第25話 闘争

 暗い森の中であやしく小さな炎が揺れていました。門番の少女は携えた鳥籠を揺らしながら、木々の間を走り抜けていきます。そうして茂みを抜けると開けた広場のような場所に出たので、彼女は立ち止まって耳を澄ましました。


 (早く見つけなくては…早く……!!) 


 焦燥に駆られながら辺りを見回していると、不意に頭上に気配を感じ咄嗟とっさに飛びのきます。ザクザクと音がして、先程まで立っていた場所がフォークで滅多刺めったざしになっていました。誰の仕業しわざかは確認するまでもありません。


 「マリーゴールド、今すぐ出てきなさい!」


 静寂に門番の声がこだましました。しかし返事はなく、代わりにまたフォークが降ってきます。門番の少女はかわしながら諦めずに呼びかけを続けます。


 「あなたもドレッサーならばわかるでしょう?このままではサンクチュアリが崩壊してしまいます…!」


 頭上にまた気配を感じ、何度目かのフォークを避けようとして彼女は違和感に気付きました。


 (音が…違う……?)


 金属同士がこすれ合うような音。上を仰ぐと降り注いできたのは今度はフォークではなく大量のくさりです。


 (わな…!!同じような攻撃に油断させられていた…?!)


 気付いた時にはもう遅く、先程までとは違って広範囲に渡って出現させられたそれらを避けきることはできませんでした。門番の少女はまだ動揺の渦中かちゅうにいることもあり、重い鎖に絡めとられるようにそのまま下敷きになります。持っていた鳥籠も落してしまい、探そうにも身動きが取れません。


 「…あら、あっけない。どうも本調子ではないようですね?」


 動けなくなった門番を見ると、木立こだちの暗がりからマリーゴールドが姿を現しました。彼女は落ちている鳥籠を拾うと、冷ややかなまなざしで這いつくばっている相手を見下ろしました。


 「ここまでですわ。いくらあなたとはいえ、鳥籠これがなくては何もできないのでしょう?」


 「……っ」


 門番の少女がもがくたび、ますます鎖は絡まっていきます。感情を隠すこともせずに睨みつけると、マリーゴールドは眉をひそめて小首を傾げました。


 「…驚いた、そんな顔が出来ますの?…だとしたら尚更なおさら許せませんわ。てっきりあなたは心を与えられ損ねた欠陥人形かと思っていましたのに、そうではなくただ残酷なだけだったということですものね?」


 メイドはその場にゆっくりとしゃがみ込み、門番に顔を近づけます。


 「わたくしは長い間ずっと見てきました。徒花姫あだばなひめたちのそばつかえながら、その魂がすり減っていく過程を何度も何度も。どんなに楽観的に見えても、百年が過ぎる頃には永遠を生きる苦痛に黒く塗りつぶされていく。…あなたはそれをどう思っていましたの?目に入らないようにしていたのではなくて?…あなたにとって、助けを求めてやってきた彼女たちは、ただの生贄いけにえなのですか?」


 門番の少女は俯き、短い沈黙の後にぽつりと答えました。


 「…言い訳はしません。あなたの言うことはもっともです。自分の残酷さについては自覚もあります。」


 思いもよらない返答にマリーゴールドは少し面食らいました。彼女はこれまでずっと門番の少女のことを、サンクチュアリの歯車としての本能に突き動かされているだけの感情の薄い自動機構のようなものだと思っていたのです。心が目覚めたあの時に彼女が見せた冷たい態度———、自分やランの言葉に耳を貸さずサンクチュアリの延命を徒花姫を使って始めた横暴さ。そしてドレッサーたちの中でもなぜか飛びぬけた魔法の力で、全てを監視し逆らわないよう脅されてきたことを考えれば、その思考に至るのはむしろ自然と言えました。ですがどうしたことでしょう。数百年の怒りを爆発させ反抗しついに追い詰めたその人には普通に感情があり、自らの行いも客観的に見ているというのです。


 そうしてマリーゴールドが混乱している間に、少しずつ冷静さを取り戻した門番はゆっくりと顔を上げました。彼女の深紅の瞳が、暗闇の中で鋭く煌々こうこうと輝いて見えました。


「残酷だから、何だというのですか。間違っているから、何だというのですか。私はあの子と再び会うためだけに、これまでたくさんたくさん踏みにじってきました。だからこそ、絶対に折れるわけにはいかないのです…!!」


 「!!」


 門番の叫びと共に、マリーゴールドの持っていた鳥籠が突然炎を噴き出して燃え上がりました。メイドは焼かれる苦痛に悲鳴を上げ、腕を抑えてうずくまりました。


 「う…く……っ」


 右腕の感覚がありません。焦げたにおいが辺りに充満していました。マリーゴールドはそれでもすぐに立ち上がり、スカートの中に隠し持っていた短刀を取り出そうとしましたが、急に身体が石のように固まってしまい動けません。気が付くといつの間にか鎖の中から抜け出した門番が、目の前で鳥籠を掲げて立っていました。


 「絵本を返しなさい、マリーゴールド。」


 「……ふん。奪うなら、力づくでなさい。あなたとわたくしの対峙たいじ譲歩じょうほなんてありえないのだから。」


 逼迫ひっぱくした状況にもかかわらずメイドは不敵に微笑んで見せました。


 「わたくしはあなたという横暴な独裁者からサンクチュアリを解放しようと思いました。ですがあなたもまた悩める個なのだとしたら、正義なんてもうどこにもありません。より強靭きょうじんな決意の方が生き残る、それだけですわ。」


 マリーゴールドの言葉に、追い詰めている側のはずの門番は唇を噛み締めながら青ざめていました。何を言ってもマリーゴールドは決して自分から絵本を返したりしないでしょう。彼女は自分を手折たおるならば、それをも背負って行く覚悟を見せろと言っているのです。


 門番の少女はすぅと息を吸い込むと、また本心を殺し、努めていつものような無表情を顔に張り付け、胸をこみ上げる汚泥のような苦痛と孤独の中で呟きました。


 「……さようなら、マリーゴールド。」


 鳥籠の中から溢れ出た黒いもやがマリーゴールドの胸を貫きました。

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