第六章 彷徨の星月夜

第27話 歯車

 「マリー!どこなのー!」


 舞胡蝶姫まいこちょうひめは夜の闇に包まれた庭園を、マリーゴールドを探しながら一人で彷徨さまよっていました。勢いで飛び出してしまったはいいものの、森の中には月明かりさえ届きません。これでは道がわからないどころか、普通に歩くことすらままならず、周りの木にぶつかって転ぶ始末。いつのまにかドレスはほつれ、泥だらけになってしまい、舞胡蝶姫は涙がこぼれそうになるのを一生懸命にこらえていました。


 「マリー…マリー…、迎えに来てよぉ…。」


 思えばサンクチュアリに来て蒲公英姫たんぽぽひめと知り合うまで、寂しい時にはいつでもマリーゴールドがそばにいてくれました。呆れ顔で腕組みをして「またあなたですの?」とため息を付きつつ、呼べば必ずすぐに来てくれた彼女。その姿が目に浮かんで、心細さに拍車はくしゃをかけました。



 手探りで木々にぶつからないようゆっくりと進んでいくと、次第に遠くの方から小さな揺れるあかりが見えてきます。夢中になって茂みをかき分けていくと、舞胡蝶姫の手は急にくうを切り、勢い余ってひらけた空間に倒れ込みました。


 「きゃ!!……いたた…」


 そこは森の木々に囲まれた広場のような場所でした。身を起こした彼女の目に飛び込んできたのは、闇に燃え盛る鳥籠とりかごを持った門番の少女と、その前に傷だらけで苦しそうにうずくまっているマリーゴールドの姿でした。


 「マリー…?」


 それは舞胡蝶姫にはにわかに信じられない光景でした。どんな願いでも叶えてくれる魔法のメイドは、彼女にとって無敵に等しい存在だったのですから。


 舞胡蝶姫は考えるより先に大急ぎで二人のドレッサーの間に割って入ると、マリーゴールドをかばうように立ちはだかります。

 門番の少女は紅く光る硝子ガラスのような目でじっと舞胡蝶姫を見ました。炎に揺らめく陰影いんえいの中、冷たく鋭く刺し貫かれるような視線に思わずたじろぎながらも、舞胡蝶姫はぐっとこらえてそこに立ち続けます。

 マリーゴールドは激しく痛む胸のあたりを抑えながらも、自分の前に突如とつじょ現れた舞胡蝶姫を怪訝けげんな顔で見上げていました。


 「……あなた、どうしてこんなところに…?」


 「どうしてって…!いくら呼んでもマリーが全然来ないから、心配で探しに来たんじゃない!」


 「わたくしを…探しに……??」


 それはマリーゴールドにとって不可解ふかかいな一言でした。自分をサンクチュアリの部品、ただのモノと捉えている彼女には、どうして舞胡蝶姫が自分のためにそんなことをするのか本当にわからなかったのです。どのように受け止めていいものか迷っているうちに、何故だか段々と腹立たしくなってきた彼女は、うめきながらも吐き捨てるように言いました。


 「…相変わらずおめでたいこと。わたくしはあなたの愛するこのサンクチュアリの敵ですのよ?心配して頂く義理なんてありませんのに。」


 「サンクチュアリの…敵?どういうこと??」


 舞胡蝶姫は思わず振り返って聞き返します。するとずっと無言でたたずんでいた門番の少女がおもむろに口を開きました。


 「…そのままの意味です。先程の揺れも突然の夜も、彼女の行動に起因きいんするもの。サンクチュアリそのものが狂い始めて異常をしょうじているのです。」


 「狂い始めて、ですって…?…ふふふ、あはは、あははははは!!」


 門番の言葉を聞くと、メイドは急に壊れたような笑い声を上げました。


 「何を今更…、そんなの最初からじゃありませんか…。あなただって…わたくしだって!あははは!」


 「マリー…?」


 彼女のかすれた笑い声を聞きながら舞胡蝶姫は思い出していました。サンクチュアリに来る前、ずっと入院していた病院で、よく似た笑い声を耳にしたことがあったからです。


 夜も深まった頃、どこからかかすかに聞こえてくるその笑い声が、舞胡蝶姫は怖くて怖くて仕方ありませんでした。追い詰められて、何もかも諦めて、涙も枯れ果てたような…。それは笑い声というより、慟哭どうこくに近いようにさえ思えました。



 「…ごめんなさい……。」


 舞胡蝶姫はたまらない気持ちになって、なかば衝動的な行動に出ました。突然門番の少女に向かって深く頭を下げ、そのままの体勢で話し始めます。


 「マリーがもし…悪いことをしちゃったなら、本当にごめんなさい…。ボクが代わりにいくらでも謝るから、どうか許してあげて…。マリーは確かにちょっと口が悪かったり乱暴だったりするところがあるかもしれないけど、いつだって誰かのために何かをしているんです。だから今回も…やりすぎちゃったのかもしれないけど…ええと……」


 あまりに長い沈黙に不安になった舞胡蝶姫が顔を上げると、マリーゴールドは見たことのない表情で顔を真っ赤にしていました。一方の門番の少女はうつむいて、地面にい付けられたかのように微動だにしません。彼女の心中には再び自問自答じもんじとうの嵐が吹き荒れていました。何度も何度も決意しなおすのに、すぐに罪悪感で折れそうになる心はなんて弱くて滑稽こっけいなのかと、冷え切った指先を握りしめます。


 「…舞胡蝶姫あなたが謝る必要はありません。マリーゴールドが謝る必要も。そして、私も謝りません。ゆるしを乞う資格などありませんから。」


 門番は絞り出すような声でそう言うと、もはや抵抗できないメイドのふところから一冊の絵本を取り上げます。マリーゴールドは何とも言えない表情で門番を見上げ、二人はしばらく無言で見つめ合いました。


 「……本当に、わかりませんの?」


 マリーゴールドがぽつりと呟いた言葉に門番は「え」と顔を上げましたが、悲しそうにゆっくり目を閉じると夜の闇に溶けるように消えてしまいました。

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