわかっていました。でも例えもしこの世界がこのまま滅びたってそれはそれで良いと思ってましたわ。誰も終らせる者がいないから、わたくしがサンクチュアリの敵になったまで。あなた方には恨む権利がありますし…そうするべきです。反省なんて、してませんしね。」


 まるでむしろうらまれたいような口ぶり。


 「だから…そんな顔する必要ないのですわ。」


 ゆっくりと開かれた瞳の鮮やかなだいだいが一瞬揺らめいたような気がしました。舞胡蝶姫が息を呑み、言葉を発しようとしたその瞬間、魔法がとけるようにマリーゴールドの身体はもやのように消え、あとには幼い子供が遊ぶような小さな人形が落ちていました。

 震える手で拾い上げたその人形は、マリーゴールドそっくりです。舞胡蝶姫は真っ青になって動けなくなりましたが、我に返ると横に置かれた本とランタンを持ってよろよろと立ち上がりました。



 茂みの向こう、涙でかすむ視界には先程散々彷徨さまよったあの恐ろしい森が広がっています。だけど今は先程とは違ってランタンの橙色の明るい光が道行みちゆき煌々こうこうと照らしてくれていました。


 「マリーの嘘つき…。」


 舞胡蝶姫は嗚咽おえつ交じりにぐすぐすと呟きます。


 「やっぱりあなたは優しいじゃない。」


 今度は転ばないように、ドレスをひっかけないように気を付けながら、勇気を出して暗い森に一歩踏み出します。胸には一冊の本と人形を、優しく大切に抱きかかえながら。

                    

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