第26話 出発

 大きな地鳴りのような音に、一華姫いちげひめはうっすらと目を開けました。ぼんやりとした視界の中、膝の上で微睡んでいるネグリジェの少女と目が合います。


 「……!!」


 寝ぼけて先程の出来事をすっかり忘れていた一華姫は内心とび上がりそうなほど驚きました。しかし少女の方はその様子に気付いているのかいないのか、あくまでマイペースに伸びをしてとろんとした目を眠たげに擦っています。


 「おはよー、私も今起きたところ。」


 (あ……そうだった、確かこの子が突然膝の上で寝ちゃって……)


 状況のいきさつを慌てて思い出していた一華姫は、顔を上げると周囲の異変に気付き、一気に目が醒めました。


 見慣れたガゼボからの風景がことごとく暗闇に包まれています。


 そう、これはまるで…


 「夜みたいだね。なんだか懐かしいなぁ。」


 少女が身を起こしながら事も無げに言いました。


 「サンクチュアリには夜は来ないはずなのにね。どうしたのかな?」


 幼い顔立ちに似合わず冷静な様子の彼女に少し面食らいつつ、一華姫はゆっくりとガゼボから出て空をあおぎました。頭上に月と星が光り輝く様は、やはりまさしく記憶の中にある「夜」そのものです。少女は大きなあくびをしつつ同じように空を見上げると、何か考えるように腕組みをしました。


 「ここへ来た時に門番に聞かされた、この世界のいくつかのルール…覚えてる?夜がないこと。雨が降らないこと。花は枯れないこと。そして、一度足を踏み入れた者は二度と出られないこと。」


 怪訝けげんな顔をして振り向いた一華姫の顔が、最後の言葉に一瞬くもったことに気が付きながらも、彼女は話を続けます。


 「定められたルールに反して夜が来たということは、サンクチュアリという世界を形作っている根本的なものが、何らかの原因で揺らいでいるのかもしれない。第一、夢の世界なんだから、地質活動としての地震は起こり得ないはずだしね。」


 (…サンクチュアリが、揺らいでいる…?)


 少女の言葉に一華姫は思案を巡らせました。


 (それなら、もしかして…)





 「ねぇ、あなたは元の世界に帰りたいの?」


 図星をつかれてハッと振り返ると、少女が首を傾げてこちらを見上げています。


 (何も言っていないのにどうして…)


 心の中を見透かされたような気がして、一華姫は身構えて一歩後ろに下がりました。そんな彼女の様子に気付いた少女は、重たいまぶたを擦っていた手を止めて顔を上げました。


 「…ああ、またやっちゃった。不快な質問だったならごめんねー。あなたの様子を見てたらそうなのかなぁと思っただけだから。」


 (…そんなに顔に出ていたかしら…。)


 一華姫は何となく居心地の悪い気持ちになりましたが、もはや隠す意味もないかとゆっくりと頷きました。すると少女は「そうかー」と何か納得したように呟きながら少しの間沈黙し、ごく自然に、当然のように一華姫の手を取って言いました。


 「それじゃ、行こっか。」


 「……?」


 唐突な展開に訳が分からず一華姫は硬直してしまいます。そして思わず声に出して尋ねました。


 「どういう…こと?どこに行くの??」


 「え?それはもちろん、サンクチュアリの出口を探しにだよ?」


 きょとんとした顔で目をぱちくりさせながら答えた少女の言葉に、一華姫は息を呑みました。確かにさっき「サンクチュアリが揺らいでいる」と聞いた時、脳内に一瞬過ったのです。「夜が来ない」というルールと同じように「二度と出られない」ルールも覆っていないだろうかと。


 もちろん興味はありました。だけど同時に、そんな奇跡のような展開を期待するのは憚られました。後に待つ落胆らくたんと絶望が恐ろしかったからです。


 一華姫が押し黙ってしまったのを見ると、少女はガゼボの片隅に置いてあった靴を取ってきて前に並べてくれました。


 「さぁ、履いて。急いだほうがいいと思う。」


 それは少し前にマリーゴールドが出してくれた靴。この靴を履いて見に行ったアネモネの美しさが、今もまぶたの裏に焼き付いています。

 そしてアネモネのことを思い出すと、同時にかつて失った大切な人の顔が一華姫の頭によぎりました。


 (あ……また私、怖くて逃げようとしてる…)


 一華姫はぶるぶると頭を横に振って臆病心を追い払うと、静かな決心と共に震える足を靴に滑り込ませました。もう二度と後悔なんてしたくない。これからはあの人に恥じないような生き方をしたい…。


 「最初に行くのは、ドレッサーの館がいいと思う。あそこには何かが隠されてる気がする。立ち入り禁止なんて、いかにも怪しいしね。」


 相変わらず当然のように同行するつもりでいるらしい少女は、ガゼボの入口に立ってこちらを待っています。どうして先程会ったばかりの自分にそんなに肩入れするのだろうと一華姫が怪訝な顔をしていると、彼女は「あっ」と何かに気付いて小さな声を上げました。


 「すっかり名乗り忘れちゃってた…。私は睡莉姫ねむりひめ。あなたは一華姫だよね?よろしく。」


 「どうして知って…」


 「この前のお茶会、来なかったでしょ?その時にマリーゴールドから少しあなたのことを聞いたの。…さぁ、行こう。」


 まだ何か言いたげな顔をしている一華姫の手を引き、睡莉姫は歩き出しました。



(第六章に続く)

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